第九章 本性解放
宿を出て、村のギルドに盗賊を処理した件を報告した。
「ご協力ありがとうございます。あの盗賊たちは村人にも商人にも長年の悩みの種でして。報奨金として金貨十二枚をお渡しします」
コインを財布に入れ、冒険者カードを受け取った。
冒険者カード。
黒影キイル。
冒険者資格有効期限残り 二年、三ヶ月、四日、十三時間三十三分。
「いつ更新したか記憶にないが……残り期間からすると、更新から三年近く経っていない計算になる」
カードをしまってパン屋へ寄り、塩パンを二つ買った。一つを齧りながら、もう一つはアンのために。湖のほとりの柵にもたれかかった。
チーター人間と本性解放か……
獣人の固有能力、あれで第一段階だというなら相当だ。アンがいなければもっと時間を取られていた。
後ろから羽ばたきの音がした。
「あぶなっ——」
振り返ると、一対のサンダルが視界を塞いだ。鼻を潰され、体が後ろへ吹き飛ぶ。
ザブン。
冷水が全身を包んだ。息が泡になって消えていく。
くそ、パンが喉に詰まった。
息が出来ない。水を掻いても掻いても光から遠ざかる。
ザブン。
目の前に泡が広がった。瞼がゆっくりと下りる。誰かが手を伸ばしてくる。
息が止まる。鼻から水が入った。視界が暗くなった。
***
「キイル、決勝で俺と当たったら手加減するなよ。お前の攻撃、俺なら耐えられるから」
「アカシ、お前が決勝まで来られると思ってるのか。決勝でキイルと戦うのは俺だ」
アオイ……あの日のこと、まだ許してない。
目が開いた。体を起こした。全身が冷たく、頭が水で重い。
ゲホッ……ゲホッ……
水が口から出た。視界が滲んで、じきに横にいる人物が見えた。
「だ、だ、大丈夫なのですか?」
相手もずぶ濡れだった。
「さっき俺を湖に蹴り落としたのはお前か?」
息を整えながら、殴らないよう自分を抑えた。
「そ、そうです……ごめんなさい……本性解放の制御が出来たばかりで、飛行の練習中で……」
本性解放? 飛行?
「鳥人間か?」
「は、はい……より正確にはオウム人間なのです。フェオといます」
近くの食堂に入った。濡れ鼠の二人組だったが、休ませてもらえた。
アンへのパンを取り出した——ぐしゃぐしゃに潰れていた。
フェオが視線を落として指を回していた。青に黄色のグラデーションがかかったオウムの髪色だった。
「それでフェ——」
「はい?」
「まだ終わってない」
「す、すみませんなのです……」
深く息をついた。
「手短に言う。許してほしければ——」
「わかりましたなのです、パン買ってきます!」
フェオが立ち上がってテーブルを叩いた。俺はその手を引いて座らせた。
「最後まで聞け」
「は、はい……」
「一つ目、パンを一つ買ってこい」
フェオの唇が震えている。寒さか、また喋りたいのか。
「二つ目、本性解放について教えろ」
「本性解放……なのですか?」
「あ……本性解放は、獣人のストレスが急激に高まったときに起きるやつなのです……」
「鳥人間の私の場合……第一段階で翼が生えます」
「第一段階? 他にもあるのか?」
フェオがゆっくり頷いて、指を二本立てた。
「第二段階もあります。鳥人間だとくちばしが生えて、足が細くなります」
くちばし? 何だそれ。
「くちばしって何だ?」
「えっと……うまく説明できないんなのですが……くちばしに似た口を持つモンスターがいたはずなんですが、名前が出てこなくて……」
フェオが手をばたばたさせながら困り顔をした。
「わかった、続けろ。他の獣人は?」
「私が知ってる範囲でいうと……ネコ系だと第一段階で瞳が縦に細くなって、歯と爪が鋭くなります」
ネコ系……さっきのチーターとも共通点がある。同じ系統か?
