麦剣割球
どうもお久しぶりです。二刀流との戦い方をずっと考えていました。なんて話だったかなーなんて思い出せなけくても大丈夫、って小説失格なんですがそれは(自分に困惑)
ちょっと待って欲しい。勝手にそんなことをされては困るのだ。少なくともセレンにやってもらうには少しばかり時期が早すぎる。
「そこまでよ。手を下ろして」
上空から放たれる殺気にセレンは一瞬で反応した。結界の青色越しにセレンの視力が殺気の源を捉える。見たところエルフ、そのエルフの構える弓がセレンに狙いを定めていた。後ろの男が腰に帯びる剣には独特の魔力反応。恐らく魔剣。
ち、とセレンは舌を打つ。
厄介だと思った。この位置では相手の弓が一方的にこちらを撃ちまくれる。熟達したエルフの弓兵が本気で矢を放てば、まず回避は不可能と言ってもいい。セレンをして、人型の形態では躱せないだろう。
「呪い矢か。何の用だ」
「貴女に用はないわ。貴女のとなりのそれに用があるの。少なくとも今ここで殺されては困る、ここまで言えば分かるでしょ?あれよ、」
「条約か?だがこちらには主君の仇討ちという大義がある」
「それは分かるわ。けれども殺すだけならあとでも出来る。まずは情報を聴き出したい。そこの男はエルフの秘術を盗み出した疑いがあるし……。必要ならば王国との協定に基づいて研究所を徹底的に焼き払い、証拠一つ残さない。その権利がエルフには保障されている」
このエルフの言に間違いはない。50年前の黒龍戦以来エルフと王国は同盟を結び、互いの権利を保障している。その一つに魔法技術の漏洩に対する保護法があった。
「く、」
歯噛みしてセレンは握り締めた拳を開く。主君の仇討ちが大儀なら、主君が使えた王国の法もまた大儀だ。ならば王国の法を無視するのは主君に仇なすも同じこと。
「分かった、弓を下ろせ。それからマントを貸してくれ。変身を解除する」
「話が分かる相手でよかったわ」
軽い着地音。セレンは王国の協力者からすでにこのエルフの情報は得ている。
「貴女には王国側の立ち合い人として来てもらいたい。処刑の権利も持つことが出来るよう掛け合うことも約束するわ」
「いいだろう、だが監視は私がやるし、こいつには封術もかけてもらおう」
どこか、彼女たちの会話は上滑りして聞こえる。報告を受けたギルドの調査隊のどたどた騒々しい足音と、いまだくすぶる竜吐息の余熱と、ひんやりと冷めつつある床で霧崎は、ぽっかりと地上まで突き抜けた縦穴から降り注ぐ月明りを眺めていた。
迷宮から事務所まではどうやら歩いて帰ることが出来たらしい。一階の鍵を開けホールを抜け応接用の長椅子のシミが霧崎の記憶に残っている最後のものである。
あれから二日が過ぎていた。二日間の断絶は我が身にありありと残っている。服は着の身着のままで、左腕の袖は痛めた腕を治療するために大きく切り裂かれている。触手に巻き込まれた左腕はどうやら捻っただけのようで、あの瞬間に脱力して勁道を外せるように稽古をつけてくれた師匠には頭が下がるし、同時に申し訳なくも思う。あれほどのという言葉も足りないような空前絶後の達人ともいうべき傑出した師についていながら、不覚を取るとは情けないばかりだ。
と同時に得たものも大きい。
左腕を軽く捻りゆっくりとその捻りを全身に伝播させ筋肉を覚醒させる。腰を落として立ち、仮想の竜の爪と小指を持ち、ゆっくりとこれまた仮想の背後の敵に向かって転身する。息を吸って繰り返すこと十を数え、ようやく霧崎の繰り出す竜の爪が背後の敵の首筋に到達した。砂埃を吸った汗で足の裏がざらりと抵抗を持っていた。
間違いなく多数の触手を相手どった霧崎の剣戟はこれまでで最速最強のだった。僅かな剣への入力が無限に増幅され、時間を超越した体捌きが敵を殺し間に誘い込み、雨粒が地を捉えるように斬り捨てる。あの瞬間の神速に比べればそれまでの剣技など児戯等しい。矢も楯もたまらなくなって霧崎は木刀を自室に取りに戻る。
