竜人
ヤフタレクは地獄を見たことがある。といっても探索者なら特別なことではない。迷宮での集団戦闘は大体地獄だ。5メートル四方の狭い空間に100人以上がひしめき合って、退くも進むも叶わない状況で戦うことになる。間合いも何もあったものではない。そういう戦いでは片腕を斬られ、転倒したところを生きたまま踏み潰された死体や、運悪く四方から飛んでくる槍剣をまともに喰らって柘榴のようにはじけた死体がそこいら中に転がることになる。ヤフタレクはそういうものを全身血塗れで何度も見て来た。
ごくりと、飲み下した唾が胃でなく気管に入り込みそうなった。
「………………」
恐る恐る目を横に動かすと、となりのエルフは無表情で広場の中心を探していた。どうしてそんな風にあれを眺めていられるのか。
肉団子が踊っている。体中から蓑虫みたいに腕を生やして出鱈目に床を這いずっている。首をなくして股間から獅子の頭部を吊るした男は膝でリズムをとって状態を揺らしている。血管と筋肉が透けて見えるくらい透明な皮膚の美女が三つの身体と一七角を首から生やした異形と交わっている。それらの中には失敗したというのか、奇妙に美しい光沢をもつスライムがテラテラと床に落ちた松明に照らされている。
奴らは喰っていた。
彼らの手に人の腕や足を鷲掴みに掲げ、棍棒のようなそれらは脂肪と筋の、黄色と白の断面からぽたぽたと透明な液体を垂らして、齧り付かれそぎ落とされていた。時折、骨ごと噛み千切られるごつん、という音が低く広場に反響する。
それでも一歩進もうとしてヤフタレクは肩を強い力で握り止められる。振り向くとフィーナがぶつぶつ呟きながら首を振った。危険ということらしい。肩を握る力はそのままにフィーナは後退していく。必然的にヤフタレクも後ろに下がることになる。
出入り口の角まで戻ったところでヤフタレクはもう一度広場を覗いた。赤黒い霧が視界を覆っている。だが霧の奥には確かに異形がいて、ふふふ、と子供の笑い声がここまで届く。彼らが見えなくなった十字路の角でヤフタレクはぜえぜえ、と息を吐いては吸った。その隣ではフィーナが一定のリズムで呼吸を繰り返している。背を預けた石の壁からは、今も絶え間なく異形達の唄が聴こえてくる。もはやあの広場全体が巨大な異形の体内だとヤフタレクは思った。
「あれは、なんだよ。見たこともない。ギルドの文献にも存在しない。あそこまで外れた異形がこの世に存在するってのか……」
小声で万が一にも奴らに届かないように、ヤフタレクは久々に呻いた。
「あそこは、たぶん二つの理を混じり合わせるための場所のなっていたから……。あの下に神殿があって、」
ありえないことではないとフィーナは思う。けれど、あれは想定なんか消し飛ばすほどの破壊力があった。あれは一個のこことは異なるルールをもった異世界だ。冒険者ギルドの調査隊を丸ごと呑み込んだルールは向こうの世界のものなのだ。故に彼らがあの姿に転じたのは、……素っ気ないことを言えば適応の結果なのだろう。狂った世界の中では狂人が正しい在り方なのである。それはそうとして、
「見た?」
「なんだよ?」
唐突な質問にヤフタレクが弾かれたように顔を上げる。
「あの異形どもの中央よ。霧のもっとも濃かった部分」
「いや、見えなかった。何か見えたのか?」
ヤフタレクの顔を見てフィーナは思い出した。そうだった。人には魔眼がないということをフィーナは失念していた。どうやら思っていた以上にあれにダメージをもらったらしい。
「霧の奥に、三角の穴が見えたわ。そこから下に行くほど霧の濃度が上がっていった。だから、問題の発生源はこの階ではないのでしょうね」
「ああ、だけど大丈夫なのか?」
「なにが?」
「あの霧に触れたら俺たちも化け物の仲間入りってことだろ?」
大丈夫と、とフィーナは青い顔で頷いた。
伽藍だった。そこに光はなく、脈打つ闇は生き物の気配を呑み込んでいた。生まれたばかりの胎動する闇に二等辺三角形の光が差し込む。光の筋に切り取られた石壁が、さらに三つの断片に斬り裂かれ落下した。光を塗り潰さんと溢れ出る赤い闇を薄青の色の力場が蹴散らす。
