第75話:泥を舐める巨躯
「……嘆かわしいな。絡め手一つで、ここまで無様に転がるとは」
冷徹な声が、死の静寂に包まれた墓地に響きました。
リッチがとどめを刺そうとしたその瞬間、大地から突き上げた巨大な岩の棘が、死の王の動きを一時的に拘束しました。
霧を割って現れたのは、不機嫌そうに眉間に皺を寄せたジョエルでした。
「ジョ、ジョエル……か……。ガハハ、いいところに来やがって……」
地面に這いつくばり、全身をレイスに吸い尽くされそうになりながら、ディエスは力なく笑いました。
しかし、ジョエルはその差し伸べられた手を取るどころか、侮蔑の視線を投げかけるだけでした。
「貴公のその野蛮な筋肉など、所詮は物理という狭い檻の中でのみ通用する見世物。アレクシス様が危惧されるような価値など、欠片もなかったというわけだ」
ジョエルは大地魔法でリッチを一時的に退かせると、倒れたディエスを救うこともなく、踵を返しました。
「アレクシス様には報告しておこう。ディエス・バルカス大尉は、幽霊一体にすら手も足も出ず泥を舐めたとな。……さらばだ、筋肉の亡霊」
ジョエルが冷淡に去り、再びリッチとレイスたちがディエスに群がろうとした時。
闇の奥から、クスクスと不気味な、しかし艶然とした笑い声が聞こえてきました。
「もう……。ジョエルちゃんたら、相変わらず余裕がないんだから。せっかくの『いいお肉』が腐っちゃうじゃないの」
現れたのは、派手なドレスを身に纏い、青ひげの浮いた口元を扇子で隠したミスティでした。
「おっ……いや、オネエさん……」
「あら、そんな格好で呼んでも可愛くないわよ、ぼうや」
ミスティが指先をひらつかせると、ディエスを取り囲んでいたソウルイーターたちが、悲鳴を上げる間もなく「何か」に溶かされるように消滅していきました。
物理を無効化するはずの霊体が、ミスティの放つ異質な魔力の前では形を保てないのです。
ミスティは意識を失いかけたディエスの襟首を掴むと、そのまま霧の外へと引きずっていきました。
「ほら、お迎えよ。ちゃんと感謝しなさいね?」
霧の晴れ間から、必死にディエスを探していたリナとエルザが飛び出してきました。
ミスティは、物でも放り投げるようにディエスの巨体を二人の前に転がしました。
「ディエス様! しっかりしてください!」
「……ミスティ様。……なぜ、ここに」
リナが泣きながらディエスに駆け寄り、エルザが鋭い視線をミスティに向けます。
ミスティは腰をくねらせ、退屈そうに髪をいじりました。
「さぁ? ジョエルちゃんの冷たい顔を見てたら、なんだか面白くなくなっちゃって。……次はもっとシャキッとしなさいよ。私の『お気に入り』がこんなに簡単に折れちゃったら、夜も眠れなくなっちゃうわ」
ミスティは意味深なウィンクを残すと、闇の中に溶けるように消えていきました。
王都の外れ、冷たい土の上。
かつてない屈辱を味わったディエスの胸中には、消えかけた命の灯火ではなく、静かな、しかし凄まじい熱量を孕んだ「闘志」が宿り始めていました。




