22 名前のない病
その知らせは朝のホームルームが始まる前にもたらされた。
いつもよりはやくブライト先生がきた、と思ったら「アイスフィアさん」と私を呼ぶ。なにかと廊下に出ると「あなたのおかあさまから電話がかかってきています」。
「おかあさまから……?」
「具体的なことはあなたに直接話すとおっしゃっています」
まず私が思いついたのは、いやがらせ。錬金術なんて学ぶのはやめて家に帰ってこいという内容だ。
次に思いついたのはほんとうに大事な連絡があってかけてきたというもの。たとえば父やおねえさまになにかがあったとか。
それに、あれだけ反対していた母がいままでなにもしてこなかったのはおねえさまがきっと防波堤になってくれていたからで――どちらにしてもおねえさまになにかあった可能性がある。
「……わかりました。すぐ出ます」
私は先生と事務室まで行き、そこの壁にかかっている電話器の前に立った。ブライト先生は廊下にいますと言って部屋をでていく。
電話は保留になっているようだ。私は知らない間に冷たくひえていた手を一度胸の前でにぎりしめて、金色に光る受話器を取る。
すぐに母の怒鳴り声が聞こえてきた。
『――ルルリ!? ルルリね!? はやく帰ってきなさい!』
「……おかあさ、」
『モモラがずっと寝込んでいます。姉が苦しんでいるのにあなたは遊びほうけて。モモラに悪いとは思わないの? すぐ帰ってきなさい!』
支離滅裂な言葉、だけどモモラおねえさまが寝込んだということだけは理解できた。
「おねえさまが――?」と尋ねかえす前に電話は切れてしまったけれど。
「…………」
私はノイズだけを返してくる受話器を見つめる。
もう一度こちらから電話をかけても母は同じことを言うだけだろう。おねえさまが寝込んだ、すぐ帰ってきなさい、と。
……あんな家、二度と帰るかと思ってたけど。
おねえさまになにかあったのなら話はべつだ。私は不器用な手つきで受話器を置き、いまの話をブライト先生に伝えるために事務室をでた。
ブライト先生はすぐ馬車を手配してくれた。ここから駅まで行って、地元のシルカ地方についたらまた馬車に乗り換えだ。
私は制服を着たまま、お財布や学生証など必要最低限の荷物が鞄に入っていることをたしかめて馬車に乗りこんだ。
その頃にはもう授業がはじまっている時間になっていたので見送りは事務員のひとだけだ。本校舎の窓からだれかがこちらを見下ろしているような気がしたけど、たしかめる余裕はなかった。
――おねえさまが寝込んだ……
それもずっと寝込んでいる、と母は言っていた。風邪? それともべつのなにか?
ちゃんとお医者さまには診せただろうか。診せた、と信じたい。寝込んでいるのはいてもいなくてもいい妹のルルリじゃなくて、大切なおねえさまなのだから……。
きっとおかあさまが大袈裟に言っているだけ。ただの風邪に決まっているわ。いえ、どうかそうであってほしい。
私は制服の上からエメラさまにもらった指輪を手のひらで押さえた。彼がくれたこれは、オニキスがくれたチェーンに通してなるべくずっと身につけるようにしてある。
――だれでもいい。おねえさまを助けて。
揺れる列車、そして馬車の中で焦りばかりが募っていく。
四時間ほどの道のりが永遠のように思えた。
やがて見なれた屋敷――二階建てのこじんまりした洋館――が近づいてくる。
屋敷が見えてきたのになかなかたどりつけないのがもどかしくて、もうここで下ろして、あとは走るからと言いそうになった。
動転している。わかっていても冷静になれない。
やがてようやく馬車が屋敷の前につき、私はそれと同時に飛びだした。扉を乱暴に開けはなって「おねえさまは!?」と叫ぶ。
ひとりしかいないメイドがキッチンのほうからでてきて、私を見て複雑な表情を浮かべた。痛ましそうな――申しわけなさそうな。
「……帰ってきてしまったんですね、ルルリさま」
「おねえさまは?」
「お二階です。ですがいまは、奥さまがつきっきりで……」
彼女がそう言いおわるかおわらないかのタイミングで足音が聞こえてきた。大階段の上から、こつり、と。