「こコが目的地だナ?」
「そ、」
切り裂かれた部屋の中には、ただ夜の色が満たされている。ゴウレムが3人の背後から放つ魔導火の照明も、薄青色をした力場の干渉光を境に拒絶されている。
「異様な気配に用心はしていたが……」
薄青の向こうに闇が渦巻いていた。
「これはどうやら、闇そのものが呪力を持っているらしい」
セレンが力場の外に右手を伸ばす。
「っ、」
鮮紅色の火花が散り、右腕が弾き飛ばされた。違う。強烈な違和感を覚えたセレンが引き抜いたのだった。その右腕を見たセレンの顔が困惑に歪む。右腕は変形していた。肘から先を棘のような黒鱗が多い、宙を掻く五指には竜の爪が鋭く光っている。
「迂闊に触るからそうなる」
仏頂面が笑みを溢し、右手で印を結んだ。
「少し待て、私が探る」
仏頂面が左目を閉じる。片目だけ開けたので仏頂面はますます仏頂面になった。
隣の様子になんだかなぁ、と霧崎は頭を掻いた。そして目を瞑る。暗闇なら霧崎も慣れたものだ。夜の森は本当に暗かったし、夜の街もまた暗い。そんな環境で迂闊に「見よう」とすれば、なまじ目がいいだけに騙される。そういう時は耳と肌だ。移動する蝙蝠が生み出す気流。獰猛な人喰い虎の恐れを知らぬ歩み―――――足裏から伝わる振動。かさかさと、こすれる木の葉。収束し、伝播する気の脈動。
常とは異なる入力系を稼働すること。
すなわち自己の拡張に他ならない。
「これは感化の魔術だ。ある種の感情を引き出し、固定する。トラウマから魔術感覚を目覚めさせ、肉体を変異せしめる」
「ン?魔術は素質というかある種の感性がないと使えないのでは?」
「それは巷に流布するデマだ。魔術は修行さえすれば誰でも使える。人の一生では僅かばかりの結果しかでないことも多い。しかしエルフ、竜、岩巨人、その他の知性ある長命のものが魔術に長けるのは、修行の時間が長いからだ。たぶん」
説明をしながら仏頂面は右手で印を結ぶ。
「誰だって出来る技術だ。割りに合うかは別だけど」
「何をするんだ?」
「結界を拡張する。今のままでは戦うことも出来ない」
「何と?」
霧崎の心に問いが浮かんだあと、触手が力場の中に飛び込みセレンに叩き落とされる。
「触手だ。こちらを捕捉された。セレンは結界の補助を、霧崎は前に出て触手を防ぐ」
それだけ言って、仏頂面は目を閉じ印を結ぶ。
なるほどな、と霧崎は理解する。
いまの自分ならば足止め程度は出来るだろう。そもそも長い刃物を振り回す霧崎は護衛には向かない。セレンは仏頂面の魔術を補助する必要がある。そんなことを考慮するとまず霧崎が前に出て防御に徹するのが最適と仏頂面は示したのだ。
青の境界には死の匂いがした。戦うというのは恐ろしい。何がと霧崎は心を観察する。そうだ、戦うことは別に恐ろしくはない。俺が恐れてるのはそれによって、もたらされる結果だ。苦痛だ。体も痛いが心が痛い。生きるか死ぬか、そんな単純な2択、半々の分が悪い賭けだ。それがどうした。むしろ選択肢が戦うしかないなら……それはかえって幸運なことなのだ。相手の顔は分からない、相手の向こうを想像せずに済む。斬れと刀が囁く。斬ると霧崎が脈動する。結局のところ御互い様さ、そう自嘲気味に霧崎は口の中で言葉を転がして、霧崎は意識の電源を落とす。
今回は相手の居所も分からないに等しい。先の襲撃から形はわかる触手だ。敵はこちらを捕捉していると仏頂面は言っていた。
襲い来る八つの触手はその先端が三日月に裂け、人に似た口腔で不気味に笑っているように見える。
それにしても、後ろに仲間がいるというのもなんだか懐かしい感覚だった。まだ山から離れて二週間しかたっていないというのに、もうあの頃がずいぶん昔のことのように思える。
いや、俺は俺だと霧崎は脳裏に潜り込む感傷を振り払った。俺は山でも戦場にいて、ここでも戦場に立つ。その傍らには常に剣が。
「まずは俺だ」