十五秒後にあれ……?と霧崎は首をひねっていた。
手にしたと同時に気が付いた。元の世界の基準で僅か700gの木刀が異様に重い。試す、いてもたってもいられず、仮想の敵を肩口から縦に切り下ろす。
最速だった。
いまの斬撃と比べれば過去のものは過剰な力を伝え、それによって生じた過剰な力をまた抑え込む無駄の塊だった。
「この木刀は……重すぎるな」
小指を握るような感覚で怪物殺しの斬撃が放てるのだ。修行が進むと得物が軽くなるという師の言葉が氷解した。修行が進むとさらに軽くしなければ次の修行に進めない。よって得物は軽くなるのだ。
霧崎は剣技の体系をもたない。ゴブリンの戦技のお陰で体捌きと得物の扱いは敏速だが、それは格下を相手に戦うときには有効でも同格、あるいは格上の相手と戦うときに致命的だ。霧崎の剣技の特性をセレンは予測の深さと精度いい、剣戟の早さとアドラシアはいい、トーレルは踏み込みの鋭さという。なるほど、それらは確かに相対するものにとっては脅威と映るだろうがしかし、霧崎の核には踏み込んでいないと思う。
いまならば言い切る自信があるのだ。俺の強さは、剣の強さだ。
刃の潰れた得物で松の巨木をも両断するほどに研ぎ澄まされた剣への感応能力が霧崎九郎の異能である。
「なんというかそれが起源なんだろうなぁ」
しばらくの間を霧崎は相手を置かない一人稽古に使う。その最中のふと集中が途切れたときに聞き覚えのある声が割って入った。
「おはよう霧崎九郎」
「おはようございます」
アドラシアの声だった。
「事務所として受けた依頼は全部終わらせて、あとは個人で受けたものも二、三個か。左腕の調子はどうだ?」
「まあ、問題ないです」
いままで何処にいたのか。そんな疑問に答えるようにアドラシアは続ける。
「飯は食べられるか?作り置きのスープがある。それから話したいことが一つ、飯のあとにしようか」
「あ、どうも」
口ではそう言ったものの嫌な予感しかしない。そもそもなぜこの決闘代行人がトーレルの事務所にいるのか。そして仕事の様子にまで詳しいのか。場合によっては飯を口にしないほうがいいし、木刀を手放すのも危ういことになる。
「あ、でも今日はギルドの肉サンドを食べたいので食堂のほうに行きませんか?奢らせてもらいますよ」
「そうかい?じゃ、着替えてから行こうか」
特に惜しげもなくアドラシアンは頷いた。やはり勘違いなのかとも思う。それでも念のために準備しといたほうがいい。枕元にコップと一緒におかれた瓶の水で手拭いを軽く濡らして体を拭い新しい服を着る。短く切った髪に瓶の残りの水をかけこれを拭うと気分だけは先ほどよりも幾分か爽やかになった。
「終わったみたいだね、じゃあ行こう」
「はい」
アドラシアは二刀を遣う。
ヤシャは二刀を遣った。霧崎も二刀を遣う。だが二人の二刀流は違う。アドラシアの二刀は片方に護剣を持ち、長剣と短剣を組み合わせ、マンゴーシュを盾にレピアの突きを主体としてる。また決闘以外に用いるの反りの浅いサーベルも所持していた。レピアの刺突は致命傷になるが刃部の細さから即効性が薄いため緊急の場には向かないのだ。
「時に君はエルトリア老を討ったそうだね」
「はい、」
思わず肯定し霧崎は歩みを止めかけた。
「孫娘の証言と君の人相が一致したようで、ギルドが君を捕らえるよう私に依頼してきた。当のエルトリア流は君を血祭りに上げようと意気込んでるようで、ギルド側は迷宮で魔術師の陰謀を止めた君を即座に処理するわけにもいかず、牽制と監視が必要だったんだ。ここまでは分かるね」
有無を言わさぬ調子に霧崎は頷く。
