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第19話 門の外は他人の屋敷である


 水戸家の屋敷で火が出れば、火は門で止まらない。隣家で火が出ても、同じだった。


 それでも門の外は、他人の屋敷である。


 私は近隣の屋敷へ、合同の避難稽古を申し入れた。


 返事は丁重だった。必要なし、という意味であった。


 各家には各家の備えがある。水戸家の指図を受ける筋ではない。家中の内情を見せられない。訓練のため門を開ければ、警固に差し障る。何より、地震がいつ来るか分からないのに、たびたび家臣を騒がせることはできない。


「いつ来るか分からぬから行う」


 私は返書へそう書かせた。


 東湖が止めた。


「殿のお言葉のままでは、喧嘩になります」


「間違っているか」


「間違っておらぬことと、通ることは同じではございませぬ」


「では通せ」


 彼は返書を書き直した。


 水戸家の改修で騒音や人馬の出入りを増やしている詫び。火災時には互いの塀際が危険になること。水戸家の井戸と空地を、非常時には近隣へ開く用意があること。その確認のため、一度だけ門と避難路を合わせたいこと。


 命令ではなく、迷惑を減らす相談にした。


 二家が応じた。一家は断った。


「三家すべてでなければ意味が薄い」


「二家でも、今までより広うございます」


「断った家から火が出れば」


「その時は、断った家も困りましょう」


「困ってからでは遅い」


「ゆえに、まず二家で成功させます」


 東湖は、人がなぜ動かないかを知っていた。私は、動かないことに腹を立てるしかできなかった。


 合同訓練の日、問題は門で起きた。


 水戸家の避難者は丸印へ向かう。隣家は白い幟を使う。もう一家は太鼓の音で集合場所を知らせる。


 それぞれの屋敷では通じる。門を開けると、何も通じなかった。


 丸印を見て隣家の者が火消し桶の印だと思った。太鼓を聞いて水戸家の火消し役が出火合図だと誤解した。白い幟は、夜なら見えない。


 避難者と消火役が門前で交差した。荷車が一台、道を塞いだ。


 訓練は止まった。


「道を空けろ」


 双方の家臣が同時に叫んだ。誰が誰へ命じているのか分からなかった。


 私は門楼から見ていた。


 屋敷の中では役が決まっている。門を一歩出ると、指揮官が複数になる。全員が正しい命令を出し、全体が動かなくなる。


 行政の縦割りは、江戸にもあった。役所の名が違うだけである。


 私は訓練を中止させた。


 東湖は続けるよう進言した。


「混乱したまま動かせば、さらに分かります」


「負傷者が出る」


「稽古でございます」


「稽古で怪我をさせて、本番のためと言うのか」


 私は苛立っていた。失敗を見つけるための訓練で、失敗に耐えられなかった。


 東湖は静かに言った。


「では、ここまでで見つかったことを直しましょう」


 訓練後、三家の役人を同じ机へ座らせた。


 誰が上座かで時間を使った。私は机を円くしたくなった。円卓を作れば、西洋かぶれと騒がれるだろう。仕方なく、私が最上座に座った。


 水戸家の指図を受けぬと言っていた者たちが、私の前では頭を下げた。


 頭を下げられて、腹の底が、満ちた。


 そうだ、これでよい。談合も、書き直した詫び状も要らぬ。御三家の主が命じれば、隣家は門を開ける。東湖が十日かけて整えた相談を、私は一声で済ませられる。斉昭が、そう言って、心地よさそうにしていた。


 心地よさが、危なかった。


 一声で開いた門は、一声で閉じる。畏れて開けた者は、畏れが消えれば従わない。東湖が遠回りをしたのは、命令では人が動かぬからではない。命令では、続かないからだ。


 私はその心地よさを、押し戻した。半分だけ。残りの半分で、私は最上座に座り続けていた。


「各家の中のやり方は変えぬ。門を出た後だけ揃える」


 共通の合図を三つに絞った。火。避難。通行止め。


 音は半鐘の打ち方で分け、印は形を合わせた。各家の色は残した。誰の指揮に従うかは、火元に近い家ではなく、道と空地を管理する家が担うことにした。


 水戸家の空地を使う場合は、水戸家の先導役に従う。隣家の井戸を使う場合は、その家の井戸役に従う。


 一人の総指揮官を決めることはできなかった。ならば場所ごとに権限を分ける。


 完全ではない。だが、全員が同時に命じるよりは、ましだった。


 断った一家は、塀越しに訓練を見ていた。


 翌日、その家から使者が来た。


 次回は参加したい、という。


 しかも、と使者は言った。共通の合図と桶の刻みを、自家にも先に入れておきたい。訓練の日まで待たず、今から。


「最初から来ればよい」


 私が言うと、東湖が首を振った。


「最初から成功するか分からぬものへ、家中を出せぬのでございます」


「成功しなければ参加しない。参加しなければ成功しない」


「ゆえに、殿が先に失敗なされた。塀越しに、失敗ごと、御覧に入れた」


 私は彼を見た。


「褒めているのか」


「大いに」


 その月、刻みを入れた桶と、三つの共通合図は、申し入れのあった三家の塀を越えた。


 私は絵図に、印を足した。


 水戸家。隣の二家。先に断った一家。さらにその裏の、用人が桶を写しに来た旗本。


 屋敷の輪郭が、五つ、同じ仕組みでつながっていた。


 頭の中の帳面で、私は数える者の範囲を、初めて門の外まで広げた。


 あの夜、この五つの屋敷が同じ手順で動くなら。


 助かる側の数は、もう、この屋敷の人数では足りなくなっていた。


 門の外は、他人の屋敷だった。


 だから命じるだけでは動かなかった。


 だが、塀越しに失敗を見せれば、他人の屋敷が、自分から塀を低くした。


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