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第7話 穴の地図

 朝のヒタカミは、霧より先に“言葉”が降ってくる。

『――おはよう、ヒタカミ。

 昨夜の騒ぎで、少しだけ胸がざわついている人もいるでしょう。

 でも大丈夫。

 この街には、いつも通りの音があります。

 あなたの呼吸は、正常です。

 深呼吸を。――ミチル・ウィステリアでした』

 ジングルの最後に、短いノイズが混ざった。

 それは昨日より、ほんのわずか長い。

 霧の向こうで歯車が回り、配管が唸り、塔が白い光を薄く拡散させる。

 ヒタカミは今日も“見守り”の顔をしている。

 けれど、事件部の机の上には、見守りよりもずっと露骨なものが載っていた。

 ――紙面。

 ヒタカミタイムス朝刊。

 事件部欄の、見出し。

《蒸気レンズ塔 地下倉庫で記録板盗難 警察が捜査》

 シノはその見出しを見て、尻尾の先だけをぴくりと揺らした。

「……これ、“盗難の概要”っていうより、“安心の概要”じゃないですか」

 呟いた声は、机に置いたコーヒーの湯気に吸われていった。

 そのコーヒーは、アグサが淹れたものだ。濃い。濃すぎて、匂いだけで目が覚める。

「そりゃそうよ。概要は、表に出すための“型”だから」

 赤髪ポニーテールの先輩記者・アグサは、三白眼を細めたまま、紙面の端を指で叩いた。

 コーヒーのカップは四杯目だ。カップの底に残る“絶望色”の輪が、増えている。

「編集長、ここまで削るんですね……」

「削ってない。整えてるのよ。

 ――“刺さらない形”に」

 アグサはコーヒーを啜り、平然と言った。

「でも……穴は?」

 シノは紙面を裏返して、原稿の控えを引っ張り出した。

 自分が書いた原稿の中には、ちゃんとあったのだ。

《地下倉庫床面に掘削痕。土砂の流入。外周地盤と同質。

 ――“下”に道がある可能性》

 赤ペンでぐちゃぐちゃに潰されている。

 潰された文字の下で、紙が少しだけ波打っている。

「穴、丸ごと消えてます……」

「丸ごとじゃない。ほら」

 アグサはシノの控えを取り、赤ペンの潰しの横に残った一行を指した。

《警察は地盤・配管点検も含めて慎重に調査を進める》

「……これだけ」

「これだけ。だから、これを“糸口”にするのよ。

 “点検”って言葉は便利でしょ。何でも包める」

「包みすぎです……」

「包まないと、街が刺される。

 そして――刺される前に、こっちの胃が破裂する」

 アグサは自分の胃のあたりを押さえ、ため息をついた。

 シノは紙面をぎゅっと握りしめる。

 昨日、自分の耳の奥で聞こえた声が、まだ残っている。

【――被疑者は、正常です。安心してください。】

 “正常”と“安心”の押し付け。

 噂は刃物。記事は形。

