28 甘くて丸い休息
使える時間はすべて調査にあてて、四日目。
まるで干し草の中から一本の針を探すようなものだ。しかも、そこに針があるのかどうかすら怪しいときている。
それはダンテたちも同じようなものらしく、一日一回の報告会ではお互いに憔悴した顔を見せなければならなかった。
オニキスはエメラさまにも聞いてくれたみたいだけど返事はまだないようだった。
おねえさまの体がいつまで持つかわからない。一秒でもはやく手がかりを見つけなければいけないのに。
そんなふうに焦っていたら、オニキスから「今日は気分を変えよう」と提案された。「本を借りて温室で読みたい」
「……そうね。いいと思うわ」
どこでもやることは変わらない。
放課後、私はまだ手をつけていない本を借りていつもの温室に向かった。季節はいつの間にかもうすっかり冬になっていて、木枯らしが容赦なく体を打つけれど、温室は春のようにあたたかいから嬉しい。ドアを開けて入っただけでほっとした。
中を見まわしたけれどオニキスはまだ来ていないようだ。今日は用事があるから図書館経由で先に行ってくれと言われていたけど、まだその用事は終わっていないらしい。
私は丸テーブルに本を置き、自分がいつも使っているイスに座って国内マップを手に取る。
「あ……、学園長?」
これを監修しているのはハーミット学園長だった。
奥付を見ると出版されたのはいまから二十年前。……さすがにまだ学園長じゃない、かな? でも錬金術師としてすでに活動していたようだ。
マップにはレネ山についても書かれている。
目新しい情報はないけれど――アルケミストの花はこの辺りが原産で、高地にいくほど色は白くなるとあった。ほかにも色々細かく記されている。
焦っているのか今日はなかなかページをうまくめくれなかった。
どうして辞書とかのページはこんなに薄くてめくりにくいのか。八つ当たりしたくなる。
こうしてる間にもおねえさまは苦しんでいるのに。
家で見たおねえさまのつらそうな表情が脳裏をよぎる。
急がなきゃ。なんでもいい、なにか手がかりを見つけなくちゃ。
「――……」
ずきりと頭が痛んで私は顔をしかめる。
眼精疲労だろうか。ここのところ、消灯時間がすぎてもこっそり卓上ランプをつけて夜明けまでマップを調べているから体調不良もあるかもしれない。
でもかまっていられなかった。
おねえさまは生死の境をさまよっているのに、これくらいで音を上げるなんて。私は自分のこめかみに指をあて、三秒間だけ目を閉じて、また細かい字を追おうとして――
――だれかが温室に入ってくると同時に、甘い香りがすることに気がついた。
「……オニキス?」
入ってきたのはオニキスだ。でも、手になにかを持っている。
なにか……と思ったのは、それが想像もしていないものだったから。
彼は白い大皿を持っていた。そこには色とりどりのドーナツが山盛りになっている。
……え、なんでドーナツ?
テーブルに置いてあった本を隅に寄せて皿を真ん中に置くと、ぽかんとしている私の向かいにオニキスは座る。そして「すこし休憩するぞ」と言ってきた。
「糖分を摂取したほうが脳の回転もよくなる」
「……ありがとう。でも結構よ。ドーナツを食べながら本なんて読めないもの」
「これがシナモン。これがベリー。これがチョコレート」
「ちょっと――」
「食べないのか?」
「…………」
そんな場合じゃない。
でも彼の言うことにも一理あるし、せっかく作ってきてくれたものをかたくなに断ることもしたくなかった。
私は一番手前にあるチョコレートがかかったドーナツを手に取る。
ドーナツはスタンダードな丸形だ。真ん中に穴が開いている。食欲なんてないのに、甘い匂いにつられるようにして口の中に唾が溜まってしまう。
「……いただくわ」
「ああ」
一口かじるとドーナツはふわっとしていた。生地は甘くて上にかかっているチョコはほろ苦い。そのコンビネーションが絶妙でどんどん食べすすめてしまう。
おいしい。いままでで食べたドーナツの中で、一番。
「ハニー・ビーたちも呼んである。呼ばないとうるさいし、あいつらも行きづまってるみたいだから」
