剣王ヤシャ
父があの爺に負け、エルトリアが代替わりしたことに恨みはない。剣士というのは恨みつらみではなくその強さを以って語るべきだとヤシャは常々考えている。だからこそ爺とは五分の付き合いをしてきたし、死期を迎える前に一度打ち果たしておくつもりだった。
今となってはそれが残念だ。それだけが一応の心残りだ。
「けひひ、何か悩み事ですかね?」
横合いからトーンの高いエルフの死霊術士の声が割り込んでくる。初めて迷宮で出会たときこの男はメイシスと名乗った。
「まあ、悩みと言うほどでもない。つまらん目標だ。どうでもいいものと思っていたが、思いのほか俺の人生においては重要な事項だったらしい」
けひ、と声が笑う。
「笑うな、失ってからその重要さに気付くものもあるということだ」
「取り返せばいいではないですか」
ふん、とヤシャは鼻を鳴らして答えた。
「貴様ら(エルフ)にとっては、時間は無限に等しいのだろうが生憎とこの人の身には有限でな。失ったものというのは大抵取り返しがつかん」
けひひひひひひひ、と今度こそ声は大笑した。それから咳払いが一つあって、
「勘違いされているようですが、エルフの時間もあなたの身に流れる時間もそう変わりはしませんよ。相対的に比べれば人が蟻の一生を見る様なものでしょうけれども、その内において流れる固有の時間はみな同じです」
そんなことをエルフは言う。少し振り返って見ると死霊術士は蒼ざめた顔で床に腰をおろし、背中を千手花と月が彫刻された壁に預けて瞑想していた。
「まあ、こんな話をしたということはまだ迷っているようですが、どうですかね?あと半日程度で門は開き………地上は地獄と化すでしょう。それはもう取り返しがつかないほどに。それでもあなたは彼の剣士に合いたいと願うのですか?」
くどい、とヤシャは男の問いを一蹴した。地上が地獄に変わろうとも、この地ならばそれは大事にはならないだろう。なにせ数多の化生を内包した迷宮を地下に蔵する街の事だ。過去幾度となく訪れた怪物を、軍勢を退けた実績は伊達ではない。門を開く際に生まれた余剰など取るに足らない敵未満の存在として処分されるのは明白。よしんばこの街が被害をこうむったとしても、王国は過剰に調査したりしない。何故なら迷宮と黄金の城壁を蔵するこの街自体が中央集権化を進める王室にとっては好ましくない独立世界であり、弱体化の好機があらば真っ先に潰しに行く街とリストアップされたものの一つだからだ。
「俺はオリジンのエルトリアに会いに行く。お前はこいつを使って召喚の奥義を試すことが出来る。共に利があって損のない話だ」
そうですね、と曖昧な笑顔でメイシスは目を伏せた。そうだ、とヤシャも頷く。二人の前には御影石製の方錐の祭壇が死者復活の四柱六世蓮華法印陣形式で彩られ、真っ平らに切り取られた方錐の頂点は竜牙兵八体を素材に造られた剣王の依代を横たわらせてなお有り余る。切り取られた天井から差し込む光は果たして地上の月光なのか……。真紅の色はむしろ巨大な竜の瞳のようだ。
とんでもなく馬鹿でかいというのが、ヤシャがこれを始めて見たときの印象だった。それを彩る四柱六世の陣様式は六つの階層に分けられた世界とそれを支える四本の柱を示し、中央の方錐は階層を繋ぐ階段の役割を担っている。
四つの視線がしばらくの間この馬鹿馬鹿しい大きさの眺めて、
「時にヤシャ。あの検体たちはもう用済みですが、息絶える前に処置を施し降霊の追加実験材料としてもよろしいでしょうか?」
「妙なことを聞く。あれはお前の所に落ちて来たものだ。拾ったお前が何をしようが俺の知ったこっちゃない」
「そうですか、では」
軽く会釈して立ち合がり、メイシスは自室の方に向かっていく。ヤシャはメイシスを見送る間もずっとエルトリアの事を考えていた。あと百年早く生まれていればと思う。剣を執り仕事に向かうたびにずっと心の片隅でそんなことを考えていた。
あと百年早く生まれれば。
泰平の世でも剣を執ることを選んだ自分だ。百年前の乱世でも剣を持って戦場に臨んだであろうことは間違いない。そうすればエルトリアのすぐそばで戦えた。エルトリア、となんとももどかしい一種の讃嘆を込めてヤシャは師匠の名前を呟く。あの剣術を創りだしたエルトリアは本当に天才だと思う。二本の刀を使って戦うから二刀なのではない、切っ先を二の字の如く並べて使うから二刀であると、かの天才は謳ったらしい。らしいというのは酒の席で酔っ払った爺がふと溢した話だから一応の懐疑形にしただけであり、おそらく本当の話だろうとヤシャは信じている。
二は一の分割、東洋学でいうところの陰陽、魔術理論で言うところの正負の整った完璧な調和を示す。従って二刀を持つことが剣の正道であり、陰と陽の交合であるその姿は完成された一つの世界で、これを極めたのなら、その他の不完全な剣技では破ることは出来ない。
二刀を使う彼を邪道と、忌避する者もいる。初代エルトリアがそうしたように、ヤシャは彼を非難した者全てと戦ってこれを破って来た。そのたびに胸に去来するのは憤懣の欠落した激しい疑問だ。彼らは、もし二刀がこの世に広まっていたなら、一つの剣で戦うことを邪道と罵ったのではないか?
