第五話 ウェディングベルと黒パンツ(4)
>チャペルのウェディングベルの音が響き渡る。中では、発砲事件が解決したばかりだったが、外に待っている人たちは未だ知らない。新郎新婦の登場を心待ちにしていた友人たちが、雑談を止め、一斉に両開きの扉に注目した。他にも、新郎新婦を待っていたわけではないが、会場が空けたら入ろうとしている、次に予定されていた参列客も待っていた。そして、扉が開き、そこから現れたのは、半裸の男。もちろん、一同は凍りつく。スマホカメラを構えていた人は、ある意味シャッターチャンスだったのだが、その発想が吹き飛んでいた。
>現れたのはやはり、パンツイッチョマンだ。二週連続で、番組開始すぐの登場は稀だぞ。しかし、ゴツゴウ・ユニバースの人たちには、そんな番組的なレア情報など関係ない。
>結婚式にとって異質な存在であるパンツイッチョマンは、参列客たちの後方で結婚式を見守っていた。そして、スタッフが新郎新婦の為に開けた扉を、「式が終了したから出て良い」というサインと解釈して、真っ先に出てしまったようだ。裏口から入った人は裏口から出るべきなのだが、そういう意識はなかったらしい。出たなら出たで、すぐ横に捌ければ迷惑にならないのだが、パンツイッチョマンは立ち止まって片手を上げる。さも、主役登場!だ。もちろん、さすがのパンツイッチョマンもさすがにそこまで自意識過剰ではないと思いますが……あ、わかりました。パンツイッチョマンの視線の先に、チャペルの絵を描いていた老画家がいました。おそらく、自身のペイントに力を貸してくれてありがとう、というつもりなのでしょう。しかし、待っている人たちには、挨拶したように見えた。ややこしいですね。次の順番待ちだった人たちは「この新郎はプロレスラーなのかな? にしても、この格好、披露宴じゃなくこっちでするんだ」と驚いており、新婦の友人たちは、新郎について写真を見せてもらっていたので、「あれ? 別の人の式だった?」と混乱した。パンツイッチョマンだとわかっていた(ただし、事前に名乗っていなかったので、その呼び名については知らないままだったが)老画家さえ、苦労して塗ったはずの服が取り去られていたので、ビックリしていた点については、他の者と同じだった。ここで、オレンジ色のドレスを着た女性が出て来て、半裸の男と腕を組んだから、「変わった新郎新婦」という誤解がさらに広がった。が、それはすぐに修正される。オレンジ色のドレスの女性が半裸の男を、引っ張って扉から遠ざけたからだ。オレンジ色のドレスを着た女性は、式のエンディングを邪魔しているパンツイッチョマンを排除しに来た銀子先生だった。
お銀: パンツイッチョマンさん、ついでだから、このまま披露宴の方にも参加しません?
>新郎新婦の邪魔になっていると言ったところで、無駄と感じたのか。それとも口説きを優先したのか。銀子先生が注意をしなかったせいで、今日もパンツイッチョマンが反省することはないだろう。
P1: いや、そのつもりはない。……離してもらえないか?
お銀:離したら帰っちゃうでしょ?
P1: ああ。
お銀: じゃあ、離しません! 帰るなら、せめて、本名を……いや、連絡先を教えて下さい!
>パンツイッチョマンに名前を聞くという不粋な質問は取り下げたが、どうやらバス運転手の岸壁さんが注意したお陰というより、重要度が高い質問を思いついたからのようだ。ヒーローに連絡先を聞くって、それはそれで不粋ですから……いや、連絡方法が手軽で多様になった今時な対応なのかもしれませんね。
P1: いや、断る!
