第133話:静かなる侵食
王都の空気は、アレクシスの支配下で「潔癖」なまでに整えられていました。
道には塵一つ落ちておらず、市民は皆、模範的な笑顔で歩き、英雄アレクシスへの感謝を口にする。
それはまさに、彼が夢に見た「完璧な庭園」でした。
しかし、その静寂の裏側で、目に見えない「変質」が始まっていました。
「……おい、この『干し肉』、食べたか? マルコ商会が新しく卸したっていう」 王都の詰所、非番の魔法兵たちが小声で囁き合っていました。
「ああ。帝国の厳しい冬を越すための秘伝の製法だとか言ってたな。……驚いたよ、一切れ食っただけで、冷え切っていた魔導回路に火がついたみたいに熱くなった。最近のアレクシス様の特訓は厳しいが、これを食うと不思議と指先まで力が漲るんだ」
彼らが口にしているのは、バルカス領でディエスたちが狩った魔獣の肉を、ハンスの指示で特殊な香草と共に燻製にした、驚異的な滋養を持つ**「開拓地特製・燻製肉」**でした。アレクシスの課す「完璧な兵士」へのノルマに耐えるため、末端の兵士たちは、その出所が「追放者の地」だとは知らずに、その活力を摂取し始めていたのです。
異変は兵士たちだけではありませんでした。
「あら……。この石鹸、不思議ね。泡立ちが強くて、汚れだけじゃなく疲れまで洗い流してくれるみたい」 ミスティが鏡の前で、マルコ商会から「試供品」として届けられた石鹸を手に取っていました。それはドワーフたちが魔王領の油脂を特殊な工程で精製した、不純物ゼロの逸品です。
「……アレクシス様が提唱する『高貴な生活』にはぴったりかもしれないけれど。なんだか使い心地が……そう、とても力強いわね」
ミスティはクスリと笑いました。
アレクシスが求める「純白の秩序」の中に、マルコの商魂を通じて、バルカス領の「生命力」が食材や日用品という皮を被って、着実に浸透していました。
そして、王宮の執務室。 アレクシスは、最近上がってくる報告書に、言葉にできない違和感を覚えていました。
「……ノーマン。最近、兵士たちの『士気』が異常に高くないか? それも、私が求めている規律ある忠誠心とは、少し質の違う……こう、もっと根源的な『野生の熱』のようなものを感じる」
「はっ。アレクシス様の御威光が、隅々まで行き渡った結果かと。ただ……確かに、最近の魔法軍は杖を振るう速度が上がり、無駄に声がデカい者が増えたようには感じますな」
ノーマンも、自らの首筋が妙に太くなっていることに気づかないまま、大真面目に報告しました。
「……そうか。ならばいい。秩序が保たれているのであれば、些末な変化は問題ない」
アレクシスは窓から王都を見下ろしました。
街は今日も静かで、美しい。 だが、彼はまだ気づいていません。
彼が「完璧」に整えようとすればするほど、人々はその重圧に耐えるために、無意識のうちに「力強い食材や道具」を求めていることに。
そして、王都の食料庫の奥底に、バルカス領から送られてきた**『魔獣の極太ソーセージ』**の山が、着々と積み上がっていることに。
「……ふん。少し、肩が凝るな」
アレクシスは、無意識のうちに自分の肩を揉みました。 その皮膚の下で、かつては細くしなやかだった彼の筋肉が、知らぬ間に摂取していた開拓地の栄養によって、ほんのわずかに硬度を増し始めていることにも、彼はまだ無自覚でした。




