第94話:肉に釣られた開拓民と、筋肉入社試験
魔境の空に立ち昇る、香ばしく焼き上がったドラゴンの肉の匂い。
それは、絶望と空腹に沈んでいた周辺の廃村や隠れ里の住民たちにとって、神の福音にも等しいものでした。
「……あ、あそこだ。あそこから、信じられねぇ『生命』の匂いがしてくる……」 「馬鹿を言うな、あそこは地龍の巣だぞ。行けば食われるだけだ」
怯えながらも、飢えに耐えかねたボロボロの男たちが、一人、また一人と森の陰から姿を現しました。彼らが目にしたのは、整地された更地の中心で、ドラゴンの巨大な腿肉を丸齧りしている山のような巨漢の姿でした。
「おっ、客が来たな! ガハハ、遠慮すんな、肉は山ほどあるぜ!」
ディエスが血色の良い顔で笑いかけると、民衆の中から一人の痩せこけた男が、震える足で前に出ました。
「あんた……一体何者だ。この山の主を倒したっていうのか……?」
「俺はこの地の新たな領主、ディエス・フォン・バルカスだ! この土地で『筋肉の理想郷』を築くために来た。……お前ら、腹が減ってるんだろ? 食いたいなら食え。だが――」
ディエスは食べかけの骨を地面に突き立て、鋭い眼光を放ちました。
「ただで食わせるほど、筋肉は甘くねぇ。この肉は、これから俺と一緒にこの国を盛り上げる仲間のための『契約金』だ。食いたい奴は、まず俺の前でスクワット30回やってみせろ。それが俺の出す入社試験だ!」
「ス、スクワット……!? なんだそれは!」 「いいから腰を落として、膝を曲げて伸ばせ! 自分の体重に、己の意志を刻み込むんだよッ!!」
困惑する民衆。しかし、背に腹は代えられません。
男たちは、ハンスが配り始めた「入社希望者リスト(仮)」に名前を書き、不慣れな動作で腰を落とし始めました。
「ひ、膝が……笑いやがる……」 「がんばれ、あと10回でドラゴンステーキだぞ!」
ハンスは事務的にその様子を記録し、リナに耳打ちしました。
「見てくださいリナさん。肉という『報酬』と、運動という『共同作業』。極限状態の人間を統率するには、ディエス様のやり方は実に効率的だ。……まあ、見た目はただの集団奇行ですが」
「……肯定したくないですけど、みんなの目に光が戻ってきてるのが悔しいですね」 リナは溜息をつきながらも、追加の肉を魔法で温め直しました。
「……ディエス様。……いい筋肉になりそうな子が、数人。……私が、鍛え直す」
エルザも影から見守り、魔境バルカスにおける「最初の人材確保」は、奇妙な熱気と共に成功へと向かっていました。




