26 アカデミーに帰還して
幸い、アカデミーは私の退学を保留にしてくれていた。
ブライト先生に相談室で話を聞かれ、私は「姉が体調を崩しまして……」とどこまで話していいか考えながら説明する。
「それで母はパニックを起こしてしまったようです。アカデミーを辞めろというのも、私にそばについていてほしかったからではないかと」
「ここに帰ってきてよかったのですか?」
「……ええ。いまはすこし落ちついたようですので」
でもまた電話がくるかもしれません、けれどそれは一時的な錯乱で本気ではないのでまともに受けとらないでください――と私はすらすらと嘘をついた。
母が錯乱しているのはたしかだろう。でも、あれは本気だ。本気で母は私を屋敷に閉じこめたがっている。
どうして? 母は私がきらいなはずなのに。顔も見たくないと思っているはずなのに。
ブライト先生は慎重にうなずく。
教師として家庭の問題にどこまで介入するかは難しいだろう。それより、と私は話の方向を変えた。
「姉の病についてお心当たりはありませんか。お医者さまも匙を投げてしまっているようなのです」
「具体的にはどのような症状が?」
私はピーターが記録してくれたノートを先生に渡す。
彼女はそれを真剣な顔で読み、「……念のため聞いておきますが、流行り病などではないのですね」とたしかめてきた。
「はい。似た症状がほかのひとたちにでたとは聞いていません」
「マナがゼロになっているというのもあまりないケースです。たしかに重い病にかかれば下がるものですが、あなたのおねえさんはまだ若く健康だったのでしょう。それなのにここまで下がってしまうとは」
「それで……あの、作り話なのは承知しているのですが……」
私は『風の錬金術師』の話を先生にする。
ブライト先生は真面目なひとだ。彼女にこの仮定を話すのは勇気が必要だったけど、なるほど、と彼女は真剣に受けとめてくれた。
「悪いアプローチではありませんよ。昔から言いつたえられている物語とは真実を語る側面を持っているもの。――ただ、その『宝玉』がなにを示すのか私にはわかりません」
「……そうですか」
「それについてご存じかはともかく……ハングマン先生は薬学に精通しています。あなたのおねえさんの病についてなにかわかるかもしれません。今日の放課後、時間を作ってもらえるよう私から話しておきます。場所はここで。いいですね?」
「あの、Aクラスのみんなも一緒でいいですか?」
ええ、とブライト先生は許可してくれた。
もう先生に話せることはない。「お騒がせしてすみませんでした」と私はあらためて頭を下げ、相談室をでようとする。その背中に彼女が声をかけてきた。
「以前と表情が変わりましたね、アイスフィアさん」
「変わった、って」
「やわらかくなりましたよ」
ブライト先生は授業中にほとんど雑談をしないし、ランチもひとりで食べる。生徒とは一線を引いて親しくしないタイプの先生だ。
だからこういうことを言われると思わなかった。私が返事に迷っていると先生はにこりと笑って、「はやくもどってあげなさい」と言ってきた。
「みんなが待ちくたびれてしまう前に」
私が相談室のドアを開けるとみんな廊下で待ってくれていた。一時間近く話していたのに。
「……ずっと待っててくれたの?」
驚いて尋ねると、ハニー・ビーが「当然じゃない」と答える。
「ハニー・ビー、ルルリがもし退学しちゃったらどうしようってずっと言ってたんだよ」
「なによ、ピーターだってそわそわしてたくせに」
「ほら、喧嘩するんじゃない。……で?」
どうだった、とダンテに聞かれて私はハングマン先生に時間を取ってもらえることになったと教える。
「みんなも一緒にって言っちゃったんだけど……よかった?」
四人は顔を見合わせ、なにがおかしかったのかオニキス以外はくすくす笑いはじめた。そしてハニー・ビーが言ってくる。
当然でしょ、と。
ブレザー類はともかく、授業に出る前に中のシャツは着替えたい。みんなと別れて寮の部屋――ここを出る前となにも変わってなくて安心する――に帰ると机の上のメモが目についた。
『風の錬金術師』を出版した会社に電話で問い合わせをしたときに書いたメモだ。
オルバート氏に子孫はいない。本のライセンスは彼らの遺言に従って出版社に移された。
彼ら? と私が尋ねると編集者の女性は教えてくれた。オルバート氏は双子の兄弟で、スミスというのはペンネーム。おにいさんが文章を書いて弟さんが絵を担当していたのだと。
ちなみに初版は子供に見せるには残酷だとバッシングを受け、次の版からは一部の内容が削除されているそうだ。
それを読ませてもらえないか頼んだが出版社も保管していないという。
王立図書館に行ったときに探せばよかった――と思ってもあとの祭りだ。私は小さく溜め息をつき、身支度を整えて教室へ向かう。
私が退学してしまうかもしれないという話はホームルームクラスにも伝わっていたらしい。
ちょうど休み時間だった教室に行くなりいったいなにがあったのとみんなから質問責めにされて、放課後になってもなかなか解放してもらえなかった。
「ルルリ、あんた辞めないわよね? 絶対ね?」
「……うん、大丈夫」
「ルルリさん……私たちでよかったら力になるから、なんでも言って」
「うん、ありがとう」
心配してくれるクラスメイトたちと別れ、私は一階の相談室へと向かう。その途中でオニキスと合流した。
彼は「エメラから本が届いた」と横に並ぶなり言ってくる。
「本?」
「『風の錬金術師』の初版。子供向けに編纂される前のやつだ」
彼は傍らにかかえていた本を私に見せる。
タイトルは同じ。でも絵がリアルというか、すこしおどろおどろしいタッチで描かれている。
「よかった。出版社に問い合わせても持ってないって言われてたの」
「そうだろうってエメラも言ってた」
「オニキスはもう読んだ?」
「休み時間に。そんなに長い話じゃない」
あとで読ませて、とお願いすると「そのために持ってきた」と彼は言う。そして溜め息をついた。
「エメラのやつ、ほんとうはこれを渡すために俺たちを呼びだしたのにすっかり忘れてたらしい。俺がおまえを連れてきたのがよっぽど面白かったんだな」
「どういうこと?」
「それは、……」
なぜかオニキスは口ごもる。
マナがない人間がそんなにめずらしかったのだろうか。エメラさまのツボもよくわからないわね、と思っていると「……たんだろ」と彼がなにかつぶやいた。
「え?」
「だから。おまえが俺の彼女に見えたんだろ」
あやうく階段を踏みはずしそうになった。「バカ、なにやってる」とオニキスが腕をつかんで支えてくれる。
「ごめんなさい。……だって、彼女って」
「あいつはすこし頭のねじが外れてるんだ」
「そこまで言わなくても……」
たしかに変わったひとではあったけれど。
「そういえばオニキスはエメラさまとどこで知りあったの?」
なにげない質問だったけれど、オニキスはそれに表情をこわばらせる。
ふれてはいけないことだったのだろうか。「話したくないなら……」と私が言うと、「べつにおまえにならいい」とためらうように返してくる。
「いい、けど。こんな廊下で話すようなことじゃない。……またそのうち」
「ええ……」
私はうなずき、そうしてからまだ自分がオニキスのことをなにも知らないことに気がついた。
彼が錬金術師を志している理由も。
あの不思議な表情で王城を見ていた理由も。
そして――
放課後、ハングマン先生から得られた情報は。
この世界はもうすでに先人たちによって隅々まで調べつくされている。そのうえで。
『宝玉』なんてものはこの世に存在しない、ということだった。




