第31話 石場の石が滑った
石は、動かぬものだと思っていた。
雨の夜に、柱の下の石が、少し動いた。
蔵の柱だった。礎石の上に、ただ載っているだけの柱である。固定していない。江戸の建物は、たいていそうだ。土台を地へ縫い付けず、木を足の形に合わせて削り、石の上へ載せる。
三日の雨の後、その柱の根が、石の上で、半寸ほど横へずれていた。
大工は慌てた。
「据え直しまする。今度は、石へ縫い留めて」
「待て」
私は柱の根と、石の間を見た。
雨で泥が浮き、石の面が滑った。柱は、地面が動こうとした力を、石の上で滑ってかわした。縫い留めてあれば、力は柱へまっすぐ昇り、継手を割っていたかもしれない。
固めると、壊れる。
滑らせれば、逃げる。
頭巾も、塀も、いま据え直した制振も、同じことを言っていた。そして地面は、もとから、その答えを知っていた。江戸の大工は、何百年も、柱を石へ縫わずに載せてきた。
縫い留めたい、と斉昭の手が言った。
動くものは、据わりが悪い。柱は地へ根を張り、石は微動だにせず、屋敷は一寸も動かぬべきだ。揺るがぬこと、それ自体が、御三家の格だった。動くものは、卑しい。身体の奥に、そういう序列があった。
山下は、その序列を疑った。
揺るがぬ柱は、揺れと正面から組み合って、割れる。
半寸ずれた柱は、割れずに、立っていた。
「縫うな」
「据わりが悪うございます」
「据わりが悪いから、逃げられる。だが、滑りすぎれば石から落ちる。落ちぬよう、動く幅だけ限れ。石を少し窪ませ、柱の根を、その皿の中で遊ばせろ」
小さな模型を作らせた。
石の皿の上に、柱を載せた箱。横から押すと、箱は石の上を少し滑り、皿の縁で止まり、押すのをやめると、おおむね元へ戻った。
完全には戻らない。
風の強い日には、勝手に動く。
まだ、御殿には使えない。蔵と、小屋と、模型だけの話だ。
それでも、箱は、割れなかった。
戸田が、その模型を指で押した。
「殿は、地震を止めるのを、やめなさいましたな」
「止められぬからだ」
「止められぬものを、いなす。攘夷より、よほど剣呑な御思案で」
私は箱を、もう一度押した。
箱は滑り、止まり、戻った。
種を一つ、蒔いただけだった。芽が出るのは、ずっと先でいい。