「……でも、穴は、あるんです」

 シノが言うと、肩の上のカエル型ロボット・カジカが、ランプを一度だけ点滅させた。

「ログ上、穴は存在。土の粒径と湿度、外周と一致。

 削除は事実の消失ではない。紙面上の見え方の調整」

「カジカ、その言い方……」

「事実は事実。

 でも“見え方”で、街の行動は変わる。

 ――シノ、心拍数上昇。尻尾膨張。怒り指数、上昇」

「データで言わないでよ!」

 事件部の片隅で、タイプライターがカタカタと鳴る。

 まだ眠気の残る記者たちが、紙面の噂を肴にしている。

「塔、封鎖続いてるらしいぞ」

「でも朝から普通に光ってたよな」

「盗難って、結局どのくらい盗られたんだ」

「記録板って何だっけ。掲示板の板?」

「安心板だろ。貼っとけば安心」

 笑い声。

 その笑いの隙間に、シノの胸のざわめきが落ちていく。

 そこへ、気送管が「ぽんっ」と紙束を吐き出した。

 封筒。編集部印。赤いスタンプ。

《警察発表・追加情報》

「……来たわね」

 アグサが封筒を開ける。

 中身を一読し、眉をほんの少しだけ動かした。

「追加情報?」

 シノが身を乗り出すと、アグサは紙をひらりと持ち上げた。

「“掘削痕が外周方向へ延びている可能性”――だって」

「ほら!!」

「落ち着きなさい。

 “可能性”は、まだ可能性よ」

 アグサは紙を机に置き、シノの目を見た。

「シノ。

 いま大事なのは、紙面で叫ぶことじゃない。

 ――“地図”を作ること」

「地図……?」

「穴の地図。

 どこに穴があって、どこへ繋がってるか。

 それが掴めたら、記事は変わる。警察も動く。

 “安心”の上書きが間に合わないところまで行けるかもしれない」

 シノは喉の奥でごくりと唾を飲み込む。

「……私、作れますか」

「作れるわよ。

 だってあんた、嗅ぐでしょ」

 アグサの視線が、シノの鼻先に落ちた。

「……え、私の鼻?」

「タヌキの鼻。

 うちの事件部に配属された“最強の現場センサー”でしょ」

 シノの耳がぴくんと動いた。

 褒められているのか、使われているのか、よくわからない。

 でも、胸の奥で小さな火が点いた。

「……行ってきます」

「待ちなさい。

 行くなら、“段取り”」

 アグサは机の引き出しを開け、紙袋を出した。

 中には、小さな焼き芋。

 新聞紙に包まれていて、ほのかに甘い匂いがする。

「車内販売のサツマイモ事情、調べたんでしょ。

 余りを一本、もらってきたわ。

 ――現場はお腹が減る。お腹が減ると判断が雑になる」

「アグサ先輩、神ですか……芋神」

「ふふ、カフェインと糖分の化身よ。

 あと、ひとつ」

 アグサは紙を一枚、シノの手帳に挟んだ。

 警察発表のコピー。

 そこに、手書きの小さなメモがある。

《外周点検班:コマキ(塔受付)