「……ごめんなさい。ほんとうは私ひとりでやらなきゃいけないのに」
「謝るな。俺たちが勝手にやってることだし、それに……」
「……それに?」
オニキスはすこし黙る。それから、ちらりとドアのほうを見てから言った。
「みんなが来る前にルルリには話しておきたい。俺の出自について」
+++
アルケリア王国の王は好色家で知られている。
正室である王妃のほかに複数の愛人を囲い、時には他人の妻や使用人にまで手をだした。
――そのうちのひとり。使用人の、まだ若い女が子供を宿した。黒髪に黒い瞳の男の子で金髪碧眼の王の面影はないが、権力争いがこれ以上複雑になることを嫌った王の側近たちは彼女に金と住家を与えて王国から追いだした。
それから十年。
オニキスと名付けられた子供はなにも知らずに生きてきたが、ある日、母親が病に倒れる。死期を悟った彼女は彼にすべてを話した。
『どうか、あのひとを恨まないで』
それが母親の最期の言葉だった。
唯一の家族を失い、オニキスはひとりぼっちになった。
ほかの家とちがって自分のところに父親がいない理由も、その割に母親が生活に苦労している様子がないこともそう考えれば辻褄が合うが、だからといって『実はあなたは国王陛下の子供だった』と突然言われても信じられるわけがない。
真実を知るため、オニキスは王都へと向かった。
けれど十歳のやることだ。王城と間違えて彼は立派な王立図書館へと迷いこんでしまう。
そこで同年代の子供、エメラと出会った。
彼は迷子の少年に声をかけただけだったが、オニキスの話を聞くうちに事情を悟った。
少年はほんとうに王の子種であること。そして、生まれてからずっと彼がなにかに飢えていることを。
それは王の愛人の子供で、血生臭い後継者争いから早々に降りたエメラにも共通する感覚だった。
暮らしに困ることは一生ない。やりたいことはすべてやらせてもらえる。けれど、なにかが足りない。
だからエメラは王立図書館の館長となることを希望した。
ここには一生かかっても読みきれない本が収められている。ここにいる限り、飢えは永遠に満たされることはない。
だがオニキスはまだそういったものに出会っていないようだった。
一目でいいから自分の父親の顔を見たいという彼の希望を叶えるため、エメラは彼を連れて城へと向かう。
ふたりは執務室で黙々と書類にサインをする王を開けはなされたドアの陰から盗み見た。さすがのオニキスも興奮していたのか、靴をドアにぶつけて王の注意を引いてしまう。
国王はエメラと一緒にいる少年をちらりと見た。
オニキスはどきりとした。
彼は自分に母の面影を見つけるはずだ。母は最期に、国王がほんとうに愛していたのは自分だけだったと教えてくれたのだから。
それは祈りのようなものだった。
だが。
国王は子供ふたりなどどうでもよさそうに書類に目をもどし、ペンを持つ手を再び動かしはじめた。
まるで――道端に転がっている石でも見たかのように。
エメラはしばらく図書館の自分の部屋に彼を泊めることにした。
父に裏切られた傷をいやすためか。それとも、生まれついての渇きを満たすなにかを探すためか。オニキスは毎日図書館を見てまわって気になる本を片っ端から読みはじめた。
やがて『錬金術って』とエメラに言う。
『ほんとうに石ころを金に変えることもできるのか』
『って言われてるね。夢物語みたいなものだとは思うけど、でもそれを現実にしようと努力するのが錬金術師なんじゃないかな』
『ふうん』
知ったようなことをエメラが言うとオニキスはぶっきらぼうにうなずいた。それからぽつりとつぶやくように言う。
『俺、錬金術師目指そうかな』
『え?』
『あのひとにとって俺はその辺に転がってる石ころ程度の価値しかなかった。……きっと、かあさんも。
それを、変えたい。
自分は価値のある人間だって。あんたはもう忘れたかもしれないけど、かあさんはちゃんと生きてたんだって。そうあいつに思いしらせてやりたい』
『錬金術師になって?』
『金になって』
そしていつか宮廷錬金術師になってあのひとに言うんだ、とオニキスは言った。飢えを満たそうとするように。
『あんた、石ころみたいな男だな、って』




