第十二話 アナーキー(2)
友庫 : よし、決めた! 私、会社を作る。
ナレーター(以下、「>」と表す。):ああ、またですか。……ま、別にいいんですよ。出だしは私から始める、なんてルールはどこにも明文化されていませんからね。今後もどうぞ、好きな方がお先にお入りください。
>友庫 さんが、そう言ったのは、前々話の『本物は誰だ? パンツ〇〇マン』の後――え、良くわからない? じゃあ「パンツの乱の後」なら、どうです? ……こちらの方がわかりやすかった? なら、良かったです。
>ヤジ馬と警察が来る前にうまく逃げた、友庫 さんとフリップフロップ・チェリー。そして、パンツイッショマン。――イッチョじゃなくて、イッショの方ね。……ややこしいから、今後は『パンツ一緒マン』と表しましょう。……あ、もう遅い? でも、放映当時は、あの見分けにくさが、サブタイトルの説得力と、半裸の男たちがごちゃごちゃしている感じ、というかズバリ見苦しさを表現するためには必要だったわけです。……たぶん。
>で、冒頭のセリフは、友庫 さんとフリップフロップ・チェリー――いや、覆面を外したから桜ちゃんでいいですね――が、パンツ一緒マンと別れた後に発せられました。
>その前の、パンツ一緒マンとの別れはなかなか面倒でした。事件現場を去りながら、改めて社会保障制度について話した後、具体的にはまた後日、と一旦解散しかけましたが、そこで交換しようとした連絡先がパンツ一緒マンにはなかったからです。スマホもガラケー所持していませんでした。これは結構大変なんですよ。今や行政サービスもスマホありきネットありきなとことがありますからね。
>パンツイッチョマンは一時的な不携帯と予想されますが、パンツ一緒マンはずっと所持したことがなかったのです。なので、みんなが使っているコミュニケーションアプリやらメールやらは使えません。固定電話も契約していなかったので、電話番号も持っていませんでした。
パンツ一緒マン: 連絡なら、ハガキか手紙を出してくれたら――
>言葉にはしませんでしたが、その時、友庫 さんの頭の中では「今時!?」と大きな声を出していました。しかし、その住所も――
パンツ一緒マン: 自分に出すことはないから覚えてない。
>という有様だったのです! ね、大変でしょ? 結局、友庫 さんたちは、パンツ一緒マンの住まいまで同行するはめに陥ったのです。並んで歩くのはさすがに困る――年頃の女の子ですからね――ので、パンツ一緒マンに先を、と言うか、かなり先を歩いてもらい、後から二人が、たまたま行き先が一緒な顔をして着いて行く、という体を取りました。当然、パンツ一緒マンの姿は人目を引きました。半裸の男たちが大勢ワッショイしている時は「そのうちの一人」で済みましたが、一人だと目立ちます。だけど、パンツ一緒マンの家に近づいていくと、その浮いた感じが徐々に無くなっていきました。その理由に友庫 さんたちが気付いたのは後になってからです。
>辿り着いた先で、二人が目の当たりにしたのはショッキングな光景でした。建物が粗末なのは二人とも予想しており、現実はそれを超えてきたのですが、まあ動揺しないレベルで呑み込めました。動揺させられたのは、中身が溢れかえった郵便受けと、扉に貼られた紙――「金返せ!」「日本から出て行け」などの文句――でした。
>パンツ一緒マンにすれば、「いつもの事だから」と気にしていませんでした。家賃は遅れ気味ながら払えているので、大家さんは「出て行け」とは言っていないそうで、悪質な張り紙をしているのは貸金業者でした。パンツ一緒マンは「どうせお母さんは(日本語を)読めないし」と笑ってすらいましたが、友庫 さんたちは笑えませんでした。張り紙を剥がし、郵便物を整理し――中には、やはり枚鴨市からの福祉に関わる書類もありました――、必要な物を持って帰らせた後、住所を控えた友庫 さんは「また必ず連絡する」と約束し、パンツ一緒マンと別れました。パンツ一緒マンがアパートの一室に入っていくと、それを見守っていた桜ちゃんが微笑みました。
友庫 : どうしたの?
桜: ん。何言っているのかはわからないけれど、声の調子で、お母さん、心配していたんだなぁ、と思って。
友庫 : 中の声が聞こえるの?
