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Ⅶ 軋轢

 翌日の朝十時きっかりに、平川は長野県K市警察署へ電話をかけた。担当部署に電話を回してもらい、こちらで大学生が行方不明になったこと、その唯一の親族がそちらの管轄内に居住していること、相手に事情を説明しようとしたら、警察とわかった途端に一方的に通話を切られたことなどを、電話に出た担当へ簡潔に伝える。


「香川雄三…どこかで聞いたことがあるな」


 潰れたような渋い声が電話の向こうでうーんと唸る。平川より歳上のようだ。


「過去に何かあったと思うのです」

「ですな。きっと警察を嫌う理由があるんでしょう」

「ちょっと待ってもらえますか」


 電話を保留にし、自分と宮部のスケジュールを確認する。自分のそれはスカスカだったが宮部はそれなりに忙しいようだ。


「すみません。来週の火曜日にそちらへ行きます。電話で話せないなら香川雄三に直接会って聞くしかないので」

「そうですか。ではそれまでに香山の件を調べておきますよ」

「すみません。お世話になります」


 受話器を置いたところで課長に呼ばれた。


 二人の大学生が不可解な状況下で消えた件について、すでに昨日のうちにその両名の調書および報告書を課長に提出してあった。捜査の必要性を訴える平川を無視しつつ、これ見よがしに時間をかけて無言で平川の調書を読み終えた課長は、ぞんざいに書類を投げてよこし、事件性がないと突っぱねた。


「平川刑事。二人の部屋に外部より何者かが侵入した形跡はないと、きみは自分でここに書いている」

「そんなことは書いていませんが」

「窓にもドアにも鍵がかかっていた。部屋の中で争った形跡も荒らされた様子もない。そうだな」

「そうです」

「それなら、そのような条件で我々はどのような判断を下すのか言ってみたまえ」

「ですが課長」


「私の解釈が間違っていると、きみは言いたいのだろう。それならきみはどう考えるのだね。この二人は誘拐されたのか?」

「わかりません。誘拐されたのか、どうなのか。ですが」

「ここにある黒い女とはどこの誰だ。仮にその二人の大学生がなんらかの事件に巻き込まれたとして、この黒い女とやらが容疑者なのか」

「今はまだわかりません」

「わからない?平川刑事。わからないとはどういう意味だね。わからないのにきみは事件だと考えるのか」

「とにかく捜査をさせて下さい」

「駄目だ。事件性がないのだから捜査も必要ない」


 ギリっと歯噛みした平川は「では勝手に捜査します。どうせ俺は暇なんで」と言い放ち、自席に戻った。


 課長と平川は普段から反りが合わない。若手キャリアと叩き上げのベテランとでは意見が合うはずがなかった。ことあるごとに対立を繰り返し、やがて平川は主力メンバーから外されるようになった。


 相棒の宮部は平川と同じくキャリアではない。だが、こんな俺と行動を共にしていたら彼の経歴に傷がつくのではないか、出世の妨げになるのではと、口に出して言ったことはないが、平川は気がかりだった。


 こちらを睨んでいる課長へ、クルッと背中を向け、デスクの上にノートパソコンに、昨日、不動産屋から押収したメモリースティックを挿す。白石麻里恵のマンションの防犯カメラの映像データである。担当が言っていたとおり、七月十日以降のデータしかない。


 頭から再生してみたが、時々、マンションの住人や宅配、何かの集金らしき人物が通り過ぎるだけで、怪しい人物は見つからない。もちろん白石麻里恵の姿もない。時々早送りしながら、一ヶ月分の映像を目を皿のようにして何度も繰り返しチェックする。しかし目が疲れただけで収穫はなかった。


 †


 午後一時を回った頃、平川へ来客があった。神野彩花の両親である。夫婦ともに年齢はおそらく五十代前半、その身なりから経済状態は豊かであると瞬時に見てとった。水野という学生から得た情報と一致する。挨拶を早々に切り上げ、早速、事務室の奥にある応接スペースへ案内する。


