第三話 汐海千歳との出会いと…
そんな清磨には、若い頃、大切な女性との出会いがあった。当時、若狭湾に面した浜辺の近くに、浜守一族は住んでいた。千歳もまた、同じ若狭湾に面した漁村で暮らす、網元の娘だった。浜守一族の鍛冶場兼住居が立ち並ぶ集落は、若狭湾の東寄り、海と山に挟まれた小さな浜にあった。千歳の実家は、そこから西へ幾つもの浜と岬を越え、さらに海沿いを進んだ先にある、別の漁村だった。同じ若狭湾に面しているとはいえ、二人の暮らす場所は遠く離れていた。浜を一つ越え、岬を一つ回れば着くような距離ではない。幾つもの浜と岬を越え、長い道のりを進んだ先に、千歳の暮らす村はあった。歳は、千歳が清磨の五つ下であった。千歳には二人の姉と一人の兄がいた。千歳はその土地の漁師の網元、汐海家、父、潮、母、なみの三女として生まれた。長女、かをる、次女と長男は双子として生まれた。次女、さき、長男、豊丸、そして、三女、千歳。実家は若狭湾の浜に古くから住む網元の家。鯛や鯖、鰯などを主に獲り、アワビやウニなどの磯物も扱う。中でも鯛は良質なものを多く獲ることで知られ、都へ送る魚を扱うこともある。汐海家の大黒柱である父潮は、長女のかをるを寵愛した。お陰でかをるは素直で優しい娘になった。母のなみの躾が良かったので、寵愛された子供にありがちなわがままな面や、甘えた処もなく、おおらかで心の広い受容力のある娘となり、誰からも愛される存在になった。その四つ下の次女、さき、長男、豊丸は双子として生まれ、幼少の頃、さきはおてんばで何時も弟として生まれた豊丸と喧嘩しては、泣かしていた。ただ、二人が十を過ぎた頃から豊丸はめきめきと成長し、十五の歳になった頃には、背丈は父潮と変わらぬ程になった。その身の丈六尺程。(約180㎝)当時としては大男の部類に入る。その頃はまだ豊丸の体は父程ではなく、潮が正に強靭な海の男のそれで、その体はどこもかしこも厚く岩の様なら、豊丸の質量はその半分位だった。ただひ弱さは微塵も無く、引き締まった若者の体躯だった。こうなってくると、いくらおてんばのさきとはいえ、豊丸に力で勝てる筈はなかったが、双子の姉のさきが好きだった豊丸は、腕力で勝てると判ると、その後は一切、何があろうと姉に手を上げる事は無かった。勿論家族にもだが。だから、喧嘩となると一方的に姉に叩かれていた。さきもそんな事は十分承知していたので、そんな弟がかわいくて仕方なかった。長女のかをるは、海で遊ぶことはあっても、漁の手伝いをする事はなく、母なみと共に、繕い物を好んで良くしていた。そのうち仕立てもする様になり、家族の服をよく縫って着せていた。さきはおてんばのまま育ち、その辺の下手な男には喧嘩をしても負けなかった。父潮に似たので、女性ながらも身の丈五尺三寸(約160㎝)。その辺の男どもと見劣りしない。だからと言って決して男の様な身体と言う訳ではなく、ちゃんと女性の魅力は兼ね備えていた。気が強く気さくで愛嬌のある性格は、これまた誰からも好かれた。このような家族の三女として、千歳は生まれた。さき、豊丸の六つ下だった。千歳は末っ子と言う事もあり、家族全員に可愛がられた。優しく愛らしい女性に育つが、見かけによらず活発で、さきや豊丸の後を着いて歩いていた。外見は、さきと豊丸が父潮似で、かをると千歳は母似だった。かをるは十八歳の時、隣街の網元の船盛家の長男の嫁として嫁いで行った。船盛家の家長、船盛頼尚とかをるの父潮は、古くからの友だった。頼尚の長男頼継は、誠実で優しい海の男だった。何処か父の潮に似た雰囲気があり、かをるはそんなところに惹かれたようだった。かをるを寵愛していた潮だったが、友である頼尚の長男とあっては反対する理由も無く、表向きは快く、影では寂しさに涙しながら嫁がせた。長男豊丸は十歳の頃から漁の下働きを始め、十二歳からは父と一緒に漁に出る様になった。同じ頃、さきは海女を始め、十四歳の頃には、もう一人前の海女にも引けを取らぬほどの獲物を採る様になっていた。二人とも十八にもなると、豊丸はその身の丈六尺三寸(約190㎝)身体の厚み自体は、まだ父の潮にかなわないが全く見劣りのしない頑丈な体躯の大男になっていた。もう既に父親よりも力が強く、良く風や潮を読み、海鳥の声を聞き分けると言われた程、状況観察に優れた優秀な漁師になっていた。そして豊丸は遠目が利いた。沖に浮かぶウミネコの姿も、人より早く見つけることが出来た。さきは十五の頃から身長は伸びなかったが、引き締まった身体。そして海女の仲間内で一番深く長く潜る事が出来た。仲間の海女が一度水面に上がり、息を整えて潜ろうとする頃にも、まだ海底にへばり付いている程だった。泳ぎも達者で、その辺の海の男どもにも負けなかった。そんな姉と兄を見て育った千歳が、海に出て行く事は自然な事だった。さきが十八歳の頃には、千歳は十二歳。その頃になると、さきに着いて行って、浅場で潜り海女の見習いを始めていた。千歳十四歳になると、さきと一緒に潜り、本格的に海女の仲間入りをしていた。千歳も潜りは達者で、並みの海女には負けなかったが、さきにだけは勝てなかった。潜る事も、泳ぐ事も、獲物を獲る事も。