第82話:血を吐く人形(ドール)
墓地からの帰り道、王都の裏路地に漂う空気は、先ほどまでの死臭とは異なる「生々しい殺意」に満ちていました。
「……待って。……何か、来る」
エルザが鋭く呟き、短剣の柄に手をかけます。闇の奥からひたひたと現れたのは、一人の少年でした。
まだ十歳かそこらでしょう。サイズの合わない灰色の戦闘服を纏い、その手には不釣り合いなほど鋭利な魔導短剣が握られています。
「排除対象……確認。……消去を開始します」
少年の声には抑揚がなく、まるで機械が読み上げているかのようでした。その瞳は濁り、生きる喜びも痛みも感じさせない、空虚な深淵が広がっています。
「おい、坊主。こんなところで何してやがる。夜遊びにはまだ早いぜ」
ディエスが努めて明るく声をかけますが、少年は表情一つ変えずに構えをとりました。その構えは、数多の戦場を潜り抜けた暗殺者のそれです。
「命令です。……『あの方』の望まない塵は、僕が掃除しなきゃいけないんだ」
少年の口から漏れた「あの方」という言葉。その響きには、盲目的な、そして歪んだ陶酔が混じっていました。
「『あの方』……? 誰だそれは。坊主、お前をこんな目に合わせた奴のことか!?」
ディエスの問いに、少年は一瞬、幸せそうな、しかしひどく痛々しい微笑を浮かべました。
「あの方は、僕に『役割』をくれた。親に捨てられ、ゴミ溜めで死ぬはずだった僕を拾い、磨き、戦うための力をくれた。……僕にとって、あの方は唯一の光なんだ。だから、あの方の敵は、僕が殺す」
少年の腕には、魔力を強制的に増幅させるための「強化薬」の注射痕が、赤黒く腫れ上がっていました。まだ成長途中の未熟な肉体を内側から焼き切り、寿命と引き換えに一時的な戦闘力を得る。それは、人間の尊厳を徹底的に踏みにじる、最悪の「改造」でした。
「光……だと……? ガハハ……笑わせんじゃねぇぞ……!」
ディエスの全身の筋肉が、怒りゆえにミシミシと鳴りました。 己を鍛え、限界に挑む「修行」とは対極にある、他人を壊して使い潰すための力。そして、その地獄を「救い」だと信じ込まされている少年の純粋さ。
「あの方のために、死んで」
少年が床を蹴りました。その速度は、強化薬による反動で肉離れを起こしながらも、限界を超えた異常な加速。少年の足の骨が、自らの筋力に耐えきれずピシリと音を立てるのを、ディエスの耳は捉えました。
「……あいつ、自分の体が壊れるのも構わずに……!」 リナが悲鳴のような声を上げます。
「ガキが……ガキが血を吐くまで自分を痛めつけて……それを『恩返し』だと思わせてやがるのか、そのクソ野郎は……ッ!!」
ディエスは、向かってくる少年の刃を避けることさえ忘れるほどの憤怒に震えていました。
向けられた殺意よりも、少年の瞳に宿る「歪んだ尊敬」と、それを踏みにじる見えざる黒幕の非道が、ディエスの魂を激しく激昂させたのです。