「私個人としてもエルトリア老とは交流があった。……別に責めているわけではない」
「いや、ごめんなさい」
斬ったはったは武人の常だとアドラシアはいう。
「一対一の決闘で負けたのは当人の技量不足だ。武人の一個の勝負の帰趨に口をはさむべきではない、と私は思う。ことに剣士ならその勝負に関してとやかく言うのは恥ずかしい」
ただそれは別として、とアドラシアは歩みを止めず続ける。
「後始末はきちんとしなさい。私だってこんな仕事だ、相当な恨みを買って来ている。戦いに勝つというのは恨みを買うということだよ。私が放浪を続ける理由もそれが原因だ。一箇所にとどまっていては寝首を掻かれてしまうからね」
つとそんな話を聞ながらギルド本部が見えてきたころには霧崎の緊張は多少、緩んでいた。
「君はしばらくの間、牢に拘束されることになる。冒険者同士、流派同士の決闘というのは過去には大掛かりなものに発展することもあってこの街では法律が厳しくてね。数日後に向こう側の仇討ち人と戦うことになるだろうから、準備だけはして起きなさい。あとこれは餞別だ」
木刀を渡され話が終わる。しばらく歩くとそこは川のそばのギルドの拘留所だった。全体が石造りで四方に歩哨がたち城壁の上には弓を持った兵が警戒している。絶望的なまでに厳しい警備だが果たして魔剣を捕らえておくに十分かと問われれば流石に首を傾げざるをえない。
「変な気はおこすな。その為に私がいる」
「いや、分かってまスとも……」
アドラシアの監視は決闘の日まで続くだろう。そういえば、今の今まで気になっていたが聞けなかったことがふと霧崎の頭を掠めた。
「トーレル達は、どうなった?一週間はもう過ぎているだろう?」
ああ、とアドラシアは霧崎を一瞥して
「伝令によれば、終わったとのことだ。もう明日には帰ってくるだろうが、それがどうかしたか?」
「いや、刀の準備を頼みたいと思って……、多分切りあわなきゃならなくなるんだろう?信頼している刀工に頼みたいんだ」
「それなら、あそこだろう?あの竜のオヤジがやっているところだ。違うか?私が頼みに行こう、私だって顧客だよ。あそこの剣はいい。折れず、曲がらず……、」
「よく切れル」
にやり、霧崎とアドラシアは二人して視線を交わして笑った。
流派同士の決闘という形で今回の仇討ちは処理が決まった。霧崎が戦うのは件の怪物だった。全滅した討伐隊の物見が伝えた剣技の相似点からあの怪物はエルトリア流であると認められたのだ。冒険者同士の遺恨のの処理と同時にギルドはまたあの怪物の処理に追われていた。国の将軍の息子を殺した怪物をギルドの直轄地でいつまでものさばらせておくわけにはいかないと判断したのだ。王国側の人間であるセレンが討つよりも先にギルドが討伐して面子を守りたいという意図が見える。同時に準魔剣級を討伐に宛てたのであれば失敗のさいにも多少の言い訳はつくというものだった。
そんなことをギルドの正式な依頼として伝えられた霧崎に開口一番、アドラシアは災難だねと破顔した。
「君、笑えるくらい運がないね。たまたま知り合った老剣士が敵になり立ち塞がったのを切り捨てたら、今度は政治的駆け引きの材料になる。嵐に惑う小魚のようだ」
そんなことはどうでもいい。
「トーレルとセレンは無事に帰ってきたのか?それと飯はあるか?」
「無事も無事だ。門の前に敵兵の死体を壁のように積み上げた戦いぶりは伝説になるだろうよ。それと毒殺予防に持ち込み禁止だが実はある。一食も食べてないと聞いてな」
パンとチーズの入った紙袋を取り出しアドラシアがそれぞれを千切って連れてきた鶏に食わせる。次に水の入った水差しを持ち上げこれも飲ませた。
「安全だ」
鶏に異常はない。
「ありがとうございます」