「…………」
メイシスが消えてから、相当な時が経過していた。
祭壇を見上げ、ヤシャは墓から持ちだした剣王の遺剣を手に取った。収められた鞘でさえ古めかしいその剣は、今は昔に存在したウォンコロットというドアーフが打ち上げた四十八の名剣の数少ない現存する一振りで、剣士はおろか鍛冶師でも咽喉から手が出るほど貴重な代物だ。
柄の角度が僅かに下を向くだけで、いとも容易く鞘走る様は長年使い込まれたというだけではないだろう。すぐに抜けた方が都合がいい状況があったのだろうことは想像に難くない。そうでなければ、とっくに摩耗した部分を取り換えていたはずである。
迷宮で傷ついたエルトリアの依代はその修復に三日を必要とした。
たかが三日、と人は言う。されど三日だとヤシャは思う。
裏稼業の人間であるヤシャは一つ所に留まるを良しとしない。殺された側の恨みはともかく、殺しを依頼した側からも口封じに狙われる。今回の件にしたって王国の将軍の息子を殺したとなれば、それはもう蜂の巣を突くような大騒ぎが起こるわけで、だからこそヤシャは仕事が終わり次第すぐにエルトリアに会うべく準備を進めていた。依代のサイズは文献と噂話から割り出した値を可能な限り正確に再現し、手癖の馴染んだ遺品を徐々に与えることで肉体に魂の形を時間と共に馴染ませた。例えば斑鋼の大剣は、その素性を辿れば東の砂漠に伝わる儀礼剣で、質量とバランスの関係上これを到底人の膂力で扱うことは不可能な一品だが、当時商人の小間使いとしてその地に渡ったエルトリアはこれを手に砂漠に住むコカトリスを討伐し、以後剣の道を歩み始めたという。
齢十五の頃だったそうだ。
そしてつい先日、この依代は大剣をすて二刀を持ち、試みに手合せしたところ、ヤシャと全くの互角だったのだから頃合いだろう。
エルトリアの剣を抜く。魔剣を両手で握り、捧げるように構え持つ。拝剣始生の形で始めるこの一刀型は爺が弟子たちを教える時に良く好んだ型だ。数ある型の中で、まずこれを選んだのはヤシャなりに師匠達への敬意を表したつもりだった。
剣王の蘇生には、まずエルトリアを降ろさねばならない。故人を偲び思いを過去に再現する。そのために、ヤシャはエルトリア流の型を剣舞を行う。エルトリアの魂、―――剣王と呼ばれた剣士の魂を導く篝火となるために。
型の起動――――――意識の外から魔剣が掌中でうねった。引きずられるようにしてヤシャは袈裟斬りを防御し、一歩出て敵の首を刈る。狂おしいほどの歓喜がヤシャの背筋を奔り抜けて頭頂から抜けた。体に馴染んだ剣技のリズムも、この魔剣を手にするとまるで違う味がする。ヤシャの剣舞はさながらエルトリア手ずからの稽古に等しかった。頭と剣の間を膨大な情報が循環する。常の思考はすでに百歩ほど遅れて脱落し、剣士として磨かれた感性が魔剣の要求とヤシャのリズムの「丁度いい」を選ぶ。
仮想の剣戟が続く。すでにヤシャはここまで百の型を繰り返していた。そのどれもが秒を百に等分した気迫の中で行われたに違いなく、滴る汗は道着を濡れ雑巾にかえ、目が霞み、足元も覚束ない。だが、まだ先がある。おもむろに左手一本で剣を抜き払うと、ヤシャは右手で腰の愛剣を抜き放った。
二刀。
剣王が二刀を使い始めたのは三十の手前で、何を思ったのか無双と名高いその大剣を山奥の修道院に預け以後、彼は二刀遣いとして各地の戦場を放浪する日々を送った。彼が大剣を捨てたのは一説によると修道院にいた盲目の尼僧に遣う剣をことごとく避けられ、改心したためであるという。
なんてことはない。これはただの伝説だ。だが、これも恐らく信じるに値することだ。ヤシャは剣王に伝わる逸話の殆どを信じている。剣王が水の上を歩いたというならばきっと歩いたのだろうし、単騎で城を落としたというならそれはきっと本当のことなのだろう。寧ろ、同門でヤシャと並べなかったものは信じていなかったからだとさえ思う。エルトリア流の秘める可能性の力をどこかで諦めていたのだろう。
だからこそ、この邂逅には意味があるとヤシャは考えていた。少し前、ほんの半年ほど前にヤシャは剣技の進歩に行き詰りを感じていた。どうやらこれまでの経験値を足してもなお飛躍出来ぬほどの万丈の谷が、底暗く行く先を塞いでいる。そこから今日までは地獄だった。走れども走れども加速はなく、いっそ減速し、後退しているのかとさえ思った。
それも今日で終わるはずだ。俺は頂点に会いに行く。………ふと、二刀の運動が極致に達した時ヤシャの脳裏に疑念が浮かぶ。
なあ、霧崎、お前はどうなんだ?何のために剣を取ったんだ?