 “地下の書類”は彼が握ってる》

「コマキさん……」

 昨日、塔で会った寝不足の受付係。

 睡眠が盗まれてる、と吐き捨てた男。

「行って。

 ただし、単独はダメ。カジカと一緒。

 タキシタさんにも、どこへ行くか言っておきなさい」

「タキシタさんに……?」

「言わないと、次は本当に“参考人”じゃ済まなくなる。

 あの人、雑だけど……嫌いじゃないわ」

 アグサはそう言って、コーヒーを飲み干した。

「――上書きされる前に。

 取ってきなさい、穴の地図」

 シノは焼き芋を紙袋にしまい、カバンを肩に掛ける。

 義手の真鍮が、きゅっと鳴った。

「行ってきます!」

 事件部のドアを開けた瞬間、廊下の空気がひんやりしている。

 霧の匂い。蒸気。油。

 その奥に、昨日の“土”が微かに混ざっている気がした。


* * *


 蒸気レンズ塔は、朝の霧の中で相変わらず白い“瞳”のふりをしていた。

 入口の黄黒ロープはそのまま。立入禁止札もそのまま。

 けれど、警備の人数が増えている。

「……増員」

 カジカが肩の上で小さく言った。

「盗難後のセキュリティ強化。合理的。

 ――でも、合理的なほど、“見せる”意志が混ざる」

「見せる意志……」

 シノは塔を見上げる。

 天井の白い膜を通して拡散した光が、塔の表面を舐めるように滑っていた。

 まるで“何も起きていない”と塗りつぶすみたいに。

 入口のカウンターに、名札“コマキ”。

 今日も乾いた目。

 机の上には紙束。未処理。カップは二つ。片方は冷えたまま。

「……また来たか。今度は新聞社だけじゃない顔だな」

 コマキが、シノの肩のカジカを見る。

「……コマキさん」

「昨日は刑事付き。今日は……何だ。観光か? 塔の地下ツアーでもする気か?」

「観光じゃないです。

 昨日の盗難、記事にしたくて……」

「記事? 記事はもう出たろ。

 たいした内容じゃなかったがな。“概要”だけで」

 コマキが吐き捨てるように言った。

 シノの耳が少しだけ垂れる。

「……穴が消えてました」

「消えるさ。

 穴は困る。穴は“正常”じゃない。

 ――でも、現場には穴がある」

 コマキは机の引き出しを開け、紙の束を取り出した。

 それは図面だった。塔の地下の配管図。

 そして、別の紙。古い紙。端が黄ばんでいる。

「地下倉庫の床下。

 昔の補強計画の図面だ。

 “外周地盤との接続”がある。あった。

 ……誰も見ないことになってる」

「それ、見せてくれるんですか……?」

「貸すだけだ。

 ――返せよ。期限は守れ。図書館じゃないけどな」

 コマキが皮肉っぽく笑う。

 けれど、その指は震えている。疲労の震えだ。

「俺は睡眠を盗まれてる。

 だから、せめて現場の“穴”くらいは、誰かに掘り返してほしい」

 シノは図面を受け取り、深く頭を下げた。

「ありがとうございます!」

「礼はいい。

 ……一つだけ」

 コマキが声を低くする。

「昨日の盗難。

 “昨夜だけ”じゃない。

 記録板の在庫は、もっと前から減ってた。

 上は“正常な棚卸しの誤差”って言い張る。

 でも、現場は“誤差”の顔をしてない」

 シノの義手の“耳”が、微かにざらついた。

 何かが、奥で反応している。

【――棚卸しは、正常です。】

 かすかな声。

 今度は、耳の奥ではなく、胸の奥で響いた気がした。

(……また)