桜: うん、微かにね。集中すれば。
>聴力に関しても、桜――いや、ここはヒーロー名で呼んだ方がいいな――フリップフロップ・チェリーは常人離れした能力があるようだ。
>そして、二人が帰っている時に、友庫 さんが冒頭のセリフを言った。……だったら、冒頭で出さずにここで初めて出しても良かったのにねえ。……ま、とりあえずリピートしておきましょう。
友庫 : よし、決めた! 私、会社を作る。
桜: シオリン、突然どうしたの?
>友庫 さんは、桜ちゃんに向き直ると、両手を握る。
友庫 : 桜ちゃんには悪いけど……いや、この場合、フリップフロップ・チェリーかな。ともかく、ヒーローの力だけじゃ、物事は解決しないのよ。だから、今は未だボランティアでも仕方ないけれど、いずれはお金を稼ぐしかない。私はそう思っている。
>貧乏の壮絶さを目にしたからこその考えだった。後で、友庫さんは、パンツ一緒マンが自宅近くでは珍しがられなかった理由が、「普段から似たような恰好をしているからではないか」と気づき、余計になんとかしてあげなくちゃ、と思うことになる。
桜: う、うん。それは私も目指しているっていうか……。だって、花鳥風月さんも職業ヒーローじゃん。
>桜ちゃんに同意されて嬉しそうな顔をした友庫 さんだったが、花鳥風月の名前が出て、顔を顰めた。若くてカッコいいと評判の日本で最高と言われるヒーロー「花鳥風月」は女性関係が奔放だという噂も有名だった。
桜: でも、会社って?
友庫 : それは、もちろんフリップフロップ・チェリーの仕事を管理する会社に決まっているじゃない。
桜: え! それをシオリンがやってくれるの?
友庫 : うん。少しでも力になりたくて……ダメ?
桜: ダメなんか、全然! それどころか……どうすればいいか、わからなかったから、こちらから、ありがとうって感じ!
友庫 : いや、わからないのは私も同じだって。……でも、花鳥風月を見ていたら、やっぱり芸能事務所みたいになるのかな。
桜: うんうん、それでいい。っていうか、ゆくゆくは花鳥風月さんも雇ったりしない?
友庫 : ……しない。
桜: えー、そんな事、言わないでさぁ。あ、逆に、私が向こうに所属するって手も……
友庫 : ちょっと、桜ちゃん、先走り過ぎ。まずは、会社をどうやって作るか、よね。
桜: そっか。……それにも、お金が掛かるよね。
>溜息をついた桜ちゃんに、友庫 さんが笑いかける。
友庫 : 足りるかどうかはわからないけど、少しは元手があるのよ。留学費用を貯めていたから。
桜: え! ……でも、それじゃあ。
>桜ちゃんが言葉を続ける前に、友庫さんがその内容を予測して話し出す。
友庫 : 留学って、自分の見識を広めるためでしょ? でも、もう私は別の見識が広がったから、っていうか、留学するより広がっているかな。
>もちろん、フリップフロップ・チェリーとの関係についてだろう。実際、友庫さんの生き方はがらりと変わりつつあった。そして、その変化には、おそらくパンツイッチョマンの存在も影響しているだろう。……これはもう悪影響と言っていいのかもしれない。
桜: 私も、ヒーロー認定を受けるために旅費を貯めたからわかるけれど、貯金していくのって大変だよね。
友庫: まあね。でも、桜ちゃんはそれを夢の為に使ったんでしょ? 夢は思ったとおりに叶わなかったかもしれないけれど、それって後悔している?
桜: ……ううん。むしろ、チャレンジしなかったらずっと後悔していると思う。
友庫: だよね。だから、たぶん、夢に向かって使うお金って無駄じゃないのよ。それも、今度は一人の夢じゃなくて二人分の夢でしょ? もっと為になるに決まってる。
桜: ふふふ。……でも、それをシオリンだけに出させるのは、やっぱりちょっと違うかなー。
友庫: 気にしなくて大丈夫よ。だって、現場で危険に身を投じるのは桜ちゃんの方なんだから。それに、その分、こき使ってあげるから、引き分けよ。
桜: あー! 出た、悪シオリン!!