「第二段階になると?」
「口元が少し前に出てくるんなのですが、くちばしにはならなくて……あと体毛が増えます」
「あと……ネコ系は第二段階になると手足に柔らかい何かが出てくるらしくて」
実物を見ないと全然ピンとこない。
「フェオ、もう一つ条件を追加する」
「三つになるんですか!?」
「本性解放の第一段階を見せろ。第一段階だけでいい」
今の彼女の手は普通の人間の手だ。あの翼がどこから来たのか確かめたい。
フェオがゆっくり頷き、両腕を上に伸ばした。服の背中から何かが滲み出て、腕に絡みついていく。
みるみるうちに羽毛が広がり、翼になった。
……魔法じゃない、明らかに。
「それ、どこから出てくる?」
「肩甲骨から……なのです」
「翼になる前を直接見てもいいか?」
「え?」
「ダメか?」
「……いいなのですけど、人が少ないところで」
人が少ないところ? なぜ?
「じゃあ俺が借りてる宿に行こう」
「ええっ!?」
なんでそんな反応するんだ。
***
宿に行く前にパンを買い、アンの分を用意した。フェオを部屋に連れていくと、顔がトマトみたいに真っ赤だった。
「ベッドに座っていろ、フェオ」
フェオがベッドに腰を下ろした。後ろに回る。フェオがゆっくりと服を脱ぎ始めた。うなじが見え、布地が下がっていく。
肩甲骨の辺りに何かある。翼を小さくしたような突起が、左右対称に。
「これか……触っていいか?」
「は、はいなのです……優しくお願いします」
手を伸ばしてそっと触れた。
「んっ……」
「ほう……指には少し固いが、柔らかくもある」
ドアがゆっくり開いた。アンが入口に立ち、固まった。
「先輩、どこ行ってたか探し——」
「おアン、起きたの——」
「先輩なんであれ、あ、あ、あ……」
フェオが跳び上がって服を着直した。
「ち、違います、あのこれはそのあ、あ、あ……」
「二人して何やってるんですか」
宿の椅子に三人で座った。俺の向かいにアンとフェオ。
「すみません先輩……変なことしてると思っちゃって」
「何が変なんだ、翼の付け根を確認したかっただけだ」
「そ、だから服を……ということで……」
何がおかしいんだ。服を脱がなければ見えないだろう。まあ……フェオが女だとは思っていなかったが。
「フェオ、お前女だったのか」
「声からして分かりませんなのでしたか……?」
確かに……怒りに頭が回っていなかった。
「悪かった、フェオ。アンが誤解するのも無理はなかった」
「い、いいえ……驚いただけです」
アンはまだ頬に両手を当てていた。
「アン、熱でもあるか? 一緒に医者に行くか?」
「大丈夫です、熱はないです」
「そうか」
フェオが少し落ち着いて、ふっと息をついた。
「……なんで先輩って呼ばれてるなのですか?」
「本物の先輩だからだ」
「あ……そうなのですね」
少し間があった。
「先輩が翼を知りたがったのって……なんでですか?」
「本性解放についての知識があれば、獣人の盗賊と戦うときに役立つ。さっきそういう場面があったからな」
「獣人の盗賊……」
フェオの目が曇った。体から力が抜けていくのが分かった。
「学院で習わなかったんですか? 先輩がいなかった頃に授業で——」
「俺がいなかっ——」
「お二人、学院から来てるなのですか?」
フェオが立ち上がってテーブルを叩いた。食堂全体が静まり返った。
「あ……すみません」
「どうしたフェオ?」
フェオが一度視線を落とし、ゆっくりと俺を見た。
「あの……私も、学院の街に向かってるんなのです」
「家族に会いに行くのか?」
俺はピッチャーから水を注いでグラスを回し、口をつけた。
「来学期から入学する予定で……一年生です」
ブッ——。
水が前に飛んだ。
「うわっ……先輩、私にまでかかったじゃないですか」
ゴホッ、ゴホッ……
獣人が、学院に入れるようになったのか……?




