第27話 瓦と戦う—— 烈公頭巾
鉄の鉢は、十歩で首が痛くなった。
革の鉢は、座布団の下で回った。
木の鉢は、二度目の試験で割れた。
竹の鉢が残った。
軽い。
編み目が力を逃がす。
小さな破片は通す。
その上へ座布団を被せる。
瓦を落とした。
竹がしなった。
座布団がへこんだ。
瓦は横へ滑った。
木型は割れなかった。
「もう一度」
二度目は端へ当てた。
鉢が傾いた。
木型ごと倒れた。
「首が危ない」
具足師が言った。
「重い物を止めれば、その力は首へ参ります」
止めるな、と口が動いた。
動いたのは、山下の知識ではなかった。都庁の私は、甲冑のことなど知らない。兜がなぜ丸いのか、しころがなぜ揺れるのか、考えたこともない。
だが、この身体は、知っていた。
刀も、矢も、まともに受ければ骨が砕ける。受けず、滑らせ、逸らす。武具とは、そういうものだ——斉昭の身体が、稽古の記憶で、そう言った。
「止めるな」
私は言った。
「横へ逃がせ」
鉢の上を丸くした。
座布団の縫い目を減らした。
瓦が引っかからず、滑り落ちるようにした。
硬い鉢で力を散らす。
柔らかい綿で弱める。
できるだけ、頭の上に留めない。
建物と同じだった。
固いだけでは壊れる。
柔らかいだけでは潰れる。
必要なのは、力をどこへ逃がすかである。
「これでよい」
私は言った。
「まだ火に弱うございます」
縫物方が言った。
竹も、布も、綿も燃える。
江戸の地震では、瓦だけでなく火が来る。
「燃えにくい布を探せ」
「燃えぬ布でございますか」
「燃えにくければよい。毒のある物は使うな」
縫物方は、意味が分からないという顔をした。
私も、その時は深く考えていなかった。
今は、落下物への備えを先にした。
竹鉢の縁へ革を巻く。
頭へ当たる部分へ薄く綿を入れる。
座布団には、触って前後が分かる太い縫い目を付けた。紐は一度引けば締まり、輪を引けば外れるようにした。首筋を守る布は、普段は内側へ折り込む。
大人用と子供用。
同じ形。
同じ場所。
同じ手順。
立つ。
鉢を被る。
座布団を被る。
紐を引く。
最初は遅かった。
子供役の小姓は鉢を前後逆にした。
女中は髷を引っかけた。
年嵩の家臣は、周囲を見てから被った。
「人を見るな」
「皆が被ったかを」
「自分が被ってから見ろ」
訓練を繰り返した。
寝所では枕元。
昼は座る場所。
客間には、客の人数より二つ多く。
台所には全員分。
門と番所にも置いた。
座布団隅の上に鉢を載せれば、普段も邪魔にならない。
「このように座るのでございますか」
東湖が聞いた。
「そうだ」
「礼法上いかがなものかと」
「新義はいずれ先例となる」
昔の変わり者の天子様が言ったとか言わなかったとかいう言葉を聞いて、東湖は困った顔をした。
「頭を守る鉢であり、すなわち、客人を守るための礼の一種である、と」
「そうだ」
「本気でございますか」
「そうだ」
普段使わない物は、しまわれる。しまわれた物は、忘れられる。
ならば、毎日使わせる。座るたびに、そこにある。
綿が痩せれば分かる。
紐が切れれば、その日に直せる。
防災を、日常の外へ置かない。
それが、この道具の最も大切なところだった。
完成した物は、見栄えがよいとは言えなかった。
客間へ同じ座布団が並び、その後ろ隅には竹鉢が載っている。
最初の客は、座る前に目を剥いた。
「これは、何でござる」
「鉢にございます」
「なぜ座布団に」
「地震の時は被ってください」
「鉢を」
「その上から座布団も」
客は私を見た。
「御当家では、客人にも具足を」
「瓦と戦ってもらう」
「瓦と」
「異国船より近い」
客は黙った。
数日後、その藩から作り方を教えてほしいと使者が来た。
笑われたのだと思っていた。
「笑いながら欲しくなったのでございましょう」
東湖が言った。
私は作り方を渡した。
水戸にも送った。
竹の編み方、綿の厚さ、紐の位置、前後を示す縫い目、壊れた時の見分け方。
字の読めない者にも分かるよう、絵を付けた。
「名は」
東湖が尋ねた。
「御備え頭巾でよい」
「座布団ではなく」
「まだ座れる」
「では御備え座布団と」
「被る物だ」
東湖は筆を止めた。
「どちらでございます」
「御備え頭巾だ」
座布団は、頭巾になった。
兜のような鉢は、武士だけの物ではなくなった。
屋敷の者は、板が鳴ればそれを被った。
最初は笑う者もいた。
訓練を繰り返すうち、笑わなくなった。
人は、慣れれば机の下へ入る。
人は、慣れれば女中の指示で非常口を通る。
人は、慣れれば座布団も被る。
私の恐怖は、また一つ、道具と手順になった。
その道具に、私の名はつかなかった。
御備え頭巾。被る物。それだけだ。私はそう名づけた。
だが、家中の者は、もう違う呼び方を覚えはじめていた。
烈公の御頭巾、と。
誰が言い出したのでもない。竹の鉢に斉昭の身体の覚えが入り、礼法に斉昭の理屈が入り、被れと命じたのは殿だった。だから、斉昭の号が、自然と道具へ吸い寄せられた。
山下が拵え、斉昭が名を貸す。
私は、それを止めなかった。
名がつけば、広まる。広まれば、人が助かる。
助かるなら、誰の名でもよい——と、山下は思った。
誰の名でもよくはない、と、斉昭は思っていた。
私はそれを成功だと思った。
この時は、まだ。
***
斉昭が考案させたこの被り物は、当初「御備え頭巾」と呼ばれていました。
最初から現在の形だったわけではありません。初期の試作品には座布団の四隅から長い紐が伸びており、訓練では三人が同時に転倒しています。この失敗は、水戸藩の記録に「御座布団紐一件」として残されています。
その後、頭巾は子供でも一人で被れるよう改良されました。暗闇でも前後が分かる縫い目、首筋を守る垂れ、簡単に外せる紐が加えられ、竹や革で作った簡易鉢と組み合わせる方式も広まっていきます。
水戸から江戸へ、江戸から関東一円へ伝わった御備え頭巾は、いつしか斉昭の号にちなみ、「烈公頭巾」と呼ばれるようになりました。
現在でも、関東・東海地方の多くの小学校では、児童の椅子に烈公頭巾が掛けられています。
毎年九月、教師の合図で一斉にそれを被る子供たちの多くは、その始まりが、門を通らなかった一門の大砲と、試し撃ちによって落ちた三十三枚の瓦だったことを知りません。
もちろん、始めた斉昭自身も知りませんでした。
自分が座布団へ紐を付けさせた日から二百年後まで、関東と東海の小学生が、その名を冠した頭巾を被り続けることになるとは。
烈公頭巾は、今日も子供たちの頭を守っています。
そしてこれは、徳川斉昭が後に「防災の神」と呼ばれるようになる、まだ小さな始まりの一つなのであります。




