第十六話 闇
景雅の父親は、景時という名だった。
その男がいつの頃、どんな経緯で深見家の婿養子になったのか全く掴めなかった。
下働きも含め、深見家の人間は全て姿を消していたので、当然聞く事も出来ない。
残るは、景雅の叔母達のみである。
不思議な事に、深見家周辺の家々に聞いて回っても、母の姉妹の嫁ぎ先をはっきり知っている者が居なかった。
それだけではなく、出入りしていた米屋や職人は、この辺りでは見慣れない者だったというのだ。
そして、先代が他界した後、近所付き合いは殆ど無くなったという。
そう報告を受けた神代言は、きな臭さを感じ、調べに出していた者達に一旦戻るように伝えた。
そして言は、由一を訪ねた。
由一は言から話を聞き、深い闇を感じた。
暫し二人は考えを巡らせた。
異常な動きをする賊達。
半異形の姿をした、最早人ならざる者。
その仲間だった景雅は、清磨の鬼寄せに異様な関心を示していた。
そして、何らかの理由で、鬼寄せと、清磨が狙われる事になったのか。
すると、思慮を巡らせていた言が口を開いた。
「久夜ではないか…」
「やはりそう考えるか。久夜の者であれば、不可解な賊も腑に落ちる」
由一はそう返した。
十一年前にお家取り潰しになった久夜家。
その者達の中には、異形の姿をした者も居たと、後に噂された事があった。
鬼寄せに興味を持ち、奪おうとしたのか。
しかし、それだけなら清磨と高鉄を殺さずとも方法はあったはず。
どうにも釈然としないまま、しかし久夜の仕業であろうという事で結論づいた。
そこで、久夜が相手となれば、これはかなり厄介な話になってくる。
久夜の者達は、取り潰しとなる前まで、当代随一と都で言われた退魔の家である。
その仕事は噂によると、どんな怪異でも祓ったという。
その上、剣術、武術に優れた者が多く、賊退治も請け負っていたと聞く。
その一族を相手にするなら、今はこちらが何も気が付いていないように振る舞うのが賢明であろう。
調べはしたが、何も掴めなかった。
そして、それ以上手立てが無いようだと思わせておく。
向こうは、愚鈍な者どもだと思うだろう。
そうなれば、急いで仕掛けてくるとは考えにくい。
だとしたら、高鉄、清磨の回復する時間を作る事が出来る。
そう思わせながら、秘密裏に探って行く。
それが現時点での最良の策ではないか。
神代言は帰り際、厄介ごとを持ち込んだと、詫びた。
神代家は、浜津と都を結ぶ街道の中継地点の街にあった。
古くからその街の名家だった神代家は、使われなくなった古い屋敷を何軒か持ち、街道を行き来する商人や旅の者に宿として提供していた。宿賃は決まっておらず、各々の気持ちの分だけで良かった。
そこには差配が一人と下男、下女が何人かおり、掃除や寝床の支度などをしていた。
飯は出していなかったが、近所に飯屋や茶屋があった。
当然、様々な者が訪れ、いつしか情報交換の場のようにもなっていた。
神代家にも差配や下男、下女を介して、色々な話が入ってくる。
旅の者の話で、世の中の動きを知る事が出来た。
そして、この街道沿いを往来する者達の間で、気になる噂があった。
それは、街道に鬼が出たという噂だった。
旅の商人が街道を歩いていると、山から大きな猪が出て来た。
猪は気が立っている様子で、商人に今にも襲い掛かって来そうだった。
商人は驚いて尻もちをつき、その場にへたり込んでしまった。
自分はこれまでかと思った時、その猪が現れた山から、頭からねじくれた角を生やした鬼が飛んで来て、猪の頭を熊のように大きな両手で掴み、一瞬でその首をねじ切ってしまったのだという。
商人は驚きのあまり腰を抜かし、一晩そこに座っていたらしい。
鬼はというと、ねじ切った猪の頭とその胴を軽々と抱え、来た山へ戻って行ったというのだ。
風聞特有の誇張はあるだろう。だが、同じように鬼の話をする者が他にも居るらしい。
しかも目撃されたのは、浜津の事件の時期と重なっていた。
また、事件の後、清磨達が落ちた崖下の海岸を、何かを探している者達が目撃されていた。
それだけなら特別どうという事も無いのだが、見た時間が夜更けで、しかも探し物をしている者達の目が一様に獣の如く光っていたというのだ。見た者は、あれは人ではなく、もののけの類だと話していたという。
神代言は差配からこの話を聞いて、やはり久夜の者達だと判断した。
恐らく海岸で探していたものとは、高鉄、清磨の亡骸か、両人の遺品であろう。
そこで何も得る事が出来なかったら、二人が生きていると考えるのではないか。
そうなると、次に奴らが現れる場所とは、神代家周辺と浜守の里であろう。
いや、既に近くを嗅ぎまわっていると考えた方が賢明だろう。
その言の考えは正しかったが、景雅の行動はその上をいっていた。
景雅は神代の家にいる間から、三人の娘達と親密な関係にあった。
大切に育てられた三人の娘達は、景雅の術中に完全に嵌っていた。
その中でも、次女の琴音とは特に親密だった。
景雅は浜津の事件の三日後に、琴音の元に現れていたのだ。
神代家は使われなくなった古い屋敷を幾棟も持っていた。それを旅の者達に安価な宿として提供していた。
言はその中の一軒に隠し部屋や、ちょっとした仕掛けをこしらえ、姉妹達の遊び場にしていた。
景雅は、その屋敷の隠し部屋の一つに、外へ通じる隠し通路を作っていた。
その部屋で琴音と景雅は、弟子として屋敷に居る時から密会を重ねていた。
浜津に行っていた者達が戻ったその日、琴音の部屋の窓から見える大きめの庭石の上に、小石が三つ並んでいた。
これは、景雅からの逢瀬の合図だった。
琴音は一緒に戻って来る筈の景雅が戻らず気をもんでいたところだったので、声を上げてしまいたくなるほど嬉しかったが、同時に疑問も生じた。なぜ、いつもの様に帰ってこないのかと。
そして丑の刻、その部屋で待っていると、景雅が現れた。
琴音は景雅に飛びついて、胸に顔を埋めた。微かな血の臭い。
「ご無事だったのですね。良かった」
景雅は柔らかく琴音を両腕で包んだ。
「心配させて申し訳ない。少々厄介ごとが起きまして…。自分に濡れ衣が掛けられたようで」
琴音は心配そうに景雅の顔を見上げた。
「えっ!なぜその様な事になってしまったの」
「どうやら我が方の者の中に賊に通じていた輩がおったようで、私と浜守の高鉄殿、清磨殿が待ち伏せに遭いまして……」
景雅は琴音に、自分が高鉄、清磨を斬ったという濡れ衣を着せられた。それが晴れる迄、身を隠すと話した。
そして、秘密裏にそれを晴らす手伝いをして欲しいと、涙を浮かべながら琴音に懇願した。
琴音も涙を愛らしい目に溢れんばかり浮かべながら、何度も頷いて見せた。
「長居は出来ませぬ。ただ琴音さんには無事である事を知らせたく、やって来たのです」
そう言って、景雅は琴音の柔らかな唇を優しく吸った。
そして、名残惜しそうに抱きついている琴音をゆっくり両腕で離した。
「琴音さん。また会いに来ます。私の事はくれぐれも内緒に…」
そう言って、景雅は夜に消えた。