 シノは息を吸い、吐いた。

 深呼吸。正常。安心。

「……コマキさん。

 外周地盤との接続って、どこですか」

「塔の外周、北側。

 配管の点検口がある。

 表向きは“換気設備の整備”。

 ――でも、土の匂いがする場所だ」

 土。

 シノの鼻が、ぴくんと動いた。

「……行きます」

 図面をカバンにしまい、シノは塔を出た。

 そのとき、入口のロープの向こうに、帽子の影が見えた。

 トレンチコート。胸のバッジ。

「……タキシタさん」

 タキシタは、わざとらしく視線を逸らしていた。

 そして、通りすがりのふりをして、シノの隣に並ぶ。

「嬢ちゃん。

 勝手に嗅ぎ回ってると、本当に鼻から血が出るぞ」

「出ませんよ!」

「出る。

 現場は、そういうとこだ」

 タキシタは小さく咳払いをした。

「……コマキから何かもらったか」

「図面です。地下の」

「……そうか」

 タキシタの声が、少しだけ柔らぐ。

 柔らぐ、というより――人間になる。

「俺は“捕まえる”側だ。

 だから、こういうのは本当は言っちゃいけねぇ」

 タキシタはポケットから、小さな紙片を出した。

 折り畳まれたメモ。

 開けば、簡単な地図。塔の外周北側。点検口。

 そして、手書きで一行。

《外周点検口の鍵:旧式。工具箱の“二番”》

「……これ」

「現場の段取りだ。

 俺らが塞ぐ前に、お前が見ておいた方がいい」

 タキシタは帽子のつばを押さえ、低く言った。

「嬢ちゃん。

 “噂”を止めるのは俺の仕事だ。

 でも“噂の元”を掴むのは、お前の仕事だろ」

「……はい」

「ただし。

 単独で穴に落ちるな。

 俺は何度も嬢ちゃんを拾いに行きたくない」

「拾わないでください!」

「拾うしかねぇだろ。

 ――いいか。

 狼の件、気をつけろ」

 その言葉に、シノの胸がきゅっと縮む。

 昨日の階段。霧の裂け目。土の匂い。

 “タヌキちゃん”の声。

「……アオさん」

「名前を知ってるなら、なおさらだ。

 あいつは“面白い”顔をして近づく。

 面白い奴ほど、現場じゃ危ねぇ」

 タキシタはそれだけ言って、塔のロープの向こうへ戻っていった。

 戻り方まで、雑なのに優しい。

 シノはメモを握りしめ、カジカを肩に乗せ直した。

「……行こう。穴の匂い、嗅ぎに」

「了解。

 ログ、起動。心拍、監視。尻尾、監視」

「尻尾は監視しないで!」


* * *


 塔の外周北側。

 霧が少し濃い。人通りが少ない。

 配管が地面から顔を出し、蒸気が細く漏れている。

 そこに、点検口があった。

 金属の蓋。古い鍵。

 近くには工具箱――“二番”。

「……これ」

 シノは工具箱を開け、二番の鍵を探す。

 手袋越しに触れる金属が冷たい。

 鍵を差し込み、回す。

 古い錠前が、いやに素直に外れた。

(素直すぎる)

 義手の“耳”が、ぴりっと鳴った。

【――点検は、正常です。】

 まただ。

 “正常”が、追いかけてくる。

「シノ。

 ここ、土の匂いが濃い」

 カジカが言う。

 シノの鼻も、同じことを感じていた。

 霧と蒸気の匂いの奥に、湿った土。

 掘り返されたばかりの、黒い匂い。

「……開けるよ」

 シノは蓋に指を掛け、持ち上げる。

 ぎ、と金属が擦れる音。

 中は暗い。

 暗いのに、微かに“風”がある。下から上へ。

 空気が流れている。

「通路だ……」

 梯子が下へ伸びている。

 シノは義手の巻き取り弁を確認し、ワイヤーのフックを固定する。

 そして、深呼吸。

「アグサ先輩の言う通り。

 段取り。深呼吸。

 ……行く」

「ボクも行く。

 相棒は放牧しない」

 カジカが小さく言う。

 シノは苦笑して、梯子を降りた。

 ひんやりした空気。

 土と油と、鉄の匂い。

 地下は、塔の腹の中よりも“生き物”みたいだった。

 しばらく降りると、足元が土になった。

 金属の壁の隙間から、根のような配管が伸びている。

 そして――道が、枝分かれしている。

「……これが、穴の道」

 シノは手帳を出し、簡単なメモを取る。

・塔外周北側点検口→梯子→土の通路

・道が二股。左:蒸気の匂い強/右:土の匂い強

「どっちだろ」

 迷った瞬間、シノの鼻が勝手に答えを出した。

 土の匂いが強い方。

 掘り返された“新しい土”の匂い。

「右だ」

「根拠:嗅覚。

 合理的」

「合理的って言い方、何か腹立つ……」

 右へ進む。

 足元は柔らかい。

 壁はところどころ金属の補強材。

 その補強材に、爪で引っ掻いたような傷がある。

「……爪型工具」

 カジカがセンサーを伸ばし、傷をなぞる。

「真鍮成分。微量の黒塗料。

 ブラス・バジャーの可能性、高」

 そのとき、奥から“音”がした。

 土を踏む音。

 軽い。

 複数。

 シノは息を止め、壁際に身を寄せる。

 義手の“耳”が、振動を拾って震えた。

 影が見えた。

 白いフェイスペイント。黒い帯。

 つけ尻尾。

 金属の爪。

「……いた」

 ブラス・バジャー怪盗団。

 団員は二人。布袋を背負っている。

 袋の中で、角張った金属が当たって、かすかに鳴った。

(記録板……)

