25 前世で与えられなかったもの
アカデミーに帰ると私が言うとおかあさまは逆上した。そばにいたおとうさまがぎょっとするくらいの剣幕で。
話にならない。私たちはそう判断して、みんなが根負けして帰ったふりをしたあとで二階の自分の部屋の窓から抜けだすことにした。
特に持っていくものもない。おねえさまの書きかけの手紙と鞄だけだ。最後にもう一度おねえさまの顔を見にいって、「みんながいれば大丈夫だから。絶対に助けるからね」と話しかけてから自分の部屋にもどろうとする。
その途中でメイドのサリーとでくわした。
彼女は両親が近くにいないことをたしかめ、「……アカデミーにもどられるのですよね」とささやいてくる。
これまでずっとサリーは触らぬ神に祟りなしという体を貫いていた。彼女が味方なのかどうかわからず、黙っていると、「モモラさまから言われていました」と問わず語りに話しだす。
「おねえさまから? なにを?」
「絶対にルルリさまをこの家に入れてはいけない。もし帰ってくることがあっても追いだして。それは絶対にあの子の意思じゃないから、って」
「…………」
「……気づいていました。ルルリさまが、ルルリさまだけがこの家でひどい扱いを受けていることを。何度も助けなければと……でも私、ここを辞めさせられたら、行く場所が……」
「気にしなくていいわ」
メイドひとりにこの家をどうにかできたとは思えない。私に優しくしないよう彼女は命じられていただろうし。
「私のことなんていい。それよりおねえさまをしっかり見ていて」と私は彼女に言う。
サリーはこくりとうなずいた。
二階の窓からみんなが息をひそめて待っている裏庭へ飛びおりるとき、私は自分の背中に羽根が生えたような気分になった。
もちろん空なんて飛べるはずもなく。
まっすぐ落ちていった私は、オニキスに受けとめられて無事に着地した。
「医学的なアプローチは医者がしているはず。だからやっぱり、僕たちは錬金学的なアプローチをしていくべきだと思うんだよね」
家から離れたところに呼んだ箱馬車に乗りこみ、私たちはおねえさまについての話をする。
もっともらしくそう言ったのはピーターだった。「具体的に言うと?」と私は尋ねる。
答えたのはオニキスだった。「『風の錬金術師』」と彼は腕組みしながら言う。
「あの『宝玉』を見つければおまえの姉も治ると仮定して話を進めたい」
――そして、それは同時に私のマナをも治す手段となる。
「だとしても手がかりがないのは変わらないわ」とハニー・ビー。「あの話の錬金術師……なんて名前だったかしら……は流れの錬金術師だもの。出自もなにもわからない。どこで『宝玉』を手に入れたのか謎なのよ」
「だからあれは『賢者の石』のことだよ。錬金術師が持ってる、とにかくすごい物質といえばそれに決まってるじゃないか」
「それでも手がかりがないのは変わらないでしょう? というかなによ、とにかくすごい物質って」
「『賢者の石』はこの世のありとあらゆる願いを叶えると言われてる。とにかくすごい物質だろ!」
「たしか絵本では無色透明だったな……」とダンテがつぶやく。「『賢者の石』と言えば赤色だ。同一だとしてもそうじゃないとしても、決めてかかるのは危ないんじゃないか?」
「……そうかもしれないけど」
「やーい、注意された」
「うるさいなぁ!」
私もふくめ、『宝玉』または『賢者の石』についてみんな有効な手がかりは持っていないようだ。
「とにかく、アカデミーにもどったら先生たちに聞いてみるぞ。特にハングマン先生は薬学専門だ。なんか知ってるかもしれない」とダンテがまとめる。
「……そう、ね」
おかあさまが退学の連絡をしてしまったというアカデミーにもどるのは勇気がいる。
まさか本人に確認もせず手続きをしてしまうとは思えないけど、でも、と悪い想像が止められない。
――アカデミーにもどったら私の席がなくなってたらどうしよう……
その不安を見透かしたように「考えすぎだ」と私の向かいにいるオニキスが言う。
「だれがどう見たっておまえの母親は正気じゃない。いくら親とはいえ、正気じゃない人間の言うことをそのまま受けいれるほどアカデミーはアホじゃない」
「ええ……」
「万が一退学になってたら俺たちが抗議する」
「そうよ。そんなことしたらひと暴れしてやるわ!」と私の隣にいるハニー・ビーも同意した。ピーターとダンテも乗ってくる。
――そうだ。私はもうひとりじゃない。みんながいてくれる。
ふっと泣きそうになってしまったのをごまかすために「頼もしいわ」と私は笑った。
ずっとそうだった。学校では私は利用されるだけ。『仲よしの友達』とか『自分の味方』とか『恋の邪魔をする子』とかそんな役目を与えられて、その役通りに演じることしか求められていなかった。
それが集団生活をうまく生き抜くコツだと思ってたし、私だってほんとうに信頼できる相手なんて求めていなかった。
どうせ人間なんて裏切る。実の子でも殴れるし捨てられる。期待なんてするほうが悪い。
学校でも会社でもそうだった。表面上は全員とうまくやりながら私の心はつめたく冷えていた。
周りにもそれはきっと薄々伝わっていただろう。私がいまと似たような窮地に陥っても、こうやって心配してくれるひとはだれもいなかっただろう。
前世の私はそれでいいと思っていた。
他人は私を助けるものじゃない。ひたすら搾取するものでしかないと、ほかのだれでもない実の親に教えられたのだから。
こっちの世界でだってそれは変わらないはずだった。
でも私には無償の愛をくれるおねえさまがいた。私のために泣いたり怒ったりしてくれるおねえさま。彼女はずっとそばで私を支えてくれていた。
肉親の愛情。
それは、瑠璃として生きて瑠璃として死んだ私が最後まで知らなかったもの。
そして、いま。
友達からの、仲間からの友愛をこんなにも深く感じている。
私は前髪を払うふりをして涙をぬぐった。
両親に愛されたい。そんな、ばかみたいな願いはけっきょく叶わなかったけれど。
――ねえ、神さま、と私は窓の外の青空を見ていままで一度も信じたことがなかったなにものかに話しかける。
私がこうしてべつの世界でもう一度生きることになったのは。
前世で与えられなかったものを与えてくれるためなのですか――?