受け取るった食料を簡易寝台において霧崎は手刀を構える。間合いに踏み込んで、斬撃。霧崎の斬撃の起こりと同時にアドラシアも攻撃を開始していた。
右袈裟。入り身受け突き。変化して切り止め上乗抑え。左剣櫓。左内小手斬り上げ。護鍔による受け、同時に退き左小手斬りあげ。左護剣側へ円弧を書く移動。入り身勢から廻剣左小手落とし、左半身引き戦車の構えから腿への突き。
ある程度のレベルに到達したならば戦いは先の取り合いに帰結する。相手の技を読み、先刻の技をも囮に使い無限の変化を秘めた攻防にそれはなる。相手を読みながらの攻防だが、読まされずの攻防でもある。たとえるならそれは矛盾の成立。自動攻撃と手動攻撃の併用、相対化と絶対化、分割された意識の相克に他ならない。より高度に技を受けることがより高度な返しにつながるのだ。ここに闘争は無限の連環を得る。
小手落とし変化切り落とし防御、ぬらりと手首を変化させ踏み込みから右首への刺突、追うように剣が変化して逸らす、逸らした剣先が変化し変化を防ぎにかかるのを先をとって接触点を支えに刀の峰を推し鳩尾への刺突に変化させる。護鍔での防御と同時に右の剣を捨て空になった右手で柄を抑え、左剣で剣の端を抑え手首を極めて武装解除。左ばら手による目うち、同時に左股間節への左押印脚。かがんで足の筋を裏刃で切断。
そこで霧崎の動きが止まる。ひゅう、とアドラシアが口笛を吹いた。鉄格子越しの剣問答は二日目に入っていた。
「私の勝ちだけど。蹴りからの追撃が不味かったね。あそこは退いて距離を置くべきだった。そうすれば竜の爪?も抜けただろうに」
「ううむ、」
これではダメだ。一刀で二刀に追いつけない。霧崎の一刀はアドラシアよりも速いが、彼女の二刀は速さを超越している。
ダメだ。どうすれば、一体どうすればあの日のように。
牢屋の中で霧崎は煩悶として身を捩っていた。一刀では量で足りない。かといって二刀を持てば質で劣ってしまう。
どうすれば、どうすればあの日のように。
セレンをして武神と呼ばせしめたあの日のように、戦えるのか。武神のように武神のように。
体が、足りない。
足りないならば、いっそ、我が身を裂いて補うか?あの触手のように?無理だ、物理的に不可能だ。霧崎九郎は人間である。人間の体は分裂しない。手が植物のように伸びないし、翼が生え、空を飛び、口から業火を吐くことも出来はしないのだ。
勝てない。このままではヤシャに勝てない。死ぬのはいいが、勝てないのは嫌だ。
「剣が……足りない、武神は……、」
武神は、阿修羅は、摩利支天は。
それは、頭を殴られたような衝撃だった。
剣が足りないなら増やせばいい。体が足りないなら増やせばいい。それだけのたったそれだけの簡単な答えだった。
「つまり武神のように」
霧崎の足に気力が宿る。自然と木刀を手に取り、牢の内に直立する。
我らはさながら武神のように、一人の内に三面を持ち、一体の内に六臂を持つ。我は、前進しながら後ろを歩み、左を眺めて右を見る。
「……ように振る舞うって、こりゃ四方剣の基礎じゃあなイか」
落胆して霧崎は壁に背を預けた。目を閉じて黙想。どうして武神などという空想に頼ってしまったのだろう。暗闇にヤシャが立っている。二刀を自然体で構え、どのような動きも観せずに霧崎を見ている。怪物殺しの斬撃を本命に霧崎は左小手を空けてヤシャの攻撃を誘う。斬り込めない。と、そこで霧崎は愕然とするのだ。懸る霧崎は幾度も刃をその身に浴びる。鉄が皮をさき肉を断ち、衝撃が骨の芯にまで響く。戦慄が霧崎の背筋を走る。霧崎は想像の内に自らの死体を積み重ねていく。ヤシャは強い。無限の強さを持っているのかと疑りたくなるほど強い。セレンも強かったがどうしても手加減された戦いでしかなかったがゆえにその強さへの認識が甘かった。ヤシャは違う。一切の手加減なくエルトリア流を使って霧崎の命を取りにくる。
