第14話 戸は開くとは限らない
戸は、平時には開いた。
それが問題だった。
毎日開く戸を、人は開くものだと思う。
地震では柱が傾き、敷居が歪み、鴨居が下がる。戸板が無傷でも、枠へ噛めば動かない。
「歪んだ戸を作れ」
私が命じると、大工は聞き返した。
「初めから、でございますか」
「試験用だ。少しずつ変えろ」
東湖は顔を隠すように俯いた。
また烈公が奇妙なことを言い出したとでも思っているのだろう。
だが東湖が突っ込んでこぬということは、一理ばかりは認めているということだ。
私はそのまま続けさせることとした。
柱と鴨居だけの枠を作り、片側を綱で引いた。戸を入れ、どこまで開くか確かめた。
一寸にも満たない歪みで、戸は重くなった。
さらに引くと、動かなくなった。
男二人で押しても開かない。
戸板を外そうとしても、上へ持ち上がらない。
私は長屋の裏戸を見た。
増やした出口が、揺れた後も出口である保証はなかった。
「戸の脇へ道具を置く。こじ開けるものだ」
鉄の棒を作らせた。
重かった。
女や老人には扱いにくい。
木の梃子を作らせた。
軽いが、力をかけると折れた。
太くすると、置き場所を取った。
「戸そのものを外れやすくする方が早いのでは」
大工が言った。
「平時に外れる」
「揺れた時だけ外れるよう、下の溝を浅くします」
「風で鳴る。詰まれば動かない」
議論は続いた。
最終的に、すべての戸を一つの方法へ揃えることをやめた。
軽い板戸は、内側から蹴破れる薄板を一部へ入れた。
重い戸は、脇に梃子を置いた。
障子は紙を破れば出られるが、格子が細すぎる箇所を広げた。
雨戸は、一枚だけ外へ倒せる仕組みにした。
そして何より、揺れ始めたら近くの戸を開ける役を決めた。
「揺れている最中に動かぬ方針では」
戸田が尋ねた。
「火へは行くな。戸は、手が届くなら開けろ」
「届かなければ」
「動くな」
「届くか届かぬかは」
「本人が決める」
私は自分で言って、不安になった。
判断を人へ任せることが、私は嫌いだった。
人は間違える。
近いと思って立ち上がり、転ぶ。戸を開けるため頭上の危険へ出る。誰かがやると思い、誰も開けない。
だから担当を決める。
だが担当者が戸から遠い場所にいることもある。
手順を細かくすれば、覚えられない。
簡単にすれば、例外に弱い。
規則は、現実より短くなければ使えない。
現実を短くしすぎれば、人を殺す。
「近くにいる者が、身を危険に晒さず開けられる戸だけ開ける」
私は言った。
東湖が首を傾げた。
「長うございますな」
「短くせよ」
「手近な戸を開け、まず伏せよ」
「火へ走る者が出る」
「手近な戸だけ開け、伏せろ」
それで決まった。
屋敷中で、訓練の最初に叫ぶ言葉となった。
「手近な戸だけ開け、伏せよ」
最初の訓練では、全員が戸へ走った。
手近、の意味が広すぎた。
次は、腕を伸ばして届く戸だけ、と教えた。
今度は誰も開けなかった。
半歩動けば届く戸を、腕が届かぬとして放置した。
私は頭を抱えたくなった。
抱えたくなった——その下で、別の感覚があった。
心地よさである。
こんな簡単な順序を、この者たちは守れぬ。私だけが、開けるべき戸と開けてはならぬ戸を分けられる。腹の底が、そう囁いて、温かくなった。
斉昭は、人が自分より劣ることを、嫌っていない。
好んでいた。
私はぞっとした。
命令が現場へ届かぬのは、私の言葉が悪いからだ。家臣が愚かだからではない。山下は、そう考える。そう考えてきた。
だが今、そう考えること自体が、わずかに面倒になりかけていた。
東湖が笑った。
「人は、御言葉どおりに動いております」
「言葉どおりに動けばよいとは限らない」
「難しいものでございますな」
「難しいから訓練する」
私は、自分の声が少し硬いことに気づいた。
三度目には、各部屋で戸に近い座を定めた。
謁見の間では身分によって座が決まる。ならば戸に近い者が開ければよい。奥向きでは日ごとに役を交替する。長屋では、起きている者が一枚だけ開ける。
少し機能した。
すべてではない。
ある部屋では、戸を開けた直後に風が吹き込み、灯明の火が揺れた。
耐震灯明皿は倒れなかった。
だが火は、倒れなくても燃え移る。
私は灯明の位置をまた変えさせた。
戸から離すと、部屋の奥が暗くなった。
灯明を増やす案が出た。
「増やすな」
私は即答した。
暗さは人を転ばせる。
火は人を焼く。
安全は、いつも別の安全と争った。
私はその争いの仲裁をするために、殿になったわけではない。
だが殿である以上、最後に決めるのは私だった。
寝所の戸は、夜間は一枚だけ少し開けておくことにした。
冬は寒い。
私は厚い夜具を増やさせた。
夜具が増えると、避難の際に絡まる。
私は軽い掛物を作らせた。
東湖がそれを見て言った。
「川は、まだでございますか」
「戸が開いてからだ」
「川へ出るまで、随分かかりそうで」
「地震の後なら、もっとかかる」
私は歪ませた枠をもう一度引かせた。
戸は、今度も開かなかった。
だから壊した。
壊す場所を決めてある戸は、人の手で出口へ戻った。
周囲の珍奇な視線はもう気にならなかった。




