第98話:帝国商人、筋肉を査定する
豪華な馬車から降りてきたのは、派手な刺繍を施した燕尾服を纏い、モノクルを光らせた男――帝国最大の商会の一つ「黄金の天秤」の代理人、マルセルでした。
「いやはや、驚きました。王国が『死地』として放棄したこの北方の果てに、これほど見事な肉と素材、そして……活気溢れる村ができているとは」
マルセルは、背後の馬車から数人の鑑定士を呼び寄せました。
彼らはディエスが仕留めたケルベロス・バイソンの巨体を検分し、小刻みに震えながら叫びます。
「ま、マルセル様! これは……信じられません! 外殻の岩板に傷一つなく、衝撃だけで内部の脊椎が粉砕されています! これほど『傷が少ない』素材は、帝都の最高級オークションでも滅多にお目にかかれませんぞ!」
マルセルはニヤリと笑い、ディエスを見上げました。
「『肉の旦那様』とお呼びすればよろしいかな? 単刀直入に言いましょう。このバイソンの肉と素材、そして今後この地で獲れる全ての獲物……我が商会が、王都の相場の三割増しで買い取りたい」
「三割増しだと!? ガハハ、気前がいいじゃねぇか!」
ディエスが身を乗り出そうとしますが、その前にハンスが冷徹な足取りで割り込みました。
「話が良すぎますね。王国との正式な通商条約も結ばれていないこの地で、それほどの高値をつける理由は何です? それに、我々の『王国側』への報告を無視して取引を行うということは……密貿易の誘いと受け取っても?」
ハンスの鋭い視線に、マルセルは肩をすくめました。
「おや、恐ろしい参謀殿だ。……おっしゃる通り。王国側からは垂直の絶壁に阻まれ、物流は死んでいます。しかし、こちら帝国側はなだらかな平原。我々にとって、ここは『王国の飛び地』ではなく、手つかずの『黄金の山』なのです。王国側に黙って我々に流してくれるなら、食料、鉄材、そして……帝国の最新鋭の防衛設備や訓練資材、何でも調達しましょう」
ハンスはディエスに目配せをしました。
今、この地に必要なのは単なる贅沢品ではなく、住民が自ら魔獣から身を守り、開拓を継続するための「強さ」です。
「……いいでしょう。ただし、支払いは金貨だけでなく、この開拓地を自立させるための『訓練施設』の資材を要求します。魔獣の習性を模した訓練人形、高硬度の重り、そして大規模な演習場の建設資材……これらを優先的に運びなさい」
「ほう、**『対魔獣特化型・住民訓練施設』**ですか。面白い。王国のお偉いさんが貴方を放置している間に、ここは帝国の技術とバルカス家の筋肉が融合した、不落の要塞になるというわけですな」
マルセルが差し出した手を、ディエスが岩石のような握力で握りかえしました。
「ガハハ! いいぜ。肉をやる代わりに、俺の領民を鍛え上げるための最高の鉄を持ってきやがれ! 補給路がないなら、住民一人一人が『歩く補給線』になればいいだけの話だ!」
王国の「秩序」から見捨てられたこの地が、帝国の「実利」と結びつき、独自の軍事(筋肉)拠点へと変貌し始めた瞬間でした。