少し目を瞑るつもりだった。
ふと暗い世界に光が差す。依頼を終えた迷宮の出入り口はこんな色をしていた。敵味方入り乱れた混戦を抜けた空の色だった。師匠に投げられた時も空も同じ色をしていた。
陽が沈む茜の空を見上げている。
そこは巨大な闘技場で幾人もの男たちが敵の首を蹴り転がし、砂埃を上げながらゴールを目指し駆けてゆく。唸りのようなざわめきに霧崎は声をあげ、身を乗りだし、フィールドを疾走する男たちに乗りうつり拳を振り上げ、
落ちた。真っ逆さまに客席を転げ落ち意識も何もかも失った。
次に目を醒ましたそこが、コロッセオの医務室……治療室と呼ばれる場所だと確信したのはなぜだか知らないが、そこは夢の場所だから霧崎が医務室と感じればつまりそういうことなのだろう。窓からうかがう空は青を孕んだ黒で、軽薄な白色の電灯がぼんやりと室内を浮かび上げている。部屋の中央には折り畳み式の安い長机があり、そこを中心にまばらに椅子が置かれている。部屋の隅の低い戸棚の上におかれたテレビを、二十後半の兄ちゃんが机に頬杖をついてだらしなく背筋を曲げ、脚をだらりと広げて椅子に腰かけながら眺めていた。
「おう、起きたかい」
「あ、どうも」
「喉が渇いてるだろ?お茶は冷蔵庫のペットボトル、コップは……」
気のいい笑顔の兄ちゃんが少しぎこちない喋りで視線をさまよわす。
「いやー、まいったね」
次になんというべきか男の言葉の意味を霧崎は図りかねて、すぐそばに置かれたお茶に手を伸ばす。常温の緑茶の心地世良いぬるさが霧崎の心をふと緩める。
「タしかに、勝てる気がしない」
前後の文脈の不明の理由など見越しているかのように男は頷き、霧崎は続ける。この一日で考えた剣理を何もかも知り尽くした賢者のような男に漏らす。
「触手との戦いで分かったんだ。俺の今までの剣は技がなかった。出鱈目で適当で綱渡りをしてるようなものだった。だけど今ならわかる、八方位に体転し、八方向の斬撃刺突を」
「違うだろ、」
恐ろしく低いトーンで男は霧崎を遮る。
「お前の異能はそうじゃないだろう霧崎。彼らの剣技は何代にもわたって研鑽され磨かれ続けたものだ。お前なんかの入り込む余地はない」
身の程を知れ、と言葉が吐き掛けられる。自分の夢に霧崎は歯噛みした。
「だが、そんな洗練された剣技に対して唯一お前が付けいる隙がある。魔剣の体術を持ちながら魔剣の剣技を持たないお前が唯一出来ることがあるとすればそれは」
なんなのだ。食い入るように霧崎は男を見つめる。
「奴の後を追うことくらいだ」
真球を割れ。と男は言った。男の手にはいつの間にか麦の細く長い藁が黄金の色を細く長く生えている。
「麦を剣とし、鍛錬せよ」
上段からの斬撃を一体どうやって認識したのだろう。男の体がぱらぱらと幾重にも連続しながら、麦の剣で切り下ろす。その体こそ霧崎の夢想した武神のそれに相違ない。天を裂き地を割る黄金の軌跡は頭頂から股間まで霧崎を両断して抜ける―――――――。
現実が飛び込んでくる。男の言葉は霧崎の頭蓋に雷鳴のような残響を残していた。
気味の悪い男だと霧崎は思った。自分の夢の中の人間は自分以外に介在する余地などない自分の分身であるはずなのに、
「なんなのだ、あれは」
戦形に囚われぬ逸脱を見た。真球を割る、と口を動かす。素敵だと思った。沸き立つ細胞が寝台の下から一本の麦藁を取り出す。この一本の藁が霧崎には命綱だった。今から剣技を考えるのは寧ろ悪手で、それならばこれまで稽古してきたゴブリンの戦技と怪物殺しの一太刀の精度を上げるべく、体を練ったほうがいい。勿論対策は考えるが、それでも師匠の言葉を想う。
「戦うときは忘れよ、だ」
霧崎は今回の戦闘で自分が死ぬ公算のほうが高いことをこの夜、明らかに自覚した。
