第134.5話:白夜の牢獄、凍りついた正義
王都の夜明けは、希望ではなく「監視」の合図でした。
かつて喧騒に包まれていた中央広場は、今や静まり返っています。
石畳の上を歩く市民たちは皆、背筋を不自然なほど伸ばし、隣人と視線を合わせることなく目的地へと急いでいました。
「……歩行の乱れ、及び不要な立ち止まり。第十二条、公共秩序維持法に抵触」
広場の角に立つ魔法軍の憲兵が、冷徹な声で手帳に記します。
現在、この都で「王」の署名が入った勅令よりも重いのは、アレクシスが個人的に書き足した追加法案の数々でした。
年老いた国王はもはや祭祀を執り行うだけの飾りとなり、魔王軍を退け救世主となったアレクシスこそが、この国の事実上の独裁者となっていました。
彼の「正義」に異を唱えることは、すなわち「平和を拒む裏切り」と同義だったのです。
王宮の執務室。ジョエルは山積みになった「無気力病」の報告書を前に、意を決してアレクシスに向き合いました。
「アレクシス様……。これ以上の取り締まりは、市民の限界を越えています。汚職を根絶し、規律を正そうとするお気持ちは分かります。陛下も民の疲弊を懸念されており……」
窓の外を見下ろしていたアレクシスが、ゆっくりと振り返りました。
その瞳は一点の曇りもなく透き通り、それゆえに凍てつくような冷たさを湛えています。
「……陛下が、か? 君は、酒と贅沢に呆けたあの方たちが、かつて私の村を見捨てた無能な官僚どもと同じ人種であることを忘れたのか。今の王都に必要なのは、王の慈悲ではない。一点の汚れも許さぬ『光の法』だ」
「ですが……! 飲酒や娯楽を奪い、私語さえ禁ずることが、あの日アレクシス様が望んだ正義なのですか? 今の王都には血が通っていません。まるで巨大な墓場です」
「墓場だと? 犯罪はなくなり、法は隅々まで行き届いている。これこそが、不条理のない理想郷だ。ジョエル……君も、あの醜悪な『遊び』という隙間に、悪が芽吹くことを知っているはずだ」
アレクシスの言葉は、議論の余地を完全に遮断する光の壁のようでした。
彼は国王の権威さえも、自らの掲げる「正義」の下敷きにしていました。
同じ頃、王都の路地裏にある、廃業したはずの酒場の地下室。
そこには、アレクシスの「光」に耐えかねた数人の市民と下級兵士が、息を潜めて集まっていました。
「……おい、早く出してくれ。もう限界なんだ」
一人の男が急かすと、店主が隠し棚から古びた新聞紙の包みを取り出しました。
中から現れたのは、マルコ商会が秘密裏に持ち込んだバルカス領の**『魔獣肉の強塩漬け』**。王都の清潔な料理とは真逆の、野性的で、生々しい獣の臭いが部屋に広がります。
「……っ、これだ。この味だ……」
彼らは、アレクシスに見つかれば即座に重罰に処されることを知りながら、むさぼるように肉を食らいました。
王室の威光も、アレクシスの正しさも、空腹と精神の渇きを潤してはくれません。
「アレクシス様は、俺たちを『彫像』にでもしたいのか? ……俺たちは、ただの人間なんだよ」
男の呟きに、皆が暗い顔で頷きます。
王都を包む純白の正義が、白夜のように人々を焼き続ける中で、その影に隠れた「野生の味」だけが、彼らに自分がまだ生きていることを実感させていたのです。
しかし、その隠れ家の上に、一切の乱れもない軍靴の音が近づいていることに、彼らはまだ気づいていませんでした。