そんな姉に対しての千歳の思いは、悔しくも誇らしくもあった。そんな頃だった。浜に怪異が現れた。最初に被害を受けたのは、長女かをるの嫁ぎ先、船盛家の船が沈められた。その年の秋口、船盛家の漁船数隻が鰯を追って沖へ出た。海は穏やかで、魚影も濃かった。船は四隻。いずれも船盛家が所有する漁船で、船団を率いるのは家長・船盛頼尚の長男、頼継だった。網を引き上げ始めた頃、最初の異変が起こった。銀色に輝く鰯が、網からこぼれ落ちそうなほどに押し寄せている。まさに大漁だった。四隻の漁夫たちから、一斉に歓声が上がった。誰もが今日の漁の豊かさに胸を躍らせ、引き上げる腕にも自然と力が籠もった。すると引き上げている網が、急に海底に引き込まれた。四隻の船が大きく揺れた。網が裂ける。溢れそうな程の銀色に輝く無数の魚体が、海に帰って行く。頼継の乗った船が一際大きく揺れたと見えた瞬間、船体が中央から二つに折れた。船首の近くで全体に大声で音頭をとりながら網を引き上げていた頼継は、乗っていた他の漁夫七人と共に海に投げ出された。他三隻の船に乗ってる漁夫達は、直ぐに網から手を放した。網はすっかり海中に引きずり込まれ、大量の鰯諸共海中に消え去ってしまった。頼継の乗っていた船は無残な姿になり果てた。大破した船以外の漁夫たちは、すぐさま海中に投げ出された仲間の救助を開始し、運よく全員救助された。頼継は直ちに無事な三隻に帰港を命じ、屈強な漁夫達は、力の限り左右三対の櫓を漕ぎ始めた。襲われた現場からある程度離れ、全員がほっと一息着いた時、最後尾の船の真下に黒い影が見えた。船底から突き上げるような衝撃。船は海面から舟艇外板が見える程浮き上がった。突き上げた者の正体は、黒い渦の塊の様に見えた。突き上げられた船は、着水と同時に大きな音をたて、バリバリと壊れていった。乗っていた漁夫達八人は、すぐさま海に飛び込んだ。襲われた船の直ぐ前を進んでいた船に、頼継は乗っていた。船には、網や綱に加え、数本の銛も積まれていた。大型の魚が網を荒らすことがあるためである。その船に備え付けていた銛を持ち、襲ってきた黒い塊めがけて投げつける。頼継が応戦している間に、他の漁夫は海に飛び込んだ仲間を救け上げる。頼継は銛投げの上手だった。正確で威力もある。過去には大きな鮫を、何度も銛で退治している。その銛が弾かれた。初めは大きな鮫なのかと、頼継は思った。しかし、鮫が網に入った鰯を喰いに来た事はあっても、直接船を襲うとは考えにくいし、頼継の記憶にも話にも聞いたことが無かった。ましてや船を容易く大破させ、しかも魚も積んでいない船を追って襲ってくるとは、鮫のやる事では無かった。頼継はふと子供の頃に、もう亡くなっている爺様から聞いた話を思い出した。爺様は頼継が幼少の頃、良く自分の膝の上に幼い頼継を乗せて色んな体験談を話してくれた。頼継は爺様の話が好きだった。その話の中に、海の怪異についての話があった。「あれは儂が若い頃、まだ下働きで船に乗っていた頃だったから、十五、六の頃だったかな。一度だけおっかねぇ化け物を見た事があるんじゃよ。そいつは目玉が一つの真っ黒い塊の様な身体をしていてな。身体には縄みたいな尻尾みたいな脚みたいなのが沢山生えててな。それをうねうね動かして、凄い速さで泳ぐんじゃよ。そうそう、丁度ウニみたいな感じの奴で、頭のてっぺんに目玉が一つあってな。あのとげとげがもっと太くて長くてぐにゃぐにゃ曲がる様なかんじと言ったら判るかのう。大きさは鱶よりも、もっと大きかったかのう。それを見た船頭が漕ぐのを止めろと、急に怒鳴ってな。皆が櫓を漕ぐのを止めたんじゃ。そしたら、その化け物はぐるぐる船の周りを何回か回ってから、潜って消えていったんじゃよ。後で船頭が、あれは『一つ目』って言う化け物だって教えてくれた。一つ目は実は目があまり良くないんだそうだ。だから、そいつに会ったら、動くのを止めてじっとしていれば良いんだと……」思い出した途端、自分がとった行動が間違っていた事に気付いた。そして船の漁夫たちに、櫓を漕ぐのを止めさせた。しかし、もう船は二隻も破壊されている。本当にこの方法で治まるのだろうか?けれど、銛も刺さらない相手だ。爺様の話を信じるしか無かった。船が動きを止めじっとしていると、襲ってくると思われていた怪異は、二隻の船の周りをぐるぐると泳ぎ始めた。それで初めて姿を確認できた。海面から見えたのは、黒い塊だった。巨大な一つの目玉を頭の頂に置き、その周囲からは、太い縄のようなものが何本も伸びている。それらは脚とも触手ともつかぬ動きをし、海中でうねうねと蠢いていた。爺様の話してくれた通りの姿、一つ目に間違いなかった。一つ目は、その大きな目玉をぐるぐる回して、周りを良く見ようとしている様に見えた。何度か周りを回ると、静かに海の中に消えた。この事件があってから、漁夫達が漁に出るのを嫌がった。頼継も内心は怖くて堪らなかった。一つ目の姿が脳裏に焼き付いて離れない。あの恐ろしい姿。この世のモノとは、到底思えない不気味なモノ。大半の漁夫達は、あの化け物が退治されなければ、漁には出たくないと言う。中には、寝込んで起き上がれなくなった者まで現れた。