>二人はそこで声を合わせて笑った。
友庫: でも、会社を設立する前に、フリップフロップ・チェリーの知名度を広めておかないといけないわね。さもなきゃ、いきなり依頼なんて舞い込むわけがないし……。
>そうして、友庫さんの計画が始まった。まずは、地元の情報誌に広告を出し、それに対する問い合わせを友庫さんが受け付けるという流れだ。フリップフロップ・チェリーは、友庫さんの指示を受けて、出動するという形式だったが、当然ながらいきなりその仕組みがうまく行くわけがない。そもそも都合よく依頼は舞い込まない。友庫さんは警戒して、フリップフロップ・チェリーが若い女性だという情報を前面に出さなかったが、それでもいかがわしい話だけはどんどんやって来る。活動時間が制限されているのも不人気な理由だった。フリップフロップ・チェリーは、桜ちゃんの仕事の時間外でしか働けないし、もちろん休息や余暇の時間も必要だ。時間がないのは友庫さんも同じだった。依頼は全て電子メールに限られ、事情の把握や時間の設定など、複数回のやり取りが必要だった。その結果、緊急性が必要な内容は回って来なくなる。
>友庫さんの方で、流れが止まっている間、フリップフロップ・チェリーは少しでも知名度を上げる為に、覆面をして街を巡回することにした。これにはフリップフロップ・チェリーに異論はなかった。そもそも、空いた時間にパトロールするのは自ら課していた作業でもあったからだ。それが変わったのは、先に変装をしておくという点だ。だが、そう指示されて初めて、「そういえば、事件が起きてから変装するのは何かと手間取っていたな」とフリップフロップ・チェリーは気付いた。それでも、先に変装しておく形態に落ち着かなかったのは、何か事件が起きる機会の方が圧倒的に少なかったからだ。先に変装しておく方が無駄は多い、という効率性を気づかずに選択していたのだ。
>しかし、「変装が前提」となると「どこで変装するべきか」という問題が生じる。「自宅から変装して出発する」は絶対ダメだ、と友庫さんに言われていた。
友庫: フリップフロップ・チェリーの自宅が突き止められると、何かと厄介でしょう。
>という理由だ。だから、どこか別の場所で変装することになるのだが、変装のしやすい場所はトイレだった。これも特定のトイレだったら、話題になり始めてから、誰かにそのトイレをずっと張り込まれたら、その前にいつも入っている女性として桜ちゃんが突き止められる恐れが出てくるので、なるべく複数の場所を変えて利用するよう、友庫さんから注文がついた。だが、トイレの利用も問題はあった。
友庫: だからといって、いつもトイレから出てくるじゃ、決まりが悪いからいずれはやっぱり事務所を持つべきね。その事務所は、他の人がたくさん出入りするビルの中に構えるの。ビル自体は、セキュリティが厳しくて、関係者以外が入れない。そうしたら、マスコミが外で見張るしかないけれど、出入りする女性が多すぎて、どれがフリップフロップ・チェリーかわからなくなるじゃない。
桜: うん。それ、いいね。……でも、私は最終的には、花鳥風月さんみたいに、素顔を丸出しでもいいよ。
友庫: それは、花鳥風月みたいに。いや、そこまでは無理だとしても、それに近いくらい資金力ができて、桜ちゃんやお母さんを守れる体制が整えられてからの方がいいわね。それまでは――
桜: 結局、こうするしかないわね。
>桜ちゃんは、枚鴨市駅近くのビルのトイレで、フリップフロップ・チェリーへと変身し、駅舎へと入っていく。覆面以外の服装も、灰色のジャージの上下で固定しつつあった。ただし、これは季節によって変わるだろう。着替えを詰め込んだスポーツバッグは、コインロッカーに入れておく。スーパーマーケットのコインロッカーは一定時間以内なら、投入したコインが戻ってくる仕様だった。それを利用していた。スーパーマーケットからすると迷惑な利用者だったが、友庫さんは「有名になった時に、宣伝を手伝ってあげたら、借りは返せるから」と一応の理論武装をしていた。もちろん、これは法的には一方的な言い分でしかないが、桜ちゃんは元より、この都合の良い利用を悪いと思っていなかった。他にも、「だったら、そのコインロッカーを見張られていたら、フリップフロップ・チェリーの正体がばれるのではないか?」と警戒すべきことは多いが、視聴者の皆さんはそんな細かいところまで興味ないでしょう。ただし、友庫は細かいところまで目を光らせて対策を考えていた。
>フリップフロップ・チェリーのパトロールは特に何も起きないまま終わる。それでも、「顔見せの意味はあるから」という友庫さんの言に従い、フリップフロップ・チェリーは時間が空いた時に、パトロール、というかむしろ散歩、をした。チラチラ見られるが、声を掛けられないので「フリップフロップ・チェリーと言います」と名乗ることすらできない。勝手に撮影する人は結構いた。意外に、フリップフロップ・チェリーの空しさを打ち払ってくれたのは子供たちだった。親子連れで、子供が特に興味を示したからと「一緒に撮影してもらってもいいですか」と声を掛けられる機会が何度かあったのだ。その時はちゃんと笑顔で、振りつきで、「フリップフロップ・チェリー!」と名乗れた。
>そんなある日の夕刻。――ええ、もちろん「そんなある日」になりますよ。事件が起きる時を見計らって、放映に乗せているのですから。――仕事が早上がりだった桜ちゃんは、布教活動をすべく、フリップフロップ・チェリーになって駅舎を歩いていた。
男の声: 引ったくりだ!
