02 ま、私には生温いですけど
おとうさまは小馬鹿にしたように鼻を鳴らしたあとで答えた。「ああ、べつにいいだろう。できたらの話だがな」
「ありがとうございます。では後ほど誓約書にサインしていただきますわ」
「好きにしろ。念のため言っておくが、私は一切費用を出さないぞ。勉強に必要なものはすべて自分で買え。教材費や受験料、すべてだ」
「おとうさま、そんなの……」
「はい、かしこまりました」
私は悠然とうなずく。
おねえさまは心配そうに私を見ていたけれど、すぐにおとうさまが話題を社交界でのできごとに変えてしまった。灰かぶりの私には全然わからない話題に。
「ルルリちゃん……だいじょうぶ?」
夕食後、早々と自分の部屋にもどった私を心配しておねえさまが顔を覗かせる。
「平気よ」と使えそうなものがないかデスクを探していた私は彼女のほうに向きなおって答えた。
おねえさまはベッドに腰を下ろす。
「おとうさまの仰ったことは気にしなくていいからね。私、ルルリちゃんならなんだってできると思う。あなたは忍耐強くて頭のいい子ですもの」
「おねえさま……」
不意打ちの優しい言葉に目頭が熱くなる。あの両親からこんなに素敵なひとが生まれるなんて。
おねえさまはほんとうに恋愛小説のヒロインとしてふさわしいひとなんだわ。
「お金も私が出すわね。ドレスやジュエリーを売れば工面できるから」
「おねえさま、そんなことしなくていいわ」
「でも──」
「私はきれいなおねえさまを見るのが好きなの。きれいなドレスを着て、きれいなジュエリーで身を飾ったおねえさまを見るのが」
もちろん普段着のおねえさまも好きだけれど、とつけくわえる。
ちなみに私の服はすべておねえさまのお下がり。新しくあつらえてもらったことなんて一度もない。ジュエリーもひとつとして持っていなかった。
おねえさまはそれを気の毒がって、『このドレス、サイズ合わなかったから』とまだ一度も着ていないドレスを私にくれたり、『おかあさまにばれないようにね』と本物の宝石がついたネックレスを私にくれたりした。
でも、けっきょくそれは目ざといおかあさまに気づかれてしまって──
せっかくのドレスはハサミでずたずたにされて。ネックレスは、ゴミとして捨てられてしまった。
それから私はおねえさまがなにかをくれると言っても断っていた。私以上におねえさまが悲しんでしまうから。
「それにお金を稼ぐ手段は考えてありますの。挑戦させてください」
「え? なにをするの?」
私はにこりと笑う。「まだ秘密ですわ」
翌日。私は国営庭園の片隅にあるガゼボで暇を持てあましたご夫人と向きあっていた。
「あなたのご両親──なくなっていませんね?」
「ど、どうしてそれを……! たしかに私の父は二年前に病で亡くなりました」
「そしてあなたは未来に不安を抱えている」
「は、はい……。息子の縁談がなかなか決まらなくて。このままだったらどうしようかと思うと夜も眠れないんです」
「では、ご子息のことを占いましょう」
タロットカードはわかりやすく大アルカナだけを使うことにした。テーブルでカードをシャッフルし、クロスプレットにする。
「まずはご子息の現状を見てみましょう」と言いながらカードを一枚ずつ表にしていった。
「これは『隠者』の正位置ですね。自分の内側に引きこもってしまっていることを示唆しています」
「ああ……。その通りです」
「次になにが妨害しているか。これは……『節制』の逆位置。ご子息は変化を恐れ、積極的に動くことができないのかもしれません」
「言われてみると……あの子は昔から消極的なんです。気になる方がいてもなかなか声をかけられないし、仲良くなれても関係を進められないし」
「次に……」
というように現状・妨害しているもの・ほんとうの望みはなにか・その望みを叶えるためにやるべきことはなにか・なにから始めたらいいのかをカードを見て順番に述べていく。夫人の話をよく聞きながら。
「──物事は必ず好転しますよ。心配なさらないで」
「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます!」
悩みを打ち明けられてさっぱりした顔で夫人はベンチを立ち、すこし離れたところで待っていた友人たちのもとへもどっていく。
彼女の話を聞いた友人のひとりが私のところにやってきた。
「あの、私もお願いしてよろしいでしょうか?」
「ええ」私は微笑みでそれに応える。そして傍らに置いてあった小箱を手に取り、さりげなく彼女に見せた。
「一回1000Gになります」
現世でタロット占い。そして、前世でコールドリーディングをかじったことがあったのが功を奏した。午前中で稼いだお金をおねえさまがこっそり貸してくれたハンドバッグに大事にしまい、午後は図書館で錬金術の勉強をする。
ご夫人方のネットワークは侮れない。私に占ってほしいと希望するひとは日に日に増えてゆくことだろう。場所を移動すれば客に困ることもないし。この調子なら教材費も入学費用は問題なく稼げる。
──意外と上手くいきそうじゃない?
