第18話 探しに戻る者を止めるな
探しに戻る者を止めろ、と私は命じていた。
命令は守られなかった。
合同訓練の最中、一人の女が列を離れた。子供がいないと言った。
避難札には、子供は先に南庭へ移ったと示されていた。
女は札を見なかった。見ても信用しなかった。自分の目で確かめるため、長屋へ戻ろうとした。
見張り役が腕を掴んだ。女は叫び、振りほどこうとした。
周囲の避難者が止まった。一人を止めるために、列全体が詰まった。
戻る者を止める仕組みが、避難を止めた。
女が叫んだ瞬間、身体が前へ出かけた。
黙らせろ、と腹の底が言った。一人が乱せば、列が乱れる。主が一喝すれば、女は伏す。乱は、力で止まる。
斉昭は、混乱を恐れない。混乱を、踏み潰す側にいる。
その手は、たしかに早い。
女を伏せさせ、列を進ませ、後で子の無事を告げればよい。一人の母の半刻の取り乱しより、全体の流れが大事だ、と斉昭なら数える。
数え方は、間違っていない。
だが、その母は、次も伏せるだろうか。
力で止めた者は、力の目がない夜に、また走る。
そして、力の目がない夜こそ、本番なのだ。
「放せ」
私は命じた。
女が走ろうとした。
「ただし一人で行かせるな」
確認役を二人つけた。一人は札を持ち、一人は女とともに南庭へ向かった。子供はそこにいた。
女は泣いた。
訓練だった。子供が無事であることは最初から決まっていた。
それでも母親には、訓練ではなかった。
私は理解が遅かった。
人は情報があれば戻らないと思っていた。誰がどこにいるか示せば、合理的に判断すると考えた。
だが札は、子供ではない。他人の筆跡は、声ではない。混乱の中で、家族の生死を木札一枚へ預けられる者ばかりではない。
「札を動かした者の名も書け。誰が確認したか分かるようにする」
「それで信じますか」
東湖が尋ねた。
「信じぬ者もいる」
「では」
「確認する場所を、避難路の途中へ置く。戻る者と避難者が逆流しないところだ」
私は絵図を広げた。
家族を探す者を、ただ止めるのは無理だった。ならば、探しに戻る動きを、避難の仕組みの中へ入れる。
各長屋の出口に確認役を置く。庭へ入る手前に家族照合所を作る。見つからない場合は、本人ではなく捜索役が戻る。捜索役は二人一組。建物の状態を見て、入れない場合は入らない。戻る家族には、どこで待つかを明確に伝える。
「殿は、戻ることをお許しになるので」
戸田が尋ねた。
「許さない」
「されど捜索役を」
「勝手に戻るよりましだ」
戻りたい者全員を戻せば、死者が増える。戻るなと叫ぶだけでも、命令を破る者が出る。ならば、破る動きを小さくする。
東湖は照合所の札を見ながら言った。
「人を信用なさらぬのに、人を助ける仕組みは細やかでございますな」
「信用していないからだ」
「普通は、信用せぬ者を切り捨てます」
「切り捨てれば戻る。戻るから死ぬ。死なせぬために、助ける」
東湖は少し黙った。
「殿は、人が死ぬのが、よほどお嫌なのでしょう」
私は返事をしなかった。
嫌なのではない。私は、何人死ぬかを、数で知っている。
その数の中の一人が、いま、私の前で、子を抱いて泣いている母だと、知ってしまっただけである。
次の訓練では、子供を一人、所在不明にした。実際には東湖のそばへ隠した。
母親は照合所へ来た。札に名がない。捜索役が二人、最後にいた場所を聞いた。長屋へは入らず、周辺を確認した。東湖が子供を連れて現れた。母親は子供を抱いた。
避難列は止まらなかった。
前回よりよかった。
私は記録へそう書かせた。成功とは書かなかった。
本番なら、子供が見つからないこともある。見つからないまま、建物へ入れないこともある。
その時、私は母親を止められるだろうか。東湖を止められるだろうか。自分を止められるだろうか。
答えは出なかった。だから手順を増やした。感情の代わりに、役を決めた。
その夜、頭の中の帳面を開いた。
戻って死ぬ者を、私は何人も知っている。位牌を取りに。子を探しに。夫を待ちに。
照合所と捜索役が回るなら、そのうちの幾人かは、戻らずに済む。
数えた。
半分を、わずかに越えた。
初めて、越えた。
私は、それを誰にも言わなかった。言えば、残りの半分を、まだ見捨てている気がした。