>その声に直ちにフリップフロップ・チェリーはそちらへ顔を向ける。若い男が、立ち去る男の背を指差していた。片手には、筒のようなものを持って走って行く。
フリップフロップ・チェリー(以下、「FFC」と表す。): まかせて!
>フリップフロップ・チェリーはウインクをして、走り去る男を追う。枚鴨市駅の北側は、視聴者の皆様もご存じの歩道橋網が広がっています。えーと、花火大会があった時に映された方ですね。逆側は、パンツイッチョマンがびしょ濡れにさせられた噴水広場があるのですが、実はこちらにも歩道橋がありました。こちらの歩道橋は一本なのですが、駅舎と平行に伸びて、その後、やや離れた所にある商業施設に繋がる長さがありました。さらに、建物と一体化していたり、屋根がついている部分があったり、とほぼ認識の上では橋というより通路でした。この通路は、電鉄会社と枚鴨市の所有(途中で切り変わっている)ですが、枚鴨市側はフィレンツェの有名な回廊に重ね合わせて、一部に芸術作品を飾るスペースにしています。が、今回、そこまで追跡劇は行き過ぎませんでした。先行する逃亡者が、開いていた窓から外へと身を投げたからです。
FFC: マジで?
>フリップフロップ・チェリーは窓に行き着いてから、外を見ます。そこに広がるのは、瓦礫の残る平野。実は、その空間はかつて公営の集団住宅が建っていた場所でした。老朽化から解体され、都市再開発事業が進んでいたのです。この情報は広報などを通じて通知されていましたが、多くの市民はこの風景を見たことがありません。なぜなら解体現場は瓦礫や粉末の飛散を防ぐため、作業音を漏らさないためにシートや板などで遮蔽されていたからです。解体作業がひと段落した今も、表通りからは遮蔽されていましたが、この回廊からは工事現場が一望できたのです。回廊から下までの高さは、二階建てから三階建てくらいあります。普通の人なら、勢いをつけたまま飛び出したらケガをしかねない高さです。しかし、フリップフロップ・チェリーにとっては問題ない高さでした。むしろ彼女が心配したのは逃亡者の身の安全だったのかもしれません。だが、逃亡者の無事はすぐに確認できます。瓦礫の残る平野を駆けていく背中が見えたからです。
FFC: 待ちなさい!
>続いて飛び込むフリップフロップ・チェリー。ヒーロー予備軍ともいえる彼女は、普通の人よりずっと頑丈なので、ケガはしなかったが、ヒーローであってもヒーローでなくても地球は平等に人を引っ張るので衝撃の大きさは同じだ。痛いのも同じである。それを歯を食いしばって耐えたフリップフロップ・チェリーは、立ち上がると逃亡者を追う。しかし、その速度はすぐに落ちていく。逃げていたはずの男が立ち止ると、振り返ったからだ。いや、その前から、フリップフロップ・チェリーの動きには躊躇いのようなものが見られていた。
FFC: あなた、何者?
>そう。おそらく、フリップフロップ・チェリーの中に浮かび上がっていたのは、相手に対する謎。普通の人であれば、ケガをしかねない高さを飛び降りて、運良くケガをしなかったとしても、到底すぐに走り出せるはずがない。
男: そうだな。似非ヒーローを叩きのめす男、とでも言っておくか。
>男は二十代後半。身長は平均的で、体つきはややほっそりしていた。頭の両脇は短く刈り込まれており、頭頂部は角刈りのように整えられていた。服装は、ひざ下までの短パンで、上は半袖のTシャツ。シャツには「I am Nasty!」と書かれていた。わかりやすい悪役だ。
FFC: あら。どういうつもりか、知らないけれど、ケガをしないうちに、盗んだ物を返しなさい。
>男は、持っていた筒――長さ五十センチほど――を地面に落とす。渡すつもりでも、取りに来いと示したわけでもなさそうだ。フリップフロップ・チェリーとの間ではなく、自身の横に投げ捨てたからだ。
男: 恰好だけそれっぽくしても、意味ねえぞ。俺は、なんせ、あのヒーロー試験を受けたことのある男だからな。
>その告白に、フリップフロップ・チェリーから険が取れる。
FFC: え? マジ? ……え、いつ頃?