母が私を冷たい瞳で見下ろしていた。
「……やっと帰ったのね、ルルリ」
「…………」
「はやくこっちにきてモモラに謝りなさい。モモラが倒れたのはあなたのせいよ。あなたが家のことをなにも考えずに飛びだしたりなんかするから、モモラが業を背負ってしまったのよ」
私はきつく唇を引きむすぶ。
委縮したようにうつむいているメイドの横を通りすぎ、大階段を上る。おかあさまは私のアカデミーの制服を一瞥すると、私がぼろきれでも着ているかのようにあからさまに顔をしかめた。
……見せたかったな。
このひとじゃなくて、おねえさまに一番に見せたかったな……。
胸がずきりと痛む。
私はひとりでおねえさまの部屋の前に立ち、ノックをしたあとでドアを開ける。
おねえさまはベッドであおむけになって眠っていた。私が近づいてもなにも反応しない。呼吸は苦しそうで、顔は紙のように白かった。ふっくらしていた頬は痩せこけてしまっている。
「おねえさま。私よ、ルルリ。……わかる?」
私は彼女の手をにぎる。おねえさまの手は氷のように冷たかった。そして骨っぽくなっている。
いつだってこの手は私の味方でいてくれた。私が両親に虐げられているときも。社交界で置物のように無視されているときも。
おねえさまがいたから私はここまで生きてこられた。世界で唯一、おねえさまだけは私を愛してくれていたから。私のことを大切な妹だと言ってくれたから。だからどんなに辛い目にあっても平気だったのに。
「おねえさま。返事をして、おねえさま……」
私は彼女の胸に覆いかぶさる。――お願い。目を開けて、とすすり泣きながら。
どれくらいそうしていたのだろう。おかあさまが部屋に入ってくると、私の背後に立って言った。
「いま、アカデミーに連絡したわ。あなたは今日付けで退学すると。理由はわかるわね?」
「…………」
「これはあなたが好き勝手やった罰よ。あなたのせいでモモラはこうなったの。もう一週間も眠っているしどんな薬も効かないのよ。こんなことある? あなたのせいに決まっているわ。反省しなさい」
「…………」
「錬金術師? くだらない。あなたはなにをやってもだめなんだから夢なんて見るのはやめて一生この家にいなさい。どうせアカデミーでも笑われていたんでしょう。アイスフィア家の名が汚れるわ。――ああ、ほんとにあなたは余計なことばかり! ふざけないで! どれだけおかあさまに迷惑かけたら気が済むの!? くだらないくだらないくだらない……」
「…………」
「どうしてモモラがこんな目に遭わなくちゃいけないの!? どうして私の大事な娘が……。ああ、モモラじゃなくてあなたがそうなればよかったのに! 可哀想に……」
……ほんとうね。
ほんとうに、おかあさまの言うとおりね……。
こんなひとの言うことなんて平気なはずだった。だって前世では私はもっとひどいことを言われていた。父にも母にも。毎日死ねと言われて、怒鳴られて、殴られて、やっと父から自由になったと思ったら今度は母がおかしくなってしまって。もう死ぬからねって呪いのように何度も何度も何度も何度もそう言われて。大好きなママは死にたくなってしまって。でもそれは私のせいで。
……私のせい?
私のせいで、ママは泣いてるの?
「あなたなんて産むんじゃなかった」
『……なんで、こどもなんて産んじゃったんだろ……』
私が生まれてきてしまったから。
ママは、ふこうになったの?
「――あ……」
目の前が涙で見えなくなる。
あ、そっか。ぜんぶ私のせいなんだ。
私が生きてるから、みんな不幸に――――
それからどうやって自分の部屋にもどったのかは覚えていない。真っ暗な部屋で私はひとりうずくまり、いつまでも泣いていた。
そのうち泣くのにも疲れてふと顔をあげる。
そこにだれかが立っている気がした。
逃げたかったのに逃げられなかった相手。あのひとは私の前へくると、私の首に両手を伸ばして……
「——なによここ。ルルリの家のくせに狭いわねえ。馬小屋かと思ったわ!」
すべてをあきらめて目を閉じたとき。階下から、そんな声が聞こえてきた。