>今回もあっさりスッパリ叩き切るパンツイッチョマン。
お銀: そんなこと、言わないでぇ。
>いつもは子供たちに駄々をこねられる立場の銀子先生だが、今はまるでパンツイッチョマンの腕を電車の乗り降り口にある手すりよろしく両手で持ち、半ばぶら下がるように、重心を後ろに倒し、イヤイヤと体を揺らす。その程度でふらつくパンツイッチョマンではないが、面倒臭いという点では重荷のようだ。持たれていない方の腕の肘から先を立てて、指を合わせた平手を作る。おっ! これはっ! まさか、銀子先生を振り落とす為に、出るのか? イッチョマン・スラップ!!
アユミ: はーい、じゃあ後ろを向くから、そちらに並んでぇ。
>花嫁の声に、ピクリと反応する銀子先生。そちらでは、一部の独身女性にとって、結婚式終了後で最も重要な風習、ブーケ投げの儀式が準備されていた。縁起担ぎのおまじないとわかりつつも、俄然興味ある側の人である銀子先生は、パンツイッチョマンの腕を放すと、そちらへ急行する。
お銀: ちょっと待って! 私も入れて下さい。
>その勢いにちょっと引きつつも、道を空けてしまう女性たち。引かれた理由の一つは「あの人って、新郎の親戚よね?」という無言の訴えだ。ブーケ投げの参加者は主に新婦の友人が占めていた。しかし、新郎の親戚が参加してはいけないというルールはない。もし、あったとしても銀子先生はゴリッと乗り越えて参加する気概があった。一応、銀子先生以外にも、新郎側の若い女性で参加している人もいた。それは、新婦の友人の一人が、自分たちが独占するのも悪いと思って、「一緒にどうぞ」と声を掛けたからだった。だけど、それで混ぜてもらえた方も遠慮して端にいたので、新婦の友人が優勢な雰囲気は変わっていなかった。その空気を無視して乗りこんできた銀子先生は明らかに異質な存在だったが、別の人を誘った手前、今更「ちょっと私たちが先に場所を取っていたんですけど」とツンツンしにくかった。
お銀: ありがとうございます。……もういいですよ!
>そう花嫁に銀子先生が呼び掛けた時には、もう周りの雰囲気が変わっていた。銀子先生が呼び掛ける前に、スカートを束ねるように片手で持ち、少し腰を落としたのが転換点だった。「コイツ、本気だ!」と銀子先生を認めた他の女性は、闘争心を剥き出しにする。それまで彼女たちは、本気を見せると焦っているようでみっともないと思っていた。だが、そういう気配もなく、やる気を見せた女性が出て来ると、「ストレートに行くのもありなんだ」と躊躇いがなくなった。キャッキャッとかしましかった明るい雰囲気が、たちどころに緊迫した沈黙に変わる。この変化に、背中を向けていた花嫁も気付き、振り返って、立ち上る迫力にギョッとした。「ちょっとマジになりすぎ」と冷静になるよう声を掛けようと一瞬考えたが、諦める。今そんな事を言おうものなら、上から目線だと猛反発を食らうだろう。まだ披露宴があり、祝ってくれるはずの友人たちが呪うようになって欲しくはない。花嫁は、また友人たちに背を向け、離れてこちらを見つめる花婿を見ると、震えていた内心がホッと暖かくなった。友人たちには悪いが、今の自分は幸せで、明らかに上から目線だと思う。
アユミ: じゃあ、カウントスリーで投げるね! スリー! ――