「やってますねえ……」
いつの間にか祭壇のそばに現れたメイシスは、ヤシャの様子に関心したように声を上げ、右手をかざし魔力を透す準備を終える。そのとき彼は自分の右手がわずかに震えていることに気がついた。もはや、数千と繰り返してきた魔力の放出という行為にかくも緊張したのは一体いつ以来のことだろうか。
呼気に疑念は霧散し、ヤシャはまた独り剣舞を捧げる。月の霊気を受け双剣は蒼く、方錐の祭壇に影を落とし、横たわる剣王の依代は今は魂を抜かれ動かず、虚空に残る輝線の残滓は筆跡さながらに奇妙な文字を円状に羅列する。記録が過去の残滓というならこの型が剣王の残した最大の遺物だ。ついに方錐を廻るヤシャの膝が崩れ落ちたとき、そこには継ぎ目のない青で魔術的な意味を持った陣が残されていた。
「さあ……来たれ!いざ煉獄よ、この世に顕現せよ!剣の王の名と、古き記しを頼りに門の彼方より出でよ!」
青白く闇を照らすその陣の役割は門だ。設計図を描いたのはメイシスで、骨組みをヤシャがつくり、そして再びメイシスが積み上げる。
ではそれを開けるのは?答えは向こうからやってくた。
詠唱の終わりと同時に、門が外側から強く押された。祭壇が壁紙のように剥かれ、縦に真っ二つに裂ける。そして今度は横に。呼吸をする暇もなく一瞬でそれは現れた。
透明でありながら、荒ぶる静かな力の奔流。根源たる0のエネルギー。生命が動いているその源の力の召還。それ自体には思考も経験もない。ヤシャに説明した剣王の幽霊とも違う存在。
ゴウレムというものがこの都市には存在する。魔術の力で自律的に動く新しい道具だ。なぜゴウレムはゴウレム足りえるのか?死霊術士なりにメイシスは「生きている」という状態について考えている。ゴウレムという無機物を動かすのもまた死霊術の領分に関わってきている。
メイシスの結論を言えば、人間というのはゴーレムと同じだ。ただちょいとばかし複雑なことが出来るだけで、その本質はなんら変わることはない。それが石で出来ているかそれともより繊細なもので作られているかというだけの違いで……、入力と出力を動作させるエネルギーの流入。入出力の働きを保とうとする力を失う。
魔力が色を持つ。空中の魔法陣を駆け抜けるたびに、その性質を分化させ、終点である寄り代のわずか上空に透き通った剣王の体が産み落とされる。これが剣王の幽霊だ。幽霊とは思いの産物だ。故にこのエルトリアの剣の技が、パターンの入力モデルを作り出したヤシャを超えることはないだろう。
お前、本当に馬鹿なやつだよ。
足元に倒れ付す剣士を哀れみながら、メイシスは最後の一言を告げた。
「生まれよ」
そいつは生まれたときから怪物だった。だから、斬れるか、斬れないかの判断のみしかないそいつは、まず一番近くのやつで、最初の判断が正しいかどうか試そうとした。
結果からいうと上手く斬れなかった/それなりに斬れた。
もう一度、生まれたての赤ん坊が四つん這いで大地を確かめるように、剣王は技を試す。標的はもう一人の、起き上がってこちらを眺める俺だ。
俺?