>雰囲気の変わった言葉に、動揺しつつも男が答える。
男: えっと……一年、いやもう二年くらい前になるかな。
FFC: そうなんだ! じゃあ、先輩じゃん。どこまで行った?
男: え? ……じゃあ、お前は恰好だけ真似ているんじゃなくて、本当に、そういう素質あり、だったのか?
FFC: うん、まあ、一応。……落ちちゃったけどね。それで、……えーと、何て呼んだらいい?
男: ……じゃ、じゃあ、アキラ。
FFC: そっか、アキラさんか。あ、私は――
>フリップフロップ・チェリーは、右手を額の前にかざすと、例の名乗りを開始する。
FFC: フリップ、フロップ――
>かざしていた手を反転させて、手のひらを相手に見せる。そして、その手を人差し指と中指だけ立てて、顔の横に添わせるように立てる。
FFC: チェリー!
>横向きに投げられた、投げキッスならぬ投げ敬礼をした片手は、そのまま弧を描いて下ろされる。
♯ シャララ~~ン、パンパパンッ!
>えー、この効果音は、向こうには聞こえていません。視聴者の方々を楽しませるものです。
>対する男は、目を反らした。どう反応していいのかわからないらしい。その間に、フリップフロップ・チェリーは相手に近づきながら話しかける。
FFC: アキラさん、ダメじゃん。せっかくの力を悪いことに使っちゃ。
アキラ: うるせえ! 俺は……。
>何かを言いかけて止まった。気持ちの整理がついていない様子だ。
FFC: で、どこまで行ったの?
>もう、手を伸ばせば届く距離まで近づいてから、フリップフロップ・チェリーが体を少し傾けて聞いた。
アキラ: どこまでって?
FFC: もちろん、ヒーロー認定のことよ。
アキラ: あ、ああ。……でも、どこまでって言われても。
FFC: じゃあ、どんな試験を受けた?
アキラ: それだったら、ほら、床を踏んで、逃げる人形の背中を触るやつ、とか?
FFC: ああ、あれね。やっぱり、本当に受けていたんだ。その次はどうだった?
アキラ: え? 次?
>アキラが体を引いた。拒否反応だ。それを、フリップフロップ・チェリーはいち早く理解した。
FFC: あ、そっか。そこまでだったのかな。……んもう! 一次の途中じゃん!
>フリップフロップ・チェリーが笑いながら、アキラの肩を小突く。
FFC: それなのに、私に脅しをかけて来るなんて、……やりすぎですよ。
>フリップフロップ・チェリーが人差し指を立てると、「ダメよ」と言うようにそれを前後に振った。
アキラ: そういう、お前だって受かっていないんだろ! 合格者が出たってニュースはなかったからな。……いや、もしかして、匿名……いや、そんなわけないか。そうだったら、今そんな格好でぶらついてねえからな。
>困惑気味だったアキラの雰囲気が硬化した。
アキラ: お前は、どこまで行ったんだよ!
FFC: わ、私は一応、最終面接まで行ったわよ。
>これは多分に虚勢が混じった表現だった。本当は、フリップフロップ・チェリーも途中で落第していたのだが、「特殊能力がある」という主張により、最終面接にこぎ着けていたからだ。そこで随分とゴネたせいで、フリップフロップ・チェリーは以後ヒーロー認定機関から「出禁」を食らっている。が、アキラにはそこまで読む余力はなかったようだ。劣等感から、顔を赤く染める。
アキラ: う、うるせえ! だったら、俺がお前を倒したら、俺も最終面接候補者だ。
FFC: な、なんで、そうなるのよ!
>突然、攻撃的な雰囲気を取り戻したアキラに、フリップフロップ・チェリーは一歩下がると半身になり、腰を少し落とす。
FFC: 同じヒーロー認定で苦労した同士、今なら、盗んだ物を返したら見逃してあげるつもりなのに。
>アキラが肩を揺すった。少し遅れて笑い声が漏れる。
アキラ: お前、多少は動けるのかもしれないが、バカだな。
FFC: ば、バカって何よ!
