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第7話 殿の机


 揺れたとき、すぐに潜り込める場所が必要だった。


 この屋敷には、机が少ない。


 文机はある。だが低く、薄く、人の身体を守るには足りない。長持は頑丈だが、蓋を開けて中へ入るわけにはいかない。柱のそばへ伏せる方法もあるが、天井材や瓦が落ちる場合、頭上に何もないよりは、丈夫な板があった方がよい。


 私は大工へ机を作らせた。


 脚は四本。太く、長く、簡単には折れない。天板は重いものを受けても割れにくくする。人が二人、あるいは三人、すぐ下へ入れる幅を持たせる。


 大工は、何に使うのか尋ねた。


「揺れたときに入る」


「机の下へ、でございますか」


「そうだ」


 大工はしばらく黙った。


「殿が」


「私も入る」


 彼はさらに黙った。


 私は図を描いた。


 脚を外へ張りすぎると、人が入れない。狭すぎれば倒れやすい。天板は厚くするが、移動できないほど重くしてはならない。角は丸める。地震時に頭を打つからである。


 設計は難しかった。


 私は現代の学校机を知っていた。防災訓練では机の下へ入る。だが学校机は、建物が大きく崩れることを想定して作られているわけではない。上から落ちる照明や破片を避ける程度である。


 江戸の屋敷で、どこまで守れるかは分からない。


 分からなくても、何もないよりはよい。


 試作品ができた。


 長く、太く、見栄えのしない机だった。天板は欅。脚は四寸を超える。大工は私の命令通りに作りながらも、最後に黒漆を塗り、金具を整えた。


 そのため、妙に立派になった。


 頑丈で、重く、黒く、威圧的だった。


「ここへ入る」


 私は家臣を集めて実演した。


 板を鳴らす。


 私は机の下へ入った。


 誰も動かなかった。


 御三家の当主が、謁見の間で机の下へ潜っている。


 その光景をどう理解すべきか、家臣たちの側に前例がなかった。


「入れ」


 机の下から命じた。


 家臣たちは困った。


 机は一つしかない。私の隣へ入ることをためらっている。


「地震は身分を見ない」


 それでも誰も入らなかった。


 東湖だけが膝をつき、机の下へ入ってきた。


 狭かった。


 彼の肩が私の肩へ当たった。頭を上げれば天板へぶつかる。二人までである。


「狭いな」


「殿が太くおなりだからでは」


「机が狭い」


「御意」


 次の試作品は、さらに大きくなった。


 三人が入れる。


 その次は五人。


 やがて謁見の間には、巨大な机が置かれた。


挿絵(By みてみん)


 家臣たちはその机を嫌った。


 畳の上に大きな黒い天板があり、脚が並ぶ。折上げ格天井には方杖。正面には巨大な机。格式ある空間は、着実に別のものへ変わっていった。


 私は満足した。


 謁見の際にも机を使うことにした。


 毎回片づけては、地震時に間に合わない。人が集まるときこそ、机が必要である。上段の私だけでなく、下に並ぶ家臣にも数台置いた。


 家臣たちは机を挟んで座った。


 互いの顔が遠くなった。書類は置きやすくなった。記録もしやすい。灯明も安定した台の上へ置ける。偶然ではあるが、評定は以前より整然と進んだ。


 私は気づかなかった。


 後世の記録では、これが別の意味を持った。


 徳川斉昭は早くから西洋式の卓を用い、家臣と同じ卓を囲んで政務を行った。上下の別を保ちながらも、実務を重視した先見的君主であった。


 そう書かれることになる。


 私が欲しかったのは、揺れたときに潜れる頑丈な板である。


 西洋思想とは関係がない。


 平等とも関係がない。


 ただ、地震は身分を見ない。


 その一言だけが、後世には都合よく残った。


 ある日の謁見中、板が鳴った。


 訓練ではなかった。


 遠くで何か大きなものが倒れた音だった。


 私と東湖は、同時に机の下へ入った。


 他の家臣は一瞬遅れたが、それぞれ近い机へ潜った。


 謁見の間から、人が消えた。


 机の脚の間に、鬢、袖、袴、刀の鞘だけが見えた。


 私は天板の下で周囲を確認した。


 全員入っている。


「よし」


 私が言うと、どこかから戸田の声がした。


「殿、揺れておりませぬ」


「知っている」


「では、出てもよろしいでしょうか」


「音の原因を確かめてからだ」


 結局、庭で荷車が横転しただけだった。


 家臣たちは机から出て、何事もなかったように謁見を再開した。


 私は少し誇らしかった。


 人は、教えれば机の下へ入る。


 その夜、東湖が言った。


「殿は、御自身がお入りになるゆえ、皆も入るのでございましょう」


「命令したからだ」


「命令だけなら、初めは誰も入りませなんだ」


 私は返事をしなかった。


 自分が先に入る。


 それも防災の手順の一つである。


 翌日、私は東湖の屋敷にも机を入れるよう命じた。


 東湖は笑わなかった。


 ただ、母の部屋には二人入れる大きさで、と付け加えた。


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