 シノの胸が熱くなる。

 追いたい。

 でも、単独はダメ。

 タキシタの声が頭をよぎる。

 その瞬間、団員の一人が立ち止まり、鼻をひくつかせた。

「……誰かいる」

 低い声。

 次の瞬間、爪が光った。

「出てこい。

 ――警察か?」

 シノは一歩だけ前に出た。

 手を上げる。敵意はない、と示す。

「……新聞社です。ヒタカミタイムス。

 あなたたちの“穴”を、見に来ました」

「は?」

 団員のもう一人が、フェイスペイントの奥で眉を動かした。

「穴を見に来る新聞社って何だよ」

「事件部は、事件がなくても事件を探す部署です」

 自分でも何を言っているのかわからない。

 でも、口から出た。

 ハヤマの声が、どこかで響いている気がした。

 団員が爪を構える。

 距離が詰まる。

 シノの義手が、反射でワイヤーの準備をする。

 そのとき――。

「おいおい。

 うちの穴に、のこのこ入ってくる新人記者がいるって聞いたけど……

 マジで来たのかよ」

 軽い声。

 通路の奥から、ふっと影が現れた。

 狼の耳。狼の尻尾。

 金色がかった琥珀色の目。

「……アオさん」

 シノが言うと、アオは口角を上げた。

「やぁ、タヌキちゃん。

 相変わらず鼻がいいね」

「馬鹿にしてるんですか!」

「褒めてる褒めてる。

 ――お前ら、下げろ」

 アオが団員に言うと、二人は渋々爪を下ろした。

「……団長」

「……タヌキ、連れてくの?」

「連れてかない。

 ――ちょっと話すだけだ」

 アオはシノに近づき、団員たちとは距離を取った。

 そして、カジカをちらりと見る。

「……肩のカエルくんも一緒ね。

 相棒、律儀だ」

 カジカがレンズを細める。

「相棒だからね」

「いいね」

 アオは軽く笑い、指で通路の壁を叩いた。

 土が、少しだけ落ちる。

「タヌキちゃん。

 聞きたいこと、あるでしょ」

「……あります。

 あなたたち、何を持ち出してるんですか」

「持ち出すって言い方、やめてよ」

 昨日と同じ答え。

 アオの笑いが、少しだけ薄くなる。

「オレらは――取り返してるだけ」

 アオは背後の団員の布袋を指した。

 団員が渋々袋を開ける。

 中には、薄い金属板が何枚も入っていた。

 表面には、細い刻印。

 そして、角の部分が青く微かに光っている。

「……記録板」

 シノが言うと、アオが頷いた。

「そう。

 こいつがあるから、街は“同じ顔”を保てる」

 シノの義手の“耳”が、強く震えた。

 板から、何かが漏れている。

 音ではない。声でもない。

 でも、確かに“記録”の匂いがする。

【――この往復は、正常です。】

【――安心してご利用ください。】

 断片の声。

 重なる声。

 誰かの笑い。誰かの泣き声。

 子どもの歌みたいなものまで混ざっている。

 シノは思わず耳を押さえた。

「……なに、これ……」

「それが、記録板」

 アオの声が、少しだけ真面目になる。

「街の“安心”を作る材料。

 都合のいい声。都合のいい映像。都合のいい記憶。

 ――それを貼り付けるための板」

 背筋が冷える。

 昨日のラジオ。ノイズ。混ざる声。

 “被疑者は正常です”の一文。

 全部、ここに繋がっている気がした。

「……取り返して、どうするんですか」

 シノが問うと、アオは少しだけ目を逸らした。

 逸らした先は、土の壁。

 土の奥に、見えない何かがあるみたいに。

「“返す”んだよ」

「返す?」

「奪われたやつに。

 ――奪われたことすら、忘れさせられたやつに」

 その言葉の端に、痛みが覗く。

 シノの胸が、きゅっと縮む。

「……ミズキ」

 シノがその名前を口にすると、アオの目が一瞬だけ止まった。

「……聞こえてたんだ」

「列車で。名前だけ。