>単純な悪口に、フリップフロップ・チェリーからも怒りが発散される。
アキラ: まだ、わからねえのか? お前はここにおびき出されたんだよ。
FFC: ……どういう事?
アキラ: さあな、詳しい事は俺も知らねえが、お前に恨みを持った誰かが、お前をぶちのめして欲しいという話を俺に回してきたんだよ。お前みたいな半端者と違って、俺はもうこの腕を金に換えているのさ。
>アキラが右腕で力こぶを作り、左手でそこを軽く叩く。
FFC: 依頼主は誰?
アキラ: さあな。そこを聞かねえのがプロだからな。ただもう前金はもらっている。
FFC: ……幾らよ?
>え、そこ、聞くの!? まさかフリップフロップ・チェリー、儲かる話に乗り換えるつもりじゃないでしょうね。
アキラ: 一万円。お前の腕か足を折ったら、もう二万円もらえる契約だ。……合計三万円。お前が、それ以上出すってのなら、考えてやってもいいぜ。
FFC: それって、仕事のルールに反するんじゃないの?
アキラ: はっ。てめえでできねえから、他人を頼るようなひ弱い男だ。別に怖かねえ。
FFC: ……そこは、一部同感ね。私も怖くない。あなたをね。
>夕闇の中、睨み合う二人。先に攻撃を仕掛けたのはアキラの方だ。大ぶりのパンチを繰り出す。それを回りこむように避けながら、フリップフロップ・チェリーは左手でジャブを打つ。命中はせず、ボクサーのようなメリハリにも欠けたジャブだったが、初めてパンツイッチョマンと戦った時に比べると、戦う姿勢ができていた。我流ながら練習していたようだ。さらに相手の側面を狙うように、回りこむフリップフロップ・チェリー。また左のジャブを放ち、そこから右左と素早い三連のコンボを見せる。これも、ワンツーまでしかできなかった過去より、上達が見られる。が、フリップフロップ・チェリーの動きは急に押し戻される。アキラに見舞った前蹴りが腹部に当たったのだ。ダメージは大したことがなかったようだが、足跡が残ったのを、フリップフロップ・チェリーが手で叩く。
>なかなかの見ものだ。どちらも本格的に格闘技を学んだ様子はない。そこをイーブンとすると、運動能力では確かにフリップフロップ・チェリーの方が若干上のようだ。しかし、アキラは喧嘩慣れしている。
アキラ: ちっ。確かに、多少は速いな。
>距離を取ったアキラは、捨てていた筒を拾った。降参する行動と取ったのか、それを見守っているフリップフロップ・チェリーの前で、アキラは筒の片方の蓋を取り外し、中の物を引き出した。それは、夕闇の中で鈍く銀色に光る物体。鉄パイプだ。
アキラ: 遊びじゃねえんだ。決めさせてもらう。
>言うな否や、手にした凶器を振り下ろすアキラ。それをバックステップでかわすフリップフロップ・チェリー。戦況は一気にアキラ有利に傾いた。アキラの振りは鋭く隙が無く、フリップフロップ・チェリーは踏み込めない。そして、当然、五十センチほどの長さがあれば、相手の攻撃範囲外から素手のフリップフロップ・チェリーの攻撃が届くはずがない。
FFC: こうなったら……。
>そう呟くと、フリップフロップ・チェリーは突然、背中を向けて走り出した。
アキラ: 逃がすかよ!
>この工事現場はぐるりと塀で囲まれていた。その高さはおよそ二メートル。普通の人であれば、上端に掴まることができても、そこから身を引き上げるのは難しいだろう。できるとしても、そうする前に追っ手に追い着かれ引き下ろされるだろう。フリップフロップ・チェリーならば、勢いをつけて一発で飛び越せることが可能かもしれない。しかし、アキラはそれを予測しているのか、追いながらも鉄パイプを肩に背負うような形で構えていた。ジャンプをしたらそれを投げるつもりだ。跳んでしまうと空中では姿勢を変えるのは難しい。鉄パイプの痛烈な一撃を食らうだろう。
>しかし、フリップフロップ・チェリーの敵前逃亡に見えた行動の目的は別にあった。それは、走りながら、彼女の口から洩れた言葉が証明していた。
FFC: 出るか、出ないかぁ~、わからないぃ~
>次の瞬間、フリップフロップ・チェリーは立ち止ると、クルリと振り返る。その時には両腕を額の前でクロスし、それをすぐに開きながら、頭を前に突き出す。
FFC: ビィィーーム!!