「ご足労いただきまして申し訳ありません。平川と申します」

「神野です。こちらは妻の美彩子です。よくわからないのですが、娘が何か事件でも起こしたのでしょうか」


 神野氏のいんぎんな口調には戸惑いがあった。


「いえ。そういうわけではありません。二日前、神野彩花さんはご友人の件で相談にいらっしゃいました。そのご友人は一ヵ月前から連絡が取れない状態が続いており、大学にも来ていない、だから調べて欲しいとの相談でした。昨日に、その件でこちらから連絡をしようとしたところ、神野彩花さんより私に電話があり、何者かにあとを付けられている、今は自宅にいること、それからご友人の手がかりを見つけた、と言った直後に不自然に電話が切れました。すぐにご自宅のマンションへ急行したのですが、神野彩花さんの姿はありませんでした」


 平川の話を聞いた神野夫妻は、顔を強張らせた。


「娘は、誘拐されたのでしょうか」

「今はまだ調べているところです。彩花さんの部屋は荒らされた様子も争った形跡もありませんでした。それから…」

「それから?それから何です」


 これは言ってもいいかどうか、平川は一瞬悩んだが、ありのままを伝えることにした。ただし黒い女については伏せることにする。


「私ともう一人の宮部という刑事が彩花さんの部屋に入った時、部屋のドアと窓には鍵がかかっており、ドアの鍵は部屋の中にありました」

「えっ。それはいったい…?」

「それから、彩花さんの私物ですが、スマートフォンや財布やカード類、現金などは、彩花さんのものと思われるショルダーバッグに入ったままでした。さらに衣類、靴など、持ち出された様子はありません」


 きっと怒るだろう。何だそれは意味がわからない、ちゃんと説明しなさいと激昂するに違いない。警察は何をしている、さっさと娘を探せと(ののし)るだろう、平川はそんな反応が返ってくるものと覚悟した。しかし、帰ってきたのは予想外の静かな声だった。


「よくわかりませんが、とにかく娘は…彩花は何か事件に巻き込まれた。そういうことですね」

「ええ。そう思います」

「でしたらどうか」


 神野夫妻が椅子から立ち上がった。釣られて平川も立ち上がる。


「どうか娘を探してください」

「は、はい」

「よろしくお願いします」

「できる限りのことはします」


 罵倒されると思っていたのに、予想とは真逆に深々と頭を下げられてしまい、暗澹(あんたん)たる思いがした。


 密室から消えた神野彩花。それに友人の白石麻里恵。彼女らに何が起きたのか何者かに拉致されたのか、今、生きているのか、それとも…。まだ何も判明していない。どこに向かって捜査すれば糸口が掴めるのかすらわからない。鍵は黒い女と黒いノートであることはわかっている。そこにサマードレスの女も加えよう。だが、それらは平川がかつて経験したことのない不気味なヴェールに包まれている。


 神野夫妻に対し、どうしたらいいのかわからないなどと本当のことは言えない。不安にさせてはいけない。捜査すると言ってはいるけれど、組織からは捜査は認めないと突き放されている体たらくだ。とにかく、今は嘘を突き通すしかない。


「今後の捜査を進めるのに必要なのでお聞きしたいのですが」

「何でしょう」

「彩花さんの友人や知人をご存知ですか」

「さあ、私たちにはそういう話をしないので」

「失礼ですが、お付き合いされている男性などは?」

「それも聞いたことがありません」

「そうですか」


 交友関係から攻めるのは無理のようだ。それは聞く前からわかっている。大学での聞き込みで、神野彩花は白石麻里恵以外には友人がいないという情報を得ている。


 何かあったらご連絡くださいと夫妻へ伝え、最後に行方不明者の届を提出してもらう。これで正式に事件として扱える。今後は課長もぞんざいにできないだろう。小さな一歩だが一つ前進だ。