 あなた、相棒がいたって……」

 アオは短く息を吐く。

「昔は、いたよ。

 アナグマ型のロボット。ミズキ。

 オレの“相棒”だった。君のカエルくんと一緒さ」

 団員たちが、少しだけ視線を落とす。

 その沈黙が、答えだった。

「……今は?」

「いない」

 アオは笑おうとした。

 でも、笑いは形にならなかった。

「いなくなった。

 “壊れた”とか、“死んだ”とか、そういう感じじゃない。

 もっと――雑に」

 雑に。

 奪われる。

 消される。

 上書きされる。

 シノの義手の“耳”が、またざわついた。

【――対象の記録は、更新されました。】

 淡々とした声。

 冷たい声。

 その声が“ここ”ではっきり聞こえる。

(地下の方が強い……)

 シノは息を吸い、吐いた。

「……アオさん。

 私、あなたたちを捕まえたいわけじゃないです」

「知ってる」

「でも、記事にはしたいです」

「それも知ってる」

 アオは口角を上げる。

 また軽い顔に戻る。

 その軽さが、逆に怖い。

「タヌキちゃん。

 記事にしたら、どうなると思う?」

「……編集長が胃を破裂させます」

「そこはリアルだね」

 アオが笑う。

 団員の一人が「団長、遊んでる場合じゃ」と小声で言う。

 アオが手を上げて止めた。

「じゃあさ。

 記事にする前に、地図を作りなよ」

 アオは自分の胸元から、折り畳んだ紙を出した。

 泥と油で汚れた紙。

 広げれば、手書きの線が走っている。

 点。線。枝分かれ。

 塔を中心に、街の下に蜘蛛の巣みたいに広がる通路。

 そのところどころに、丸で囲まれた印。

「……これ」

「穴の地図」

 アオは言った。

「どこに穴があって、どこへ繋がってるか。

 オレらが掘った道。オレらが見つけた道。

 ――そして、オレらがまだ掘り切れてない道」

 シノは地図に指を伸ばし、震える。

「これ……本物?」

「本物。

 ただし、更新中」

 アオは指で、地図の一箇所を叩いた。

 塔の外周。北側。

 シノが入ってきた点検口。

「ここ。今、タヌキちゃんが降りてきた場所。

 オレらも使ってる。

 ……だから言ったでしょ。街の下には道があるって」

 シノの胸の中で、何かが繋がる。

 昨日の土の匂い。

 塔の床の割れ。

 外周地盤と一致する土。

 全部、点が線になる。

「……どうして、私に見せるんですか」

 シノが問うと、アオは肩をすくめた。

「だって面白いから」

「それだけですか!」

「それだけ……じゃない」

 アオの声が、少しだけ低くなる。

「タヌキちゃん。

 噂で犯人にされたでしょ」

「されました」

「その“噂の刃物”はさ、

 オレらにも向く。

 向いた刃物は、次に別の誰かに向く」

 アオは地図を畳みかけ、しかし途中で止めた。

「だからさ。

 タヌキちゃんみたいな、“嗅いで、記録するやつ”が必要なんだよ」

 その言葉が、妙に真っ直ぐだった。

 シノは一瞬だけ言葉を失う。

 肩の上で、カジカが小さく言った。

「……シノ。

 交渉対象の信頼度、低〜中。

 でも、情報価値は高い」

「カジカ、空気読んで」

「空気は土の匂いでいっぱい」

「そうじゃない!」

 アオが笑う。

「いいね。

 カエルくん、相変わらずだ」

 アオは地図をもう一度広げ、指で別の印を叩いた。

 塔から少し離れた、中央区の古い配管街。

 そして、ヒタカミ中央駅の近く。

「次の穴は、ここ。

 ――汽笛の下」

「汽笛……」

「列車の音の下。

 “安心”の音の下。

 そこに、でかい道がある」

 シノの義手の“耳”が、ぴりりと鳴った。

【――経路を確認。

 対象の移動は、正常です。】

 声が、地図の指先に重なる。

 まるで地図を“なぞらせる”みたいに。

(……これ、誘導?)

