第108話:工作兵の演習、崩れる断崖
開拓地の北方に位置する急峻な断崖。
そこでは、ハンスの指揮のもと、元野盗と流民からなる「工作兵」たちの特殊演習が行われていました。
「いいですか、諸君。我々の武器は剣ではなく、この地形そのものです。ディエス様の筋肉に頼らずとも、知略と工作で魔獣を屠る……それが工作兵の真髄です」
ハンスが眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせると、筋骨隆々の工作兵たちが、一斉に断崖の各所に仕掛けられた「細工」に手をかけました。
今回の獲物は、感知能力に優れた大型の魔獣「アース・ベア」の群れです。
本来なら魔法軍の小隊が総出で当たる相手ですが、工作兵たちの手には、ただの「ロープ」と「杭」、そして「シャベル」しかありません。
「……あらあら。筋肉自慢たちがどう戦うのか、見せてもらおうかしら」
岩陰でモツ煮の皿を片手に、ミスティが興味深げにその様子を観察していました。
魔獣が罠のエリアに足を踏み入れた瞬間、ハンスが右手を振り下ろしました。
「第一段階、開始」
ドォォォォン!!
爆発魔法ではありません。工作兵たちが一斉に「杭」を引き抜いたことで、あらかじめ土台を削り取られていた巨大な岩盤が、自重に耐えかねて崩落したのです。これこそ、ジョエルの大地魔法を物理的に再現しようとする、ハンス流の「物理的大地工作」でした。
「グアァッ!?」
土砂崩れに巻き込まれ、身動きを封じられた魔獣たち。
そこへ、崖の上から工作兵たちが、ディエス直伝の広背筋で巨大な「丸太」を投げ下ろします。
「そぉれ! デッドリフト・シュートだぁッ!!」
重力と筋肉の加速度が加わった丸太は、魔獣の頭蓋を容易く粉砕しました。
ディエスが前線に出るまでもなく、地形を利用した「罠」だけで群れが殲滅されていく光景に、ミスティは思わず溜息を漏らしました。
「……あきれた。あのハンス、工作兵を『ただの土木作業員』じゃなく、完全な『工兵部隊』に仕立て上げているわ。それも、ぼうやの異常なパワーを前提にした設計でね」
演習が終わり、土埃が舞う中でハンスが戦果を記録していると、ミスティが音もなく背後に現れました。
「あら、素晴らしい手際ね。王都の王国魔法軍がこれを見たら、腰を抜かして逃げ出すんじゃないかしら?」
ハンスは眉ひとつ動かさず、書類を閉じました。
「……占い師の女性が、随分と軍事にお詳しい。ミスティ副官、と言い直すべきでしょうか」
「バレてた? まぁ、そうよね。お互い『主人』の扱いには苦労するタイプだもの」
ミスティは隠密用の薄汚れた格好のまま、艶めかしく笑いました。
彼女はアレクシスの非情さを知っています。そして、この開拓地がアレクシスの想定を遥かに超える速度で「牙」を研いでいることも。
「ハンス、アタシと取引しない? アレクシス様には、ここの発展は『ゴミ同然』だと伝えておくわ。その代わり……いずれ来る『その時』、アタシに有利な席を用意してほしいの。アタシ、負け馬に乗るのは大嫌いなのよ」
ハンスは眼鏡を押し上げ、冷徹な口調で皮肉を返しました。
「……なるほど。ミスティ様が沈黙を守れば、アレクシス様がこの地を侮って『勝利』を確信できる。そして我々も、邪魔されずに力を蓄えられる。つまり、アレクシス様が勝っても、私たちが勝っても、貴女だけは損をしないということですね?」
ミスティは、そのあまりに正確な指摘に、細身の肩を揺らして笑いました。
「あら、嫌だわ。そんな風に言われると、アタシがただの欲張りな女みたいじゃない。……でも、賢い男は嫌いじゃないわよ」
「ディエス様が『肉を食った奴は仲間だ』と仰っていましたので。モツ煮の代金は、その『嘘の報告書』で頂くことにしましょう」
二人の冷徹な実務家が、筋肉の咆哮が響く断崖の下で、王国の運命を揺るがす「秘密の契約」を結んだ瞬間でした。
一方その頃、ディエスはそんな密談など知る由もなく、倒したアース・ベアの死骸を両肩に担ぎ、「今日の晩飯は熊鍋だぁッ!」と上機嫌で村へ戻っていくのでした。




