第44話 町内避難訓練、一回目
屋敷で通じたものは、町では通じなかった。
屋敷の合同訓練を、町を入れてやってみた。
屋敷の家臣。隣の五家。町の幸右衛門の差配する辻、三つ。合わせて、二百人を超えた。
板を打ち、揺れの始まりを告げた。
屋敷の者は頭を守り、火を見ず、近い戸から出た。隣家の者もおおむね続いた。
町は、動かなかった。
いや、ばらばらに動いた。
ある辻は板の音を知らなかった。ある店は商いの最中で、客を置いて逃げられなかった。ある長屋は、まず家財をまとめ始めた。子を探しに戻る母がいた。一つしかない橋へ、皆が向かった。
合図が、町ごとに、違った。
指揮が、誰のものか、決まっていなかった。
屋敷の役の者が、町人へ指図しようとすると、町人は、幸右衛門を見た。幸右衛門が指図すると、屋敷の者は、従わなかった。身分が邪魔をした。生業の時間が邪魔をした。所有の境が邪魔をした。
「殿様の、火消しごっこだ」
誰かが、陰で言った。
黙らせろ、と斉昭が、声を上げた。
今までで、一番、大きな声だった。御三家の威で、全員をその場へ立たせろ。逃げぬ者は咎めよ。畏れさせれば町は動く。
斉昭の手が私の中で伸びた。
以前の私なら、すぐに押さえた。
今日は一拍遅れた。
効かぬ訓練を目の前で見て、押さえる手がわずかにためらった。
——黙らせれば、確かに立つ。立てば、形だけは整う。
そう、思ってしまった。
思ってしまった自分にぞっとして、手を引いた。
大混乱の中で一つだけ動いているものがあった。
子供たちだった。
屋敷で頭巾の訓練を受けた子が、町の子へ、被り方を教えていた。大人が家財をまとめている間に、子供は頭を守り、低い姿勢で、稲荷の段の方へ歩いていた。
大人より、子供の方が速かった。
全体は全滅だった。
死人は出ていない。
本番なら、出ていた。




