第十八話 謎の影
清磨と高鉄は周囲に気を配りながら、馬を走らせていた。
汐海から浜守までは約二十五里。馬で約三日の道のりだった。
二人は特別急がなかった。変に人目を惹く事はしたくなかったからだ。
山道の途中で野宿となった。
ここを過ぎれば、明日の昼頃には里に着ける筈だった。
旅人が利用できる小屋があり、簡単に石で組んだかまどもある。
小屋の横には小さな沢があり、そこで水も汲めた。
中は半分が土間で、もう半分に木の板が敷かれていた。
清磨達もこの道を通る時は、よくこの小屋を利用していた。
九月の半ばともなれば、山の夜は肌寒い。
二人はかまどに火を起こし、持参していた鍋で粥を炊き始めた。
清磨は塩のきいた魚の干物を、千切って粥に入れた。
「おう、旨そうな匂いがしてきたな」
そう言って高鉄が乾燥海苔を大雑把に切って、粥に入れた。
どちらも汐海で貰ったものだった。
辺りは磯の香りで包まれた。
二人は粥で腹を満たし、身体を温め、板の床で眠った。
そして、寅の刻を回った頃、清磨は何かの気配に気づき、ゆっくり目を開いた。
その気配は、小屋の外にあった。
小屋の周りを回るように、黒い影のようなものが動いている。
清磨達は野宿の際、必ず御札で結界をつくる。
この時も小屋の四方の壁に御札を貼り、結界を作っていた。
「ここでこんなのは、初めてだのう。こりゃなんだ?」
高鉄も気がついて目を開けていた。
清磨も高鉄も、黒い影の正体は分からなかったが、良いものではなさそうだった。
二人は起き上がり、いつでも抜刀出来る姿勢になっていた。
黒い影は半時ほど周りを回ると消えた。
朝日とともに小屋の周囲を確認した二人は、周りの草が黒くどろどろに溶けて腐っているのを見た。
辺りには、腐敗臭が漂っていた。
「こりゃ、相当瘴気が濃い奴だな」
高鉄が言った。
この山道で怪異が出たと聞いた事が無かった。
二人は胸騒ぎを覚えながらも、別段急ぐ事はしなかった。
浜守には、丁度昼を少し回った頃に着いた。
屋敷に着くと、さやが出迎えてくれた。
「お腹がすいたでしょう。食事の支度が出来ていますよ」
さやは、二人が着くであろう時間を知っていたかのように、飯の支度をしてくれていた。
清磨はいつもの母の勘の良さに感心しながら、久しぶりの自宅の飯を鱈腹喰った。
高鉄も余程腹がすいていたのか、清磨に負けないぐらい喰った。
二人が飯を喰い終わる頃、由一が鍛冶場から戻ってきた。
「山道で何か見たか?」
由一はぶっきらぼうに、二人にそう言った。
「おう、黒い影の事か?それなら昨日の晩見たぞ。あれがどうした?」
高鉄が答えた。
「親父様が見たのは、多分ここ数か月間、浜守の周りにも出ている影だと思うのじゃが…」
由一はそう答えて、ここ数か月間の事を話し始めた。
今年の桜が咲き始めた頃、初めてそれは出た。
初めに由一の妻、さやが気が付いた。
さやはとても勘が鋭く、色々なものの気配も人一倍感じやすい性分だった。
夜中にさやが、眠りながらがたがたと震えていた。
隣で休んでいた由一が、その震えに気が付き目を覚ました。
さやの顔を覗くと、うわ言を発していた。
耳を傾け聞いてみると、「犬神様…犬神様…」と呟いている。
そうすると、何やら部屋の外に気配を感じ、中庭に面した戸を開けると、黒い闇が蟠り大きな犬に似た形を作りそこにあった。
その真っ黒な塊の中に、二つの燃える炎のような目があり、こちらを睨むようにしていた。
退魔師という生業の為、祓ったものが憑いて来る事もあるので、屋敷の周りには結界が張り巡らせてあった。
その結界の外から、由一達を燃える瞳が睨みつけてくる。
由一は炎の様な目と、暫しの間対峙した。
それは、由一が気付かぬうちに消えていた。
睨み合っていた筈なのに、いつ消えたのかが分からない。
由一は、自分が寝ぼけていたのかと思ったが、そうでは無かった様だった。
その日から、頻繁にその闇の塊は、現れるようになった。
それが浜守の里周辺でも、目撃されるようになった。
目撃はされても、それが何かをしてきたという事はなかった。
何かを待っているのか?
さやがうわ言で言っていた「犬神様」とは何なのか?
よく分からぬまま、今日に至ったというのだ。
「何もしてこぬとは、なんとも不可解じゃの」
高鉄は話を聞き終え、そう言った。
「お爺、この辺りに犬神を祀った何かはあるのかい?」
清磨が高鉄に訊いた。
高鉄は暫く首を傾げてから答えた。
「この辺りでは知らんのう…。ただ、かつて犬神を祀っていた集落はあったな。儂が子供の頃、その集落は津波で消えたと聞くがな」
それから高鉄は、何かを思い出して話し始めた。
高鉄が幼い頃、近所に住んでいた爺様に聞いた話の中に、犬神の集落の話があったという。
その集落は浜守から東に五十里程離れた、海に面した小高い崖の上にあった。
女と山犬の集落で、年に一度近隣の集落から男を招いて子種を受ける祭りをしていた。
祭りが終わると、男達は山犬によって集落から追い出された。
その集落の女に惚れて、帰らずに隠れて残った男がいた事があったが、山犬に見つかり散々な目にあわされた。
そして生まれる子供は、不思議と女だけだった。
ある日、とてつもない大波が来て、集落は崖ごと波に削り取られ跡形も無くなった。
そんな話だった。
「本当かどうかは分からんがな。近所の爺様がそんな話をしていた事がある」
高鉄は言った。
この話が事実だったとしても、浜守と何の関係があるのか。
清磨も由一も、高鉄が幼い頃に聞いた他愛もない話として聞き流した。




