第28話 燃えない布には毒がある
燃えない布には、毒があった。
私はそれを、布が運ばれてくる前から知っていた。
頭巾はできた。竹の鉢で力を散らし、綿で和らげ、座布団の形に隠した。落ちる瓦からは、頭を守れる。 だが、瓦の次に火が来る。
竹も、布も、綿も燃える。
縫物方の前で、試した。 火鉢の炭を、火箸で頭巾の上へ落とす。 火の粉一つである。 それでも、綿が焦げ、布に小さな穴が開いた。
「燃えにくい布を探せ」 。ひと月前にも、同じことを言っていた。 あのとき私は、ひとつ付け加えていた。
毒のある物は使うな。
縫物方の女は、その意味を測りかねていた。布に毒もないものを、という顔だった。 私も、うまく説明できなかった。
ひと月後、布が来た。
持ってきたのは、物産に詳しい武士であった。西国の珍奇な品を集めるのが好きで、反射炉の折にも名を聞いた男である。 彼は、誇らしげだった。
炭の上へ置いても、焦げない。炎を当てても、縮まない。煤がつくだけで、穴は開かなかった。 火の中から、素手で引き上げてみせた。
「火浣布と申します。秩父の山より出る、石の綿にございます」
石の綿。
私はその四文字を、声に出さなかった。
布は、たしかに燃えなかった。
腹の底が、先に動いた。 よし、と何かが言った。これを使え。今日から頭巾はすべてこれにせよ。火は門の前まで来ている。子供が燃えずに済む。何を迷う。
斉昭の声であった。 効くものを、その場で欲しがる声。毒だの、何十年だのを、後ろへ回せる声。
危うい、と思った。 思いながら、少しだけ、正しいとも思った。 火は、今日来る。石の綿が人を殺すのは、何十年も先である。先のために、今日の火で子を焼くのか。
——という勘定を、私の頭が始めていた。 始めたことに、ぞっとした。
「使うな」
武士が顔を上げた。誇りの、行き場がなかった。
「燃えませぬ。御望みの布にございます」
「燃えない。それはよい」
「では、なにゆえ」
「これは、吸う」
彼には分からなかった。 私にも、分かっているのは断片だけだった。
石の綿は、糸になるほど細い。 細いものは、目に見えぬほど小さく折れて、宙に舞う。 舞えば、吸う。 吸えば、肺に残る。 すぐには、何も起きない。 咳も熱も出ない。 何十年も経って、人を殺す。
私が言えるのは、そこまでだった。 なぜ肺に残るのか。どれだけ吸えば足りるのか。何年で出るのか。私は数を持たなかった。都庁では、石綿はただ、触れてはならぬものとして表にあった。除く時は濡らし、袋へ密封し、面を着けた。理由の細部まで、私は覚えていない。
覚えていないことを、殿の顔で命じる。
それが、この屋敷で最も危ういことだった。
「濡らせ」
私は言った。
「乾いたまま運ぶな。水を打って、布へ包み、解くな。触れた手は洗え」
「燃えぬ布を、わざわざ濡らすのでございますか」
「乾けば舞う。濡れていれば舞わぬ」
武士は、命じられた通りにした。 理由は、半分も渡せなかった。
咎めはしなかった。 彼は、隠さず持ってきた。燃えぬ布を見つけ、誇って、火鉢の前で証してみせた。 隠して使われるより、よほどよい。 咎めれば、次に良い物を見つけた者が、黙る。
「大儀であった」
私が言うと、武士は、なぜ褒められたのか分からぬ顔で退いた。 褒められ、禁じられ、布を濡らして去った。
東湖が、濡れた火浣布を見ていた。
「殿は、また御覧になったものを、お話しになりませぬな」
私は答えなかった。
***
水戸藩の工房では、この年、ある布の使用が固く禁じられました。 火に焼けぬことから一部で珍重された火浣布を、斉昭はなぜか嫌い、紡ぐことも織ることも禁じたと伝わります。理由を記した文書は、残っていません。
後年、これを斉昭の先見と讃える者もあれば、奇癖と笑う者もありました。
いずれにせよ、なぜ燃えぬ布を恐れたのかを、斉昭自身もまた、人へ説くことはできなかったのであります。