太刀を掲げ、霧崎が前に出る。斜めから来る触手をくぐり抜けるように躱す。霧崎の体の動きに沿って銀閃が暗闇を灼いた。ずるりと僅かに遅れて触手が切り飛ばされ、勢いのままに壁に激突する。
一息の間もおかず風がうなりを上げる。鞭と同様の原理で振り回される触手はこの暗闇も相まって目視など不可能だ。
霧崎は半歩僅かに躱し、今度は斜めに銀閃が走った。びっ、と剣風が打ち鳴らされ肉を断つ重い音が塗り潰す。
一本の触手が右下から振り抜かれる。また別の一本が右上から。王を詰めるようにもう一本が左から脇腹の高さに薙ぎ払われた。三条の肉柱は空を裂き、風を散らし、明確な殺意を持って霧崎とその背後の存在を空間ごと潰しに走る。
けれども、セレンとの戦いの後なら――――――今なら分かる。分かるなんてもんじゃない。相手の触手を自分が操って、こちらの刃圏にナビゲーションしているような奇妙な感覚。
殺意が、気流が、それに反応する霧崎の脳が、見えざる殺し線を闇に描き出した。左の触手を二本同時に打ち落とし、振り向きざまに脇腹へと迫る一本を叩き落とす。上段から切り下げ、遠い触手を切先を使ってえぐり、斜め右に下がりながら刀身全てを使って撫で斬り、真正面に来た極太の肉塊に斧鉞のように打ち込む。
血の匂いと、切り裂く肉の収縮に霧崎は猛り狂った。殺気に殺気を重ね、背筋に走る怖気に震えて、声を出さずにしかし犬歯を剥き出しに笑みを浮かべ、限りなく蒼い世界に、ただ間合いに侵入するものを容赦なく斬り刻んだ。
たかが人だ。
いやこれは神だ。刀と一体になって猛る武神の戦舞だ。虐殺虐殺また虐殺。血飛沫すらも寸断する銀の連環。ただ一本の剣と人が織りなす殺戮のタペストリー。暗闇に連続する残光が霧崎を燃やす炎に見えた。それは神話の残滓だった。燐光に浮かび上がる人影は舞い散る剣光をまとい、闇に影映す体捌きは舞い手である霧崎の姿を無尽蔵に増幅する。速さ、力、技、その全てを生み出す高次の術理を体現する霧崎は月に舞う死神の化身、獲物を幻惑する銀炎は魂を吸い寄せる死神の鎌だ。
霧崎は速い。動作も速いが何より、予測の速度と精度が凄まじく高度なレベルにある。霧崎は曲がりくねった道を道なりに進む速度を早めるのではなく、S字に頭から串を通すことで最速としたのだ。本人はまるで頓着していなかったが、それが霧崎の一番の武器だ。それが奴の秘刀の核たる部分だ。
セレンが手が拳を握りしめる。人の身でこれほどの動きが可能なのか。生まれついての最強者には見れない地平の先。少しの憧憬とともにセレンはそれを目に焼き付ける。
と、触手がそこで動きを変えた。
薙ぎ払う横の動きが、突きのような直線の軌道に変わる。三人全員を狙うのではなく、まず霧崎一人を排除するつもりなのだ。手前の触手を切り伏せて、気付く。このままでは三手先の触手が霧崎を貫く。
「っ、」
先程よりも速度はないが、格段に見切りずらくなっている。そのうえ触手の先端にある口腔は人間に対して十分な殺傷能力を持っているだろうことは予測に難くない。
また新たな技が浮かんだ。
直線の相手に対し、こちらが薙ぎ払うような大きな動きは不利と見て、霧崎の太刀は烈火の如き勢いから、軽捷と精密の極みとなった。切っ先を細かく操り、わずかに角度をつけて迎え撃つそれは、相手の速度と質量を利用した斬撃。速度は摩擦に、質量は楔に、刃が大きく斬る動きを行わずとも、敵自身がその身を霧崎の太刀に擦り付け分断される。
叩きつけられる肉の奔流を霧崎の殺意が捉える。百の殺意に、百の切っ先を。霧崎を中心にして迷宮に剣の花が咲き誇り、中心へと抉りこむように迸る触手は、その全てが鋼の大輪に拒絶された。先程の豪壮な剣捌きとは打って変わった華麗な剣技に
痛みが爆発する。右の眼が真っ暗になり、耳を甲高い声が突き抜ける。
遠目に伺う霧崎が不意によろめいた。セレンの眼にそう映ったのはしかし一瞬で、瞬時に盤石の姿勢を取り戻し刃を奔らせる。
あれはもう、幾ばくももたない。
