魔剣3
すごい久しぶりに投稿画面を見ました。
「で、……その魔剣は人なのか?それとも剣なのか?」
焚火の火がさっきよりも盛っている。得体の知れない臭気に鼻を顰めつつ霧崎はスープを飲む。
「剣だ。ただしそこいらの剣とは違う。剣王エルトリアがその生涯にわたって使い続けた剣―――エルトリアの手足そのもので、奴の斬り癖からなにから全てが刻まれた血染めの刃だ」
仏頂面はそこでなんとも言えない表情を顔に浮かべた。
「その剣は魔性の剣だった。何というか……信じられないかもしれないのだが、持ったものを狂わせるというのかな?持ち主に超人的な剣技を与える代わりに、無性に人斬りたくなってしまう。いわばエルトリアの凶暴な部分がそのまま具現化したといってもいい」
仏頂面の説明をありうる、と霧崎は考える。霧崎が渡された「竜の爪」は師匠が代々使ってきた得物でもある。初めて鹿革のグリップを握った時に、得物が霧崎に動きを要求する様な、あるいは霧崎が師匠から習った動きに体を導くような奇妙な感覚を覚えた。それは恐らく柄の擦り減り具合や、欠けた刃を研ぐことによって変化した重心が関係しているのだろう。
だから仏頂面のいうことは十分にありうると霧崎は信じる。
「オそらく、ナノだが。その剣を握っテ狂ったのは大体がそれナりの使イ手なんじゃないか?」
意外そうな眼で仏頂面は霧崎を眺めた。
「生兵法は大怪我の基っテね、俺が一番斬りやすイのは、そコそこ場数を踏ンだ奴なんだ」
「そうだな、ただ今回の場合は持ち主が持ち主だ」
「心技至らねば、持ち主を破滅させる。魔剣の王の遺した剣か」
エルトリアという飛び抜けた魔剣からすれば大抵の奴がそこそこの使い手という枠に収まってしまう。そのありようはまるで神の剣だ。神の理を持った人は力に溺れて自ら破滅する。そんな古い神話の物語にでも出てきそうな剣だ。
「私は父のものだった剣を管理するためにこの迷宮に潜っっていた。今日は違う。かつてのエルトリア流剣術師範の父を狂わせた剣を破壊するために潜っている」
苦いものを吐き捨てるように仏頂面は顔を歪める。仏頂面の視線は既にここにはなく、取り返しのつかない過去をどこから話そうかと眺めていた。それはきっと、取り付く島もないほどおぞましい記憶に違いない。
「ふうん、お父さんは剣士だっタのか?」
「いや。つまり、何というか……」
仏頂面が口を噤む。焚火の向こうでゴブリン顔の剣士がごくりと唾を飲み込んだ。つまり、と仏頂面も唾を飲む。仏頂面は迷っていた。あまりにも現実味のない筋書きの物語を、首から上の筋肉が拒んでいるようだった。
それでも話さなければならない。
「もう一〇年近く前の話だ……」
待てよ、と