唐突に浮かび上がった言葉にそいつはふと首を傾げた。俺は分かちがたいものだ。この世に俺を俺と称するのは俺だけのはずだ。俺とは何だ?向こうにいるあいつが俺だ。俺とは誰だ?俺とはヤシャだ。ああそうか、思い出した。
俺は、ひれ伏し剣を抱くそいつを眺める。期待に満ちた目で、そいつは俺を見て、その瞬間俺は眩暈を覚えて、そう、そうだ。
俺は剣王を召還しようとしたのだな。
生れ落ちた俺はまったく持って俺でしかないのだけれど、しかし目の前に傅く俺とは決定的に違うと確信した。
「ヤシャ」
「はい……」
意外なほど神妙な声で俺は答える。俺はそのとき剣王を演ずるべきかいなかわずかに躊躇った。なぜって、俺は剣王の到来を期待していたし、俺はそんな俺を救うために剣王を呼ぼうとしたのだから。けれども、
「ヤシャ。お前は俺だ」
「は?」
「お前は俺でしかない」
なおも疑問の色を隠さない俺に、俺は剣で斬りつけた。浮歩して抜刀しざまに、右腰から左肩へ抜ける一刀を送る。エルトリア流に入門して1年で習う、俺の血肉と化した技。だから向き合った俺の反応はまた完璧だった。こちらの抜きつけと対称を成す同形の抜刀で剣の側面にかち合せて斬りをいなし、続く返しの突きに見せかけた転身反斬に身を沈めて足斬りを繰り出す。決められた攻防の手順を閉める不可避の一手。こればかりは知らなければ、まずかわせない。そういう一手を足で踏みつけ、俺は後ろに跳んで間合いを切った。
「どうだ?」
これでわかるだろうと思った。お前が俺でしかないなら、お前は俺だということを理解できるだろうとしか思いつけなかった。
「基本が全てと?」
違う。
「俺はお前でしかない」
今度は二刀を使う。なおも遠慮して先手を譲る俺に、俺は一切の手加減なしに秘奥の形を叩きこんだ。視界のはしで火花が散る。矢継ぎ早に二つの視界で刃が交差した。型を外れた予想外の一手もその全てが、決められた手順をたどる輪舞のように二人の間で吸収されてしまう。戦技というのは戦闘における一種の思考パターンといってもいい。まったく同じ剣技を運動神経に刻んだ俺たちは、思いつく限りの予想外も全て予想の内になる。だとしたら、血の一滴まで絞りつくしても、この相克の果てに何を残すというのだろう。
剣技を交えながら俺はそのことのみを思う。水に水を足しても水になるだけで、重ねられる剣技は同じ規則の繰り返しで、閉じ込められた檻のなかでずぶずぶと超え太っていくような不快な気分のみが募っていく。
この技も、この技も、この技も。
全て既知のものだ。飛び込んでくる拍子も、切り替える間合いも、予想外になるだろう角度も、目を瞑ってたって把握できる。
お前は俺だ。
開口一番に告げられた言葉の意味をヤシャは次第に理解し兼ねていた。こいつは俺ではない。使う剣技は同種だけれどもその質が違う。ヤシャなら早く剣を使うところを一拍遅れで切り出し、届かぬはずの遠間から飛び込んでくる。こいつは俺じゃない。遥かに早く、遥かに上手く、遥かに重い。
それもそうだろう。エルトリア流剣術は開祖たる剣王がその身で体現するときに最も効果を発揮する剣技として編み出されたのだから。剣王と俺は同じ人間という種に属するけれども、細部においては結構違う。
戦い始めてすぐに、手加減されているとわかった。
相手の剣技は、なにから何まで型どおり。だというの効果的な反撃ができないのは、ヤシャがいいように踊らされている証拠だった。
何度も何度も、俺は向かい会った俺を意識の上で斬殺した。向かい合う俺は弱かった。果たしてこいつは本当に俺なのかと、疑問が憎悪に似た熱を帯び始める。こいつは本当に「俺」足りえているのか?まずその弱さが許せない、と俺は激しく切り込む。見切りの精度を上げて、交じり合う剣の間を一方的に詰めていく。
こいつは「俺」足りえるのか?
疑問が頭のなかで蛆虫のように這い回る。口から熱気を吐き出し、さらに一合。横薙ぎの左剣を蟹鋏みに叩き落して、威圧する。
こいつが「俺」である必要性がどこにある?
突きだ。動く前に見切った。
一歩踏み込んで二刀で交差させるようにして切り開く。
右剣は右に。左剣は左に。「俺」の刺突は右剣に阻まれ、俺の左手に持った剣が、「俺」の右腕を斬り飛ばした。
「こいつは違う」右腕を失いバランスを崩して倒れるヤシャの体を踏みつけ大地に縫いとめる。
俺が「ヤシャ」だ。唯一残る強い剣士こそが……俺こそが「ヤシャ」だ。