やはり先程の剣技は相当な負担だったのだ。セレンのような特異体質でもないただの人間が、虚空に像を残す体捌きなど異常に過ぎた。眼前の華麗な剣技は、その実消耗を抑える苦肉の策で、その証拠に先程から霧崎の足はほとんど動いていない。肉撃つ鋼に紛れる心音は限界を迎えて打ち鳴らされている。
「もう持たないぞ!結界の拡張はまだか!?」
歯痒い。待たなければならない自分が歯痒い。そんなセレンの思いを暗闇が阻む。今突っ込めば、セレンという力の軸を失った結界が崩壊してしまう。そうなれば、全員が確実に死ぬ。
それはダメだ。セレンは奥歯を噛みしめた。
頭の中で鼓動が木霊していた。肉の内で血が昂ぶっていた。三十二は完全に切断した。二十七は半分まで斬りこんだ。それでもまだ肉の豪雨は鳴り止む気配がない。何分稼げただろうか、ふと霧崎の注意が背後に飛ぶ。
隙だ。敵が来る。来い。
手に取るようにわかる。半歩横にズレて斬り飛ばす。異様な手応えが帰ってきた。切れ味は最初から期待していない。刃など潰れても、霧崎の技量ならギロチンの要領で斬り続けられる。だがこれは……。
肉が来る。
刀身が曲がっていた。役に立たなくなった刀を触手に叩きつけ、霧崎は両手を腰に伸ばす。
右手に半月のような竜の爪、左には竜の爪よりも小さな「竜の小指」を握る。ゴブリンの基本的な古式闘術の一つである山刀術。
チ、チ、と霧崎は舌打ちでリズムをとる。あくまで鋭くシンプルに、肉と肉の隙間に霧崎の体が滑り込んでいく。
対多数の二刀流なんてよ。久々だ。
左右の掌が、それぞれ違う震えを返してきた。舞踏の如き斬撃は相手を選ばない。死が誰に対しても平等なように。片腕の斬撃では両断は難しいため、戦闘能力を削ぐ程度に深く斬りつける。
そういう心算だった。ゴキ、とかメチ、とか聞いたことがない音が霧崎の内で響いた。思わず目で確認すると肉に突き刺さった剣が抜けていない。いやそれよりも、腕が逆に曲がっている。ああ、そういうことなんだな。と霧崎は無感動に床を引き摺られた。
「まだか!!」
目の前で剣士が引き摺られて闇に消える。もはやセレンは忍耐の限界だ。魔術に必要な演算は終わっているのだ。あとは起爆の魔力を動かすだけ……、
「対心理結界拡張!セレン! 」
ついに待ちわびた声が到来する。
「応!」
身を低くしてセレンは疾駆の構えを取り、その背後に巨大な気配がざわつく。
来るか?
風が感応する。それはミントの匂いを纏った青の帳だ。視覚を一気に晴らす青色が、迷宮の闇を押しのけて走る。がきん!とセレンの中で決定的な歯車が噛み合うと同時、どす黒い始原の芳しが空白となったセレンの鼻腔を駆け抜け
ふるるぅぅ……
胸の奥底から荒吐息し、セレンは――――
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
―――――黒竜になる。
圧力を伴う咆哮が先陣を切り、後に訪れる強大な気配を知らせた。触手から振り落とされた霧崎は精根果床に叩きつけられ、起き上がろうとしてそのまま崩れ落ちた。結界を維持する仏頂面も吐き気を覚えるほどの頭痛に襲われる。しかしこれは咆哮を直接浴びた為ではない。
これはただの余波だ。セレンを中心に放たれた呪詛の爆発は、精密に制御され、二人以外の全てを襲った。
迷宮が揺らぐ。空中から青い稲光がそこかしこをのたくり、そして咆哮の直撃した触手は声にならない悲鳴を上げて悶絶した。自らの歯を噛み砕き、神経組織が崩壊した触手どもが床の上でぴくぴくと痙攣を続ける。それをも踏み砕く無慈悲な歩脚。
セレンの全身をくまなく黒曜の鱗が覆い、手足の先を合計二〇の鋭爪で武装する。みしり、と密度が増したのか足を置く石床に亀裂が走り、変形した骨格のバランスを取るために尻からは長大な尾が生えた。吐く息吹きには緑の業火が混じる正真正銘の異形。
否、これが本来の姿とでもいうのか。
頑丈な石畳を水面のように蹴立ててセレンが疾走する。その姿を知覚した触手達は数瞬の躊躇いのあと、一斉にセレンへと襲い掛かった。