 背筋が冷える。

 誰かが、シノの行動を“正常”として追っている。

 それを、安心と呼んでいる。

「タヌキちゃん」

 アオが言う。

「地図、覚えてね。

 紙は持って帰れない。

 持って帰ったら、オレらの穴が塞がれるのが早くなる」

「……覚える」

 シノは目を凝らし、線と点を頭に焼き付ける。

 嗅覚だけじゃない。記者の記憶。

 自分の“燃料”。

 アオは地図を畳み、胸元にしまった。

「じゃあ、今日はここまで。

 みんな、行くぞ」

 団員たちが布袋を背負い直し、通路の奥へ動き出す。

 土の匂いが揺れる。

「待って!」

 シノが言う。

「……あなた、私の冤罪、どうして“知ってる”って言い切れたんですか」

 アオが足を止める。

 振り返り、琥珀の目を細めた。

「タヌキちゃん。

 君の匂いは、“事件の匂い”じゃない」

「……匂い?」

「うん。

 君は、嗅いで、迷って、怒って、泣く匂い。

 ――盗んで笑う匂いじゃない」

 からかうようで、からかっていない。

 その微妙さに、シノの尻尾がふわっと膨らむ。

「……それ、褒めてます?」

「褒めてる」

「むっ」

「む、じゃない。

 ――気をつけて帰れよ。タヌキちゃん」

 アオは言って、団員の影の方へ戻った。

 通路の奥で、霧みたいな暗さが揺れ、彼らの姿が溶ける。

 残ったのは、土の匂いと、薄い油の匂いと、

 手帳に残った線と点の焼き付きだけ。


* * *


 帰り道。

 シノは梯子を登りながら、何度も深呼吸をした。

 地上の霧の匂いが戻る。

 蒸気の匂いが戻る。

 “いつもの街”の匂いが戻る。

 点検口の蓋を閉めた瞬間、背中に光が当たった。

 塔の白い光。

 霧に反射して、細い筋になる。

 ――光の雨。

 今日、ラジオで予告されていない。

 だから、余計に怖い。

「……また演出」

 シノが呟くと、カジカがランプを点滅させた。

「光量、微増。

 塔の出力調整。

 ――シノ、さっきの記録板で耳の受信強度が上がってる」

「……上がってる?」

「うん。

 “別の層”の信号が濃くなってる。

 地下の方が顕著。

 地上では薄いけど……今も微弱に受信」

 シノの義手の“耳”が、また震えた。

【――対象は、正常に帰還中。

 安心してください。】

 その声は、昨日よりもはっきりしていた。

(……近づいてる)

 何が。

 どこへ。

 誰が。

 シノはカバンの中の図面を触り、アオの地図を頭の中でなぞった。

 塔から伸びる穴。

 中央駅の下。

 汽笛の下。

 どこか遠くで、短い汽笛が鳴った。

 偶然にしては、タイミングが良すぎる。

 その汽笛の音に、ラジオの声が重なる気がした。

『――今日も、霧の向こうで、レールは静かにつながっています。

 行き先が見えなくても、安心して――』

 途中で、ノイズ。

 ノイズの奥に、別の声。

【――経路、更新。】

 シノは足を止めた。

 霧の中で、街はいつも通りの顔をしている。

 人々はいつも通り歩いている。

 塔はいつも通り光っている。

 でも、街の下では、道が動いている。

「……アグサ先輩」

 シノは小さく言った。

 返事はない。ここは現場だ。

「穴の地図……できそうです」

 シノは歩き出す。

 自分の鼻で、自分の耳で、自分の言葉で。

 上書きされる前に。

 霧の向こうで、もう一度、短い汽笛が鳴った。

 まるで、次の穴の場所を指さす合図のように。


第7話 了


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