>花嫁の一人にミドリという名の女性がいた。花嫁を含む友人集団の中では二歳年上だった。社会全体でいえばまだまだ若い女性なのだが、集団の中で最年長だと、口で言われなくとも色々とプレッシャーを感じることがある。また、母親と仲が良く、その分遠慮なく言ってくるものだから、「行き遅れないよう気をつけなさいよ」とか「元気なうちに孫の顔を見せてね」と、外で言われたらセクハラと抗議できる発言をバシバシ投げつけてきた。最初は、「まだまだよ」と笑って返せていたのに、年月というものは、その言葉を日増しに重くさせる。今も母に対する態度こそ昔と同じだったが、腹の底にはズンズンと重く響いてきていた。だからといって、花嫁のブーケが事態を打破してくれると信じるほど、少女ではない。むしろ、ここでマジになると周囲が引きすぎるのが気になっているくらいだった。だけど、その他人の目を気にせず、ブーケキャッチに前向きな女性の姿を見せて、目から鱗が落ちた。花嫁ブーケと婚活は違う。しかし、婚活に真剣に挑むのであれば、花嫁ブーケごときに、遠慮して、あるいは格好をつけている場合ではない。他人の目を気にして本気にならないより、他人の目を気にせず本気になる方がよっぽどカッコよい。そう気付かされたミドリは、両手を顔の高さまで上げて、ブーケに集中する。
アユミ: ツー! ――
>ミドリのやる気は周囲の真剣度を上げていった。しかし、マリはそれを冷ややかに見つめていた。熱心な友達を少し引いた所から見て楽しむ。別にバカにしているわけではない。それがマリの性分だった。確かに、マリには必死にならなくていい理由があった。何となくだが結婚という将来について話し合った彼氏がいて、慌てなくて良いのだ。ただ、「この人で本当に良いのかな」という思いはあった。実際、花嫁のアユミは学生時代から付き合っていた彼氏を捨てて、今の御曹司を捕まえた。そんな幸運がそこら中に転がっているとは思わないが、もしそんな幸運が来た時に動くべきなのか、悩むところがある。不意に、マリの頭に幻視が広がる。目の前でブーケ投げにやる気を見せている友人たちが、一人また一人と結婚し、いつの間にか自分が取り残されているという感覚だった。そうなる未来は来るかもしれない。そう思っても、やはり性分からブーケ投げには本気を出せないマリ。そんな自分への焦りと不安が、入道雲のようにムクムクと大きくなる。
アユミ: ワン! ――
>レイナは、従姉の結婚式を思い出していた――って、ストップ! ストーーップ!! ……なんですか? このシンクロ連鎖反応地帯!? こっちから遮断しないとガンガン思念が飛び込んで来るじゃないですか。危ない危ない。ふぅ……。深呼吸して仕切り直しましょう。……しかし、アレですね。仮面四人衆、いやカエル仮面はさすがに違いましたが、残りの三人は思考も背景も似たり寄ったりだし、発信力も弱かったから問題ありませんでしたが、さすがに注目イベントのブーケ投げだけあって、参加女性からの思念は強いですね。少なくとも、ここの部分を見る限り、男は単純で、女性は繊細という意見は納得できます。……よーし。もう良いですよ。ブーケを投げるところから再開してください。
アユミ: ゼロ!
>言ってからブーケが花嫁の手から離れ、フワリと宙を舞う。実際の現場では、花嫁がブーケを長く持ち過ぎて水平近くに投げてしまい、受け手が直撃しそうになるから首を傾ける、という展開を見掛けますので、悪いこと言いませんから、これからブーケを投げる予定がある方は事前に、小さな袋にタオルを詰めた物など、安全である程度の重さのある小物で練習しておくのを勧めておきます。ブーケ投げは基本、「さっきのイマイチだったからやり直しね」となりませんからね。