>突然の行動にギョッとして足を止めるアキラ。……しかし、何も起きなかった。
アキラ: な、何を……
>未だ事情を呑み込めていないアキラに、フリップフロップ・チェリーは開き直った。
FFC: っもう、今回もダメだったか。だったら、やるっきゃないわね! 来なさい!!
>挑発されて、アキラの行動も元に戻る。警戒しつつも、また鉄パイプの攻撃を開始する。距離を取るしかないフリップフロップ・チェリー。しかし、一方に走ったせいで、背後にはあまりスペースは残されていなかった。と、その時、フリップフロップ・チェリーが踏み込んだ。鉄パイプは上から振り下ろされる軌跡を描いており、フリップフロップ・チェリーはそれを左腕の前腕で止める。――が、止めきれない。ガツっと鈍い音を立てて、フリップフロップ・チェリーの左腕が強制的に下ろされる。しかし、同時に、鉄パイプの軌跡も逸らされていた。鉄パイプの攻撃力が一時的に失われたその瞬間を逃さず、フリップフロップ・チェリーは踏み込むと、正拳突きをアキラの胸元に見舞う。
FFC: せいっ!!
♯ ドガッ!
>あ、SEさん、すみません。さっき、フリップフロップ・チェリーが鉄パイプを受けた音はこっちで処理しちゃいましたね。ごめんなさい。
アキラ: グハッ!
>胸を押さえてよろめくアキラに、フリップフロップ・チェリーの怒涛の連撃が突き刺さる。鉄パイプを持っている右腕へのチョップ。それで、アキラは鉄パイプを離さなかったが、フリップフロップ・チェリーは肘打ちを相手のこめかみ目がけて横からぶつけ、相手の髪を掴んで、膝を腹部にめり込ませる。それで、相手が倒れると、転がった鉄パイプを蹴飛ばして遠くにやり、倒れた相手を踏みつけ、蹴飛ばす。足を掴まれそうになると、右手で相手の顔へパンチを叩きこんだ。やがて、アキラは防戦一方になり、詫びを入れ始める。
アキラ: ま、参った。降参だ。お、俺の負け。
>それでも、フリップフロップ・チェリーは攻撃を続け、相手が泣きべそをかき始めてからようやく攻撃を止めた。常人離れしたスタミナを誇るフリップフロップ・チェリーでも、さすがに息を切らしていた。
FFC: 勝手に動くんじゃないわよ。動いたら、金〇蹴り上げてやるから。
>と、一部伏字にした方がいい発言をして、フリップフロップ・チェリーは、アキラをうつ伏せに転がすと、両腕を後ろに回すように指示する。その背中に膝を押し付けるようにして座ると、左の上腕部に差している結束バンドで、相手を拘束し始めた。しかし、その動作はぎこちない。左腕をほとんど使っていないからだ。それは、鉄パイプの攻撃を受けて以降の連撃でも同じだった。フリップフロップ・チェリーの左腕は折れていたのだ。結束バンドを一時的に支えようとして、左手を使ったが、しびれているのか、うまく動いていなかった。それでも何とか、相手を拘束していく。
>負傷し、疲弊し、アキラを拘束するのに苦戦していたフリップフロップ・チェリーは、背後から忍び寄る姿があるのに気付いていなかった。その男こそ、フリップフロップ・チェリーを襲わせた主犯だった。実は、「引ったくりだ」と言っていた男だった。そう、あそこからフリップフロップ・チェリーを嵌める罠が始まっていたのだ。この男は、あのパンツの乱の際、フリップフロップ・チェリーに叩きのめされた一人だった。多くの者は拘束されたのだが、結束バンドがたりなくなったので、放っておかれたこの男は、警察が来る前に逃げていた。そこで、彼の犯罪行為は一旦止まっていたのだが、街中でフリップフロップ・チェリーが活動を始めたのを目にするようになって、復讐心がめらめらと燃え上がった。そして、あれやこれやと工作をして、アキラを雇うに至ったのだった。
>「ヒーローに匹敵する力がある」と自称したアキラは破れたが、復讐者には未だ攻撃手段が残されていた。改造強化したスタンガンだ。普通の人であればショック死しかねないほどの凶器を向けられたら、弱ったフリップフロップ・チェリーは危険だ! 危ない、フリップフロップ・チェリー!! と叫んだところで、彼女には届かない。
男の声: イッチョマン・ラブル!