爪撃拳打蹴破。セレンの剛力は触手を紙細工のように引き千切る。右腕を振り回す風圧で一〇の触手を捻じり切り、飛散する肉飛沫を突進の風圧で蹴散らして、セレンは飛矢となって対敵までの直線を駆け抜ける。
触手の向こうに敵の姿が見える。セレンの見る限りそいつは人の形をしていて、背中から羽のように生やした触手で中距離を支配するタイプの戦闘スタイルだろう。敵本体は目前。薄青の結界に照らされ、そいつはにやりと真っ赤な笑みを浮かべた。同時に足元から湧き上がる気配。
セレンは咄嗟に真上に跳んだ。攻撃の正体が分からなかったからだ。果たして攻撃の正体は人間の胴と同じ程度の太さを持つ幾本もの肉の柱だった。3メートル、5メートル、10メートル、牙を鳴らし、跳躍したセレンを肉の列柱が追い掛ける。
なんだ、またそれか。
正体がわかった途端、安堵の感情がセレンの顔に浮かび上がった。一瞥し天井を蹴って跳躍、引き千切って血路を開く。そう決めて、―――――――、――――――急にセレンは面倒臭くなった。
床に倒れ伏した後も霧崎の目はセレンの戦闘をとらえ続けていた。ずっと観察し続けていた。恐らく、霧崎が生涯のうちに目にすることが出来るであろう最強の個人戦闘能力の持ち主が、全力を出して戦うこの瞬間を、剣士として霧崎は見ないわけにはいかなかった。
まるで全力ではなかったのだな。俺とのあの試合はまるで本気ではなかったのだな。 もちろん、霧崎九郎は、そんな程度のことは知っている。だが、あの群体を足止めしか出来なかった自分と、軽々と粉砕して見せるセレンではその実力に天と地ほどの開きがある。
そのことを目の前で見せつけられている。そのことから目を離せない自分がいる。松の木を切り裂き、キメラの首を落とす一刀と霧崎は自分の剣の本質を定義した。だが、だが、そんな程度の力がどうだというのだ。霧崎が松の木を一本斬り倒す間に、セレンは松の林を根こそぎに薙ぎ払ってしまだろう。
人身の竜と化したセレンが跳躍する。追いすがる肉の列柱にたいして刹那に体術による迎撃の構えを見せ、しかし意を翻したセレンは、不意に胸郭の膨らみが分かるほどに息を吸い込み、そして吐き出した。
それは翠玉色をしていたかもしれない、仏頂面が反射的に瞼を閉じ開くその間にことは終わっていたため、実態は定かではない。しかし仏頂面は把握している。あれこそが、人と魔を隔てる象徴たる攻撃方法。体内に魔力を吸引し、練り上げ、外部に昇華する竜種の吐息だ。
灼熱の吐息は速やかに大地を焦がした。肉の列柱など問題にならなず緑色の業火に焼き尽くされ、瞬きの間に灰と化した。業火は容赦をしなかった。床を嘗め尽くし、溶解させ、大地に伏せられた列柱の根も容赦なく焼却した。
吹き荒れる突風が灰を巻き上げ、橙色に焼け焦げた大地には緑の炎が名残を惜しむようにそこかしこで小さな呻きを上げていた。
地獄の光景だった。
くはあ、と破壊の中心に降り立ったセレンが息を吐いた。薄青の結界に闇を払われ、セレンの猛火に炙られて、焼け焦げたそいつは低くうめき声を上げる。両手に半ば溶解した剣の残骸を握り、数刻前の威圧など掻き消えた姿でそいつは一人そこに立っていた。恐らく触手の主だろう。どこか遠い目で、ただ立っているだけだった。
「さて止めだけど言い残すことはあるか?」
ぐるう、とヒトだったものが声なき声でセレンの問いに応えた。頷いてセレンも距離を詰める。目の光を見たときセレンは確信していた。こいつはもうヒトがヒトであるための大切な何かを失ったのだということを。
そして、それが取り戻されることはもう二度とないのだということも。
「その頬骨と耳。同族とお見受けする。どこかで見た気もするが、しかし」
話ながらセレンは覚悟を決めた。冒険者ギルドの一員としてただ巻き込まれただけなのかもしれない。そんなことも脳裏をよぎった。
「……」
分からない、理由は分からないが決定的に嫌な予感がびりびりとする。ちらりと後ろに気を配り……予感に対して躊躇うことなくセレンは選択する。
ここで殺す。
僕の考えた最強の変身




