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Ⅷ 映ったもの

 出勤した宮部の顔を見た平川は、おやっと思った。以前は無かった影がある。


 非番中に何かあったのか?そういえば奥さんの付き添いで病院へ行くと聞いていた。顔色が優れないのは奥さんの具合が良くないのかもしれん。


 しかし、本人が何も言わないのに、プライベートのことをこちらから、しかも職場で聞くのは平川は好まない。だから気づかない振りをする。


 仕事モードに頭を切り替え、浮かない顔の宮部に向かい、次の三点の報告とスケジュールを伝える。

1 神野彩花の両親から行方不明の届が提出されたこと、それにより、正式に捜査が出来るようになったこと。

2 明日の火曜日に長野県K市の香川雄三を訪ね、事情聴取を行う。

3 K市の警察署に行き、香川雄三が過去に関係した事件があれば、その記録を見せてもらう。


「課長がな。手のひらを返したように、俺を呼びつけてしっかり捜査するようにと仰ったよ」

「へえ。やっぱり行方不明の届出が効いたんですかね」

「それも当然あるだろうが、神野氏の社会的地位、肩書きが効いたんだろうよ」


 神野氏は、とある中堅どころの企業の執行役員だった。会社の名前は平川も聞いたことがあった。


 結局は保身なんだよな。


 苦い気分で平川は課長席を眺める。当の課長は別室で署長を交えての会議中だ。陰口は好かないが、相棒の宮部にぐらいは文句の一つでもこぼさないと、溜まりに溜まったストレスのはけ口がない。


 保身だろうが何だろうが、気兼ねなく大っぴらに捜査できるの喜ばしい。しかしこれでもしも課長が期待するような結果が出せなかったら、またネチネチと嫌味を言ってくるに違いない。そう思うと平川にしては珍しく、少し気が重かった。


「香川雄三は怪しいですね。警察だと知ったらすぐに電話を切るなんて」

「ああ。我々に対して何か恨みでもあるようだ。過去に警察といざこざがあったのかもしれん。電話に出たK市警察署の刑事が香川雄三の名前に反応したよ」

「でもそうすると、姪の白石麻里恵について香川から事情聴取するには難しいかもしれませんね」

「まあな。しかし今のところ手がかりは香川だけだ。何か知っているなら何としても吐いてもらわねば」


 消えた二人の大学生。一人は一ヶ月も前から行方不明だ。そして神野彩花。二人ともどこに行ったのか、生死すらもわからない。どこを探せばいいのか見当もつかない状況が続いている。


 不気味な存在については、上司はおろか同僚にすら言えず、誰にも相談できない。もし話しても誰にも信じてもらえないだろう。焦っても仕方がないとわかっていても、平川は焦らずにはいられなかった。


「急なんだが、明日、長野まで行けるか。正式に捜査が決まったから旅費を申請したんだよ。そうしたらすんなり申請が通ったので、勝手に二人分の新幹線のチケットを予約したのだが」

「…大丈夫です。行けます」


 宮部の返事が一瞬遅れた。しかし平川は気づかない。


「それから神野彩花のマンションの防犯カメラ映像の件だ。用意ができたと連絡があった。これから管理会社までデータを受け取りに行ってくるよ」

「じゃあ午前中に別件を片付けるので、あとで平川さんと俺とで手分けしてチェックしましょう」

「ああ。頼む」


 一瞬、宮部が何か言いかけた。しかしそれは言葉にならないまま「じゃあ、行ってくる」と平川は立ち上がった。


 残された宮部は、昨日の病院でのことを思い出していた。検査が終わってから、夫である宮部だけが担当に医師に呼ばれた。そしてそこで、詳しい検査結果を見ないとまだ断定はできないがと前置きをされ、妻の由美に急性白血病の疑いがあると告げられたのである。


 まさか、信じられない、信じたくないと思いつつも、それまでの妻の症状を考えたとき、思い当たるものが無くはなかった。だが、と、また考える。


 まだ決まったわけではない。もしかしたら医師の見立て違いの可能性だってある。それにもしも、もしも医師の言うように白血病であったとしても、治療すれば治るさ。そしてまた以前の彼女のように元気なる。いや。ああ、とにかく今は悩んでも仕方がない。


 ともすれば悪い方へ傾きがちな未来予想を振り払い、宮部はデスクに向き直り、溜まっている仕事を片付け始めた。


 †


「平川さん、ちょっと見てください。これ、何ですかね」


 宮部の視線はパソコンのモニターに釘付けになっていた。呼ばれた平川は、マンション入り口とエントランスの映像をチェックしているところだった。作業を開始してからまだ十分も経っていない。


 犯人が映っているにしては微妙な言い方をしやがる。内心で苦笑しつつ、宮部の横からモニターを見る。廊下に設置された防犯カメラの静止映像だ。


「神野彩花の部屋がある階の廊下か」

「そうです。時刻は…俺と平川さんが到着する十五分ほど前ですね」


 廊下の先、距離にして五メートルぐらいだろうか。床の上。そこに輪郭のはっきりしない黒いものがあった。


「再生してみてくれ」

「はい」


 黒いものが動き出した。ウネウネとくねりながら移動している。まるで全身が真っ黒の人物が床を這っているようだ。その不気味な動きに平川の腕がゾゾっと粟立つ。


「エントランスに設置されているカメラにはこんなものは映っていません」

「神野彩花の部屋の位置は?」

「ここです」


 宮部の指が、くねっている黒いものの少し先を指した。指先が少し震えている。見ているうちに、黒いものは神野彩花の部屋の中に吸い込まれるように消えていった。


 映像の時刻と平川が神野彩花と通話していた時刻を比較する。黒いものが部屋の中に消えた時刻は、神野彩花の悲鳴が聞こえて電話が切れた時刻と、ほぼ同じだった。


 平川と宮部が固唾を飲んで食い入るように見つめる中、やがて映像に二人の男が現れた。


「これは俺と宮部だな」

「ですね」

「黒いやつは部屋に入ったきり出てこなかった」

「ええ」

 

 その後、他の場所の映像もチェックしてみたが、怪しいものは映っていなかった。あの映像に戻り、巻き戻したり止めたりしながら何通り繰り返し再生してみる。見れば見るほどその黒いものは不気味だった。やはり人が這っているように見える。真っ黒で、鍵のかかったドアをすり抜ける人間がいるとしたらだが。

 

 こいつが何なのかわからないが、やはりこの黒いやつが神野彩花を襲った。だが、それからどうなったんだ。部屋からは出てこなかった。ということは窓から出たのか?いくら平川が考えても答えは見つからなかった。

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