>もう、セリフで誰が言ったのか、丸わかりだが、一応伏せて続けよう。フリップフロップ・チェリーに迫っていた男は、横から飛んで来た礫を受けて、倒れた。声を聞いて振り返るフリップフロップ・チェリー。すると、そちらから、やっぱり黒パンツの男が駆けてきて、フリップフロップ・チェリーへ――向かわず、倒れている復讐者へと向かった。
FFC: え? パンツイッチョマン?
パンツイッチョマン(以下、「P1」と表す。): イッチョマン・スラップ!
♯ ペチン!
>倒れていてもまだ意識のあった復讐者は、言葉を発する機会もなく気絶されられた。
FFC: あれ? その男。
P1: うむ。背後を狙われていたぞ。最後まで気を抜いてはダメだな。
>パンツイッチョマンが、転がっているスタンガンを示した。
FFC: あ、ありがとう。……っていうか、見ていたなら、助けてよぉ。
>フリップフロップ・チェリーはそう言うと、泣きべそ声になりながら、ペタリと座り込んだ。幸い、彼女のお尻には、座布団代わりにアキラが横になっていた。
P1: いや、今来たばかりだ。間に合ったようだな。
FFC: 間に合ってないよぉ。ほら、左手、折れちゃった。
P1: 左手ではなく、左腕のようだな。
FFC: そんなの、どっちでもいいじゃん!
P1: 痛むか?
FFC: ううん、今は痺れている。でも、体の中を通って、折れた音は聞こえた。
P1: そうか。なら、今晩あたり、痛みが来るぞ。寝られないかもしれないな。
FFC: もう。他人事だと思って!
>怒ったことで、フリップフロップ・チェリーは少し涙が収まったようだ。
FFC: これ、どうしよう。
>フリップフロップ・チェリーが示したのは、倒れている二人の男。
P1: 警察に連絡したらどうかね?
FFC: そうするしかないかあ。まあ、今回は完全に正当防衛だもんね。……でも、あなたは、警察が来る前に逃げるんでしょ?
P1: 私はいつも用事が済めばいなくなる。
FFC: はいはい。とりあえず、シオリンに相談しよう。
>そういって、バッグパックからスマホを取り出すフリップフロップ・チェリー。その間に、まだ意識のあるアキラがもぞもぞと動く。
アキラ: ぱ、パンツイッチョマン?
>どうも本人を見たいようだが、うつ伏せにさせられているためにできないようだ。
FFC: うるさいなあ。黙ってて。っていうか、ちゃんと治療代もらうからね。
P1: こんな時になんだが、一つ頼みごとがある。
FFC: え、本当にこんな時だよ。……何?
>そして、話し始めるパンツイッチョマン。簡単に説明すると、穴穿きの危機が迫っているので手を貸して欲しいという内容だ。一通り聞いた後で、フリップフロップ・チェリーはしばらく考え、とても重要な点を改めて伝える。
FFC: でも、私の左手、こんなんだよ。
P1: うむ。左腕は骨折したかもしれない。だけど、君には仲間がいるだろう。
FFC: そっか。それも、シオリンに相談してみるか。
>そして、友庫さんに電話するフリップフロップ・チェリー。鉄パイプを持った男に襲われて、撃退したけれど、腕を折ったと伝えると、ものすごく心配された。しかし、続いて、スタンガンを持った男に襲われたところをパンツイッチョマンに助けられたという話をすると、友庫さんの声が急に上擦る。
友庫: え、パンチョさんが? ちょ、ちょっとお礼を言いたいから、変わってくれない?
>フリップフロップ・チェリーは、「明らかに別の目的だろう」と言いたげにため息を吐いたが、友庫さんの願いを叶えるべく、スマホをパンツイッチョマンに向けた――が、もうそこには半裸の男は立っていなかった。周囲を見回しても、もう姿は見えない。
FFC: ちょっと目を離すとこれだもんなあ。
>フリップフロップ・チェリーは、そう呟いてから、事実を友庫さんに告げる。
FFC: 残念。もう居なくなっていました!
友庫: ええ、ウソー!
>友庫さんの嘆きを聞いて、フリップフロップ・チェリーはケラケラと笑った。