>舞い落ちるブーケを待っていては負ける! 火花が散っている状況で、やる気のある人はもうそこまで考えが至っていた。銀子先生、ミドリ、そしてエレナは我先にとジャンプをしてブーケへ手を伸ばす。この緊迫感に火を点けられたのは、シオリだった。高校時代バスケ部だった彼女は、得点力が低かった為、対戦前に他校からほとんど注目されなかったが、リバウンド力は極めて高かった。運動能力は高くなく、背も普通だ。それでもゴール下でのボール支配率が高かったのは、天性のリバウンドセンスがあったからだ。それは球状ではないブーケに対しても発揮された。端からジャンプする気がなかったシオリは、すぐに「負けた」と思ったが、ブーケへ伸びる六本の腕を見た瞬間、「いける!」と感じ、ほんの少しタイミングをずらしてから跳ねた。六本の腕は干渉し合い、ブーケを掴み取れず、下から突いて跳ね上げる形となった。もちろん、ジャンプしていた三人はすぐに引力により着地する。そこにタイミングを遅らせたシオリの頭が飛び抜ける。跳ねられたブーケは、シオリから遠ざかる形で飛んでいこうとしていたが、シオリは空中で上半身ごと横に腕を伸ばし、それを掴み取る。そう、かつての枚鴨高のリバウンド女王は、腕が長かったのだ。伸びた上半身は、着地までに引き戻す。そして、掴み取ったブーケを両手で挟むように抱え、両肘を張り、足を肩幅に開いた状態で、両足同時に着地する。着地すると、ブーケを持った両手を不規則に小さく回し、左右に目を配り、手を伸ばしてくる者がないかを確かめた。リバウンドは取るだけではダメで、スティールを警戒するまでが一連だ。もちろん、この動きに、周囲の女性たちは大いに引いた。シオリ自身もそれにはすぐ気付き、やらかしてしまったと苦笑いを浮かべる。
シオリ: ごっめーん! なんか急に本気ムードになったから、バスケ部時代思い出して、釣られて本気になっちゃった。
>その呼び掛けで、周りの緊張が解れた。「いや、ホント、そう。私も乗せられちゃった」「私もマジだったから、取られて悔しぃぃ」「だよね。でも、シオリおめでとう」「それを言うなら、アユミでしょ」
>またかしましくなる集団の中で、銀子先生だけ獲物を狙う眼差しから戻るのが遅かったが、シオリがそれを無意識下で察知したのか、銀子先生より遠い方の手でブーケを持ち直す。スティールできないとわかると、銀子先生もハッと我に返った。花嫁へ「おめでとう」の拍手が湧く中、自身も手を叩きながら、銀子先生は集団から外へ出る。そして、一方に目をやるが、予想どおりパンツイッチョマンの姿はもうなかった。
お銀: 行っちゃったか……。
>しょんぼりする銀子先生の背中に「銀子」と声が掛けられる。振り返ると近づいてきたのは――
お銀: 征十郎叔父さん!
征十郎: あの裸の男、知り合いか?
お銀: う~ん、知り合いだけど、名前は未だ。……そういえば私の名前も教えてなかったかな?
>銀子先生の答えに、花婿の父である養老征十郎は、密かにホッと胸をなで下ろしていた。兄や甥が近くにいない今、姪の面倒は征十郎が見なくてはならなかったからだ。場合によっては、兄に報告しなくてはいけなかった。忙しい家長に、なるべく面倒な話は持って行きたくない。
お銀: 前に何度か、助けてもらったことがあって……
>パンツイッチョマンが去って行ったと思われる方向を見て、銀子先生が言った。その物言いに含まれる感情については、征十郎は気付きもせず、ただあの男が窮地を救う存在という点には納得していた。妙な身なりと言動だったが、事態を収束させた力は確かだった。
お銀: 叔父さんは、もう徹さんを赦してあげたの?
>銀子先生は、答える前からわかっていた。父ほどではないが、怒っている叔父さんは近寄りがたいほど怖い。その怖さが発散されていない今、怒っていないのは姪の目から良くわかっていた。
征十郎: ふん。これからだな。一人の力でどれくらいできるか、見届けるとしよう。
>銀子先生は「やはり」と得心していた。この結婚式場は、養老家の祭事としては規模が小さかったからだ。きっと新婚夫婦が自分たちの力で準備したのだろう。これからも二人の力で生活していかないといけないのだろうが、叔父の言動から、それほど遠くない未来に合流を許される日が来るだろう。そう話す二人に、話題としていた新郎が近づいてきた。
トオル: お父さん、お願いがあります。
>銀子先生は緊張した。従兄の声が緊張していたのもあるが、何より叔父の表情が強張ったのに気付いたからだ。
>征十郎は、警戒していた。息子に軽い試練を与えようと考えていた矢先、金を無心してくるようなら、やはり突き放さなくてはいけないという考えがすぐに浮かぶ。しかし、息子がそこまで腑抜けた男ではないと知っていたので、別の理由に考えを巡らせる。義理の娘を認めてくれと言うのかもしれない。しかし、それは息子の方とて征十郎の性質を知らないわけではない。すぐに諾とするわけがないのを知っているはずだ。あるいは、既に子がいるという話かもしれない。それであれば、また叱りつけなくてはいけない。結婚前に子を為すのは、親戚の前で恥だが、それより腹立たしいのは今になってそれを告げる心だ。重大な過失は叱責を覚悟のうえ、後回しにせず直ちに白状する。そうすべきだと教えてきたはずだった。
トオル: 申し訳ありませんが、この式場の方々に力を貸していただきたいのです。
>新郎の願いは、征十郎の予測の外にあった。意外だったので、すぐに返答できなかったが、数秒のうちに理解すると、ニヤリと笑わないよう気を付けながら、頷く。
征十郎: なるほど。警察がここを押さえてしまうから、これ以後の式は全てご破算になりかねない。そういう事か。
トオル: はい。お世話になった手前、お力添えをしたいのですが、私一人の力では――
征十郎: うむ。
>全て話す必要はなかった。新郎は、業者に金を払った客の立場だが、それで関係が清算されたと考えず、困っていたら力になってやろうという心意気。それこそが養老家の男子に相応しい態度だった。息子の腑甲斐ない側面を見せられるのかと苛立っていた気持ちは吹き飛んでいた。むしろ誇らしい。もちろん、勝手な結婚をした息子を簡単に許すわけにはいかないので、ここで褒めることはできない。
征十郎: では、話をしてやろう。誰だ?
>聞いたのは、この場で支配力を持っている業者が誰かという、意味だった。新郎は、ブライダルスタッフの女性を示し、先を歩く。征十郎が後に続くと、近づく度に離れて見ていた新婦が緊張していく。征十郎にとっては、近づくと一般人が緊張するのは当然だった。だが、征十郎は一般人と同じように新婦を無視せず、彼女の前で足を止める。それが、余計に新婦を緊張させる。
征十郎: アユミさん。披露宴も未だの状態で済まないが、勉強なさい。養老家の力がどういうものかを。
>スタスタと歩き去る征十郎を、アユミは目を開いて見送る事しかできなかった。トオルは先に行き、手を引いてくれない。これが養老家というものなのか、という圧倒が既にあった。そして、この圧力が養老家の者にとっては、圧力を掛けている自覚すらない、普通の行動だという事実にも、驚かされていた。いや、驚きが大きすぎて、もはや薄い壁一枚向こうには「後悔」という感覚が待っているのが、透けて見えてさえいた。
お銀: アユミさん! 行きましょう。
>アユミは、その若い女性がトオルの従妹とは聞いていた。それ以上、特に気にしてはいなかった。しかし、義父と違って普通の雰囲気を持つ彼女に話し掛けられて、アユミはようやく息継ぎできた気持ちになっていた。しかし、一般人のように思える義理の従妹は、養老家で育っていた。実際、義父への怯えは感じられなかった。この義理の従妹に教われば、養老家という渦の中を何とか溺れずに済む方法が学べるかもしれない。希望の光が見えた気がした。
>トオルは近づく前から、聞こえてくる片側の会話と態度で、シニアマネージャーが誰と話しているか、だいたい分かった。おそらく、本部の上司だ。そう父親に伝えようとしたが、表情を見て、言わなくてもわかっているのを知った。シニアマネージャーは、トオルたちが近づいてくるのに気付くと、手振りでちょっと待つよう伝えてくる。これに征十郎が鼻で笑った。トオルは近づくと、女性のスマホを取り上げる。
トオル: すみません。後でかけ直します。
>悪びれず堂々と手早くスマホを切られ、驚きのあまり、抗議すらできないシニアマネージャー。トオルが返すスマホを、呆然としつつ受け取ると、征十郎が話し出す。
征十郎: 時は一刻を争う。状況は? 方針は決まったのか?
>まだシニアマネージャーに対応力は戻っていなかった。代わりに、トオルがより具体的に聞く。
トオル: 警察が用を終えるまで、様子見ですか?
>シニアマネージャーは、コクリと頷く。本部に現状を報告し、警察の対応を待つように言われたところだった。警察が来てから、どれくらい掛かるかわからないことには対応できない。幸い、現場の保存を警察から指示されていたので、シニアマネージャーから部下への指示内容は簡潔に済んだ。後片付けで細かく作業を分ける必要がないからだ。今は、これからのお客様に連絡を取って、遅れる現状を説明させている。
征十郎: 無駄だな。銃撃があった現場だぞ。丸一日という可能性もある。
シニアマネージャー(以下、SM): そ、そんな!
征十郎: 抗議しても無駄だ。私はもちろん、警察も聞く気はない。ならば、如何する?
SM: そ、それは……まずお客様にキャンセルのお伺いを立てているところです。
トオル: ですが、披露宴会場は無事ですよね? それに、お食事の準備も。それらを全て廃棄するつもりですか?
SM: 場合によっては、致し方ないかと……。
>実際は、使い回せる食品は使い回すつもりだが、その企業努力を客はルール違反と断じると知っているので、話さない。
征十郎: 拙い手だな。披露宴だけでも良いという客には、そうさせるべきだ。結婚式と披露宴が逆になっても良いかという話もした方が良いだろう。
SM: 警察が明け渡した後に、順に回していく形ですか?
>シニアマネージャーが考える。顧客の意思確認は大変そうだが、損害は最小限に留められそうだ。それに、やれる限りやっているという態度を見せられるので、好感度が上がるかもしれない。
征十郎: いや、なるべく式と宴の順が保てるならそうすべきだ。どうせキャンセルをしたり、決められない連中が出てくるだろうからな。それを間引けば、逆順になる組は少なかろう。
シニアマネージャー: はぁ。アドバイスありがとうございます。では、早速――
征十郎: うむ。急ぐ重要性がわかっているのは良いが、まだ話は終わっていない。真の提案はこれからだ。……二時間。二時間以内に、私が結婚式場を用意しよう。大王ホテル、神山ホテル関連か、赤飯古荘あたりになる。もちろん、ここからそこへ至るバスも手配しよう。貴女は、この条件を吞む顧客リストを作りなさい。急ごしらえゆえに、カスタマイズなしの通常の式しかできないぞ。いいか?
SM: え、で、ですか……
>スマホを取り上げられた時からずっと驚きっぱなしで、ちっとも落ち着けていないが、今の話でまた訳が分からなくなった。候補に挙げられた三式場は、こことは格が違う名門だ。当然予算も段違いだ。
SM: しかし、ご予算が……
征十郎: それについては心配いらん。影響が出るのは何組だ?
SM: 十二組です。
征十郎: では、その十二組、養老家が承った。
>養老家の宣言。その真の重さを知る者は養老家の男子だけだったが、シニアマネージャーでさえ、良くわからないなりに、重さが伝わった。もはや、自分の力では事態を覆せない重さだと分かる。
SM: よ、よろしくお願いします。
>征十郎はスマホを取り出しながら頷くと、行動開始しろと手振りで示す。まず動いたのは、新郎だった。父親のサポートをするために、まず自分のスマホを取りに走り出す。その動きに、呆然としていたシニアマネージャーが動き出す。近くの、式参列者を披露宴会場へ促しつつ、部下を呼び集める。新婦は顔を強張らせて、動けずにいたが、銀子先生が肩に触れるとビクリとそちらを向く。
お銀: 大丈夫。徹さんは、ちょっと手伝ったら、またちゃんと花婿さんに戻るから。だって、自分たちの披露宴も進めないと、回らないからね。
アユミ: ぎ、銀子ちゃん?
>花嫁が銀子先生に話し掛けるのは初めてだった。印象的な名前だったので、新郎から紹介された時にすぐ覚えたが、一応確認を取る。銀子先生は、そうだと笑顔で頷く。
アユミ: こ、これって……ううん。
>花嫁は声を小さくすると、銀子先生へ顔を寄せて囁く。
アユミ: 養老家って、何なの?
お銀: 鎌倉時代から続く家柄らしくて、ほら童話で有名な――
アユミ: いや、そうじゃなくて!
>由来についてなら、アユミもトオルから聞いて、知っていた。今言っているのは、どうしてこんな規模の大きな采配が取れるか、だ。今度は、銀子先生にも意図は伝わったようだ。だが、銀子先生は肩を竦めた。
お銀: さあ。……でも、こういう時、頼りになるでしょ?
>あっけらかんという銀子に、アユミは「やっぱりこの人も養老家の人なんだな」と思った。養老家の影響力の大きさがおかしい、怖い、と思っていないからだ。そう認識した時、アユミは自分を奪いに来た元カレ、コウキに対して、一言思い浮かんだ。
アユミ: 〝こっちは、あんたが思ったほど、花畑じゃないよ〟
>養老征十郎が采配を始めてから十数分後には、もう事態は完全に動き出していた。息子たちの披露宴も準備がほとんど整い、参加予定の者で席に着いていないのは、征十郎と銀子先生のみだった。銀子先生は、采配を引き継ぐ人の連絡先を記したメモを業者側に渡す、などのサポートを務めていた。
お銀: 叔父さん、終わった?
征十郎: うむ。後は駒松が仕切ってくれる。
お銀: 駒松さんが!? でも、今日はお休みでしょ?
>征十郎が笑った。
征十郎: 休みでも、仕事はある。
>ブラック極まりない、法律違反的発言だったが、それは自身にも向けた言葉であり、こき使っている意識は薄かった。
征十郎: それに、あいつも、こうして徹の晴れ舞台に貢献できることを喜んでおったぞ。
お銀: 駒松さんらしい。
>銀子先生も、引かずにクスリと笑うあたり、やはり養老家の人間だ。
お銀: じゃあ、叔父さんの次の仕事は、私を会場までエスコートすること!
>そう言うと、銀子先生は征十郎の腕に自らの腕を絡ませる。そして、むしろ言葉とは裏腹に、征十郎を引っ張るように歩き出す。
征十郎: それは責任重大だな。兄上に怒られないようにしないと。
>征十郎は背筋を伸ばすと、破顔した。仕事の取引相手からするとまるで別人に見える、険の取れた、心からの笑顔だった。
>銀子先生は、素早く采配していく叔父の姿を見て、気付いた事があった。父が自分を送り出した、もう一つの意味だ。表面的には、養老家として筋を通さなかった結婚は認めていない、というメッセージだ。だけど、真剣に行動している叔父を見て、家としては認められなくとも、家族として愛しているのはあり得ると実感させられた。それこそが、父のもう一つの意図だった。女である自分だから、養老家というしがらみを背負わずに、一心に祝福を送る事ができるのだ。
アナウンスの声: それでは皆様、お待たせしました。改めまして、新郎新婦の入場です。
>銀子先生は、両開きの扉が開くと、並んで現れた新郎新婦に心を込めて言葉を投げ掛ける。
お銀: 結婚、おめでとう!!
==次回予告==
平和な日常、壊す同時多発テロ
ついに姿を現す、事件の黒幕?
走れ、パンツイッチョマン! 事件の連鎖を止めるのだ!!
次回、第六話「セキュリティホール」
パンツを洗って、待っときな。