手応えを感じながら私はアイスフィア邸に帰宅する。私を心配してくれていたおねえさまに上手くいったことを伝え、せっかくなので彼女も占ってあげたあとで夕飯の時間になった。
私たちは食卓につく。
でも、いつまでも待っても私の前に皿が置かれることはなかった。
「……私の夕食は?」
ひとりしかいないメイドに尋ねると、「え、えっと……」と彼女は困ったようにおとうさまを見る。
おとうさまはワインを一口飲んだあとで言いはなった。
「私に逆らった罰だ」
「──おとうさま! あんまりです!」
おねえさまが立ちあがって叫ぶ。
「なにを勘違いしているんだ?」とおとうさまは平然とした顔でつづけた。
「モモラ、これはおまえが私に逆らった罰だ」
「……え?」
「おまえが私に口答えした場合、ルルリの食事を抜きとする。ルルリの受験を手伝った場合も同様だ。おまえは一切手をだすな。
──自分に罰を与えられるより、おまえにはこのほうが効くだろう?」
「な……」
おねえさまは愕然とする。
……なるほど。たしかにおねえさまは自分よりも私が食事抜きにされるほうがつらいだろう。
娘ふたりを支配下に置きたいなら有効な手段だ。
「ふう……」
ま、私には生温いですけど。
「おねえさま、気にしないで。一食くらい抜いても平気よ」
「ルルリちゃん……ごめんなさい、私のせいで……」
「おねえさまのせいじゃないわ」
──そこの赤ら顔のオヤジのせい。
あてこすりを言ってみたが、おとうさまは無視して悠然と鴨肉をナイフで切っている。おねえさまは悔しそうにイスに座りなおした。
「残さず食べなさい。残した場合も、ルルリに罰を与える」
「…………」
「返事は」
「……わかりました」
これから、おとうさまは適当な理由をつけて私に食事させないつもりだろう。明日からは外で食べてきたほうがいいわね、と私はなんの感情も表にださないようにしながら考える。
おとうさまは私がこれで心が折れて錬金術師への道をあきらめると考えているかもしれない。
でも、それは私が前世を思いだすまでの話だ。
『あぁあああああっ! 死ね死ね死ね死ね! おま、おまえたちのせっ、俺は、ダメになっちまったんだ! このザコが! ああああ!! 死ね!!』
私の父はアル中のクズだった。酒を飲んでは私と母を殴り、酒が足りないと言っては私と母を殴った。
言葉なんて通じない。ただの怪物。
私と母は常に暴力とその向こうにある死の気配に怯えていた。
私が六歳のときに児相が介入してきて父は施設送りになったのだけど。
あの地獄の日々に比べたら、こんないやがらせ『いま……なにかしたかしら?』程度でしかない。
──食事抜きが罰なんて、かわいらしいひと。
──私の心を折りたいならナイフを突きつけてくるくらいしてくださらないと困りますわ。
私は心の中でおとうさまを憐れむ。
「このソース、味が薄くないかしら?」とおかあさまがとぼけたように言っていた。