刻限は三日ですでに二日が過ぎていた。霧崎はその間になんども剣王の噂を訊いた。曰く第二修練場に立て籠もったまま討伐隊を片っ端から切り捨てている。修練場全体を密林に潜むサルのように駆け回りながら翻弄し弓も魔術も寄せ付けない。そうだろう。ただ一人で迷宮に生活していたあいつが密閉された空間で暴れたならば誰の手にも負えるわけがない。
だがそのすべてがどうでもいい。霧崎には敵がいる。そいつは真球だ、剣王ヤシャは真球なのだ。真球に切り込む隙はない。それでも霧崎は信じることにしたのだ。真球を割るという幻想を。
夜も更け、日の入りも間近の頃合いに闘技場へと忍び込む人影があった。件の闘技場は、二日前から剣王と名付けられた危険個体(※人ではなく冒険者ギルドはあくまで魔獣として指定している)に居つかれ、危険指定区域としてギルドの管理下にあったのだが、その人影は冒険者ギルドを通して正式に討伐依頼を受けた人物であったため見張りもこれを通したという。その時に受け答えを行った見張りによれば、フードを被りくぐもった声で話す女だったらしい。さてはてパーティーを組んで数人掛かりで挑んだ熟練の冒険者も、隊列をなした市の軍隊も歯が立たない怪物にたった一人で何が出来るのかと不審であったが、逆説的に考えて十分な凄腕なのだろうと思い、ギルドの規約に従って討伐の意思を確認した見張りはこれを通した。
結果はいつもの通り未帰還であり見張り達の間ではやはりこの怪物は恐ろしいという結論を強化するにすぎなかったのであるが。
魔導による照明にヤシャの意識は瞬時に覚醒した。飛び道具による不意打ちもなく、照明に照らされた闘技場には曲刀をだらりと垂らした人物が、斜めに影を伸ばしている。
そいつはこれまでの冒険者達と明らかに次元を異にする達人であることを立ち姿から剣王は見抜いたが、どうにも違和感が残る。敵意というものがないのだ。構えにてんで鋭さが足りないと言えばいいのだろうか。ごくリラックス姿で剣王の間合いぎりぎりまで侵入してきたのである。次いで鼻をつく独特の臭気がある種の麻薬の匂いであることを剣王は嗅ぎ取っていた。この種の麻薬は戦闘の前に用いられるもので理性にタガを外し桁外れの攻撃性を使用者に与える。同時に痛みを忘れさせ、恐怖をなくし自らの肉体が傷つくことも恐れずに敵を殺す狂戦士に変化させるのだ。
だというのにこの静けさはなんだ。
再び違和感がヤシャを襲う。不気味な相手だとヤシャは思った。
二刀を抜き構える。瞬間、ずば抜けた運足でそいつは肉薄する。小手に開けた隙はこちらの攻撃を誘う後の先の布石。上等、とヤシャはもまた右の一刀で斬り込んだ。二刀の理をもってすれば後の先の先をとれると踏んで、まず冒険者の運足に先んじてヤシャは踏み込んだ。すなわち対の先をとったということである。
回避可能領域をヤシャの剣が飛び越え防御可能領域に間に合う速さでフードの剣士が動く。。瞬きの速度で思考しながらヤシャは勝ちを確信した。この機に動いたのでは僅かに遅れて後追うヤシャ二刀目を防げない。
だから、奇のだ。
その場で僅かに身を沈めたそいつの縦斬りが先んずるヤシャの剣にあと乗って、曲刀の根元で斬撃を弾き飛ばし、二刀目の追撃よりも髪の毛一筋ほど早くヤシャの右腕を二の腕から切り落とした。
とたんヤシャの体がバランスを失い転倒する。同時に大量の出血に気を失ったヤシャが目を醒ました時にはその人物の姿はすでになく失われたはずの腕は、そんな事実などなかったかのように生えていた。
夢だったのかもしれない。ぐにゃりと横に曲がった右手の剣にヤシャはそう思う。
ぶるりと、ヤシャの身が震える。この時、ヤシャは初めて恐怖の意味を体に刻み込んだ。
しかしこの章のサブタイトル全然関係ない