 帰る前に娘の部屋に寄っていくという神野夫妻を警察の車で送り、平川も一緒に部屋の中をあらめたが、特に新しい発見はなかった。最寄りの駅で夫妻を下ろし、署へ戻る。


 二階へ登る階段の途中で平川は足を止めた。急に気が変わったように一階へ降りる。


「小山婦警はいますか?」

「今は外に行っていますね」

「戻ったら平川が探していたと伝えて欲しい。聞きたいことがあるんだ」


 受付窓口にいた別の婦人警官に伝言を頼む。


 自分のデスクで事務仕事を片付けていると、また課長に呼ばれた。キーボードを打つ手を止め、うんざりしながら立ち上がる。


「M学院大学から苦情の申し立てがあった。平川という刑事が窓口で事務員を脅したとな」

「はあ。そうですか」

「はあそうですかじゃない。なんだその態度は。平川刑事、これは事実なのか」

「M学院へ行ったのは事実です。しかし私は脅したつもりはありません」

「相手は脅されたと言っている。脅されて情報提供を迫られたと」

「捜査に必要だから要請したまでです」

「君に捜査を許した覚えはない。いいか、責任を取るのは私なんだよ。軽はずみな行動は慎め」


 保身しか頭にない相手にイライラが募る。感情的な発言は不利になると分かっていても自分を抑えられない。


「先ほど神野彩花のご両親より行方不明の届が提出され、受理しました。これでも課長は事件性がないから捜査の必要はないと仰いますか?」

「なんだと。そんな報告は受けていないぞ」


 平川が目の前のデスクに両手をついた。バンと大きな音がした。そのまま、相手の青筋を立てている顔に向かってグッと身体を乗り出す。


「これからご報告しようと報告書を作成している最中に課長に呼ばれたんですよ」


 平川と課長は睨み合う恰好で静止した。険悪な雰囲気に同僚たちの視線が集まる。またかとうんざりしたように目を逸らす者もいる。


 先に硬直を解いたのは課長の方だった。掠れた声で「早急に報告するように」と言い、下がれという意思表示なのだろう、手で追い払う仕草をした。


 †

 

「平川さん。わたしに聞きたいことがあるとか」

「わざわざ来てもらってすまない。あっちで話そうか」


 同僚に聞かれたくなかったので、平川はその若い婦人警官を連れて廊下に出た。


「昨日のことなんだが、うちの宮部が署内で怪しい人物を見たらしいんだ。小山婦警もその場にいたと宮部から聞いてな」

「ああ、いたというか。でも」

「でも?」


 婦警は奇妙な表情で黙ってしまった。平川も無理に聞き出そうとはせずに、相手が話し始めるのを待つ。


「わたしは何も見てないんです。宮部さんが」

「うん。宮部は何と言ったの」


 沈黙。平川は待った。急に小山婦警がしゃべり出した。


「わたしは一階の受付にいました。誰か来たらわかります。というかわたしに気づかれずに二階へ行くなんてできないんです。あの時、わたしは書類を届けるために二階へ行く階段を登ったところで、そこに宮部さんが変な顔でやってきて、今、何かいなかったかってわたしに聞いたんです。誰かじゃなくて何かって聞いたんです」


 顔色が悪い。しゃべり続けている婦警の顔は蒼白だった。


「その言い方がとっても気味が悪かった。ゾッとしました。わたしが何も見てないって言ったら、宮部さんは納得できないみたいで、屋上へ行く階段を確かめたり、あっちこっち覗いたりして、その"何か"を探していました

「わかった。もういい」

「でも誰も、何もいない。いるはずがないんです。それなのに宮部さんは」


 引き攣った声でしゃべり続ける婦警の肩に手を置き「小山さん。もういいよ」と、優しく静かに、言い聞かせるように平川は言った。ハッとした顔になった小山婦警は、やっとしゃべるのをやめた。


「すみません。わたしったら」

「いいよ。ありがとう。わかった」


 ホッとした様子で、小山婦警は足早に階段を降りて行った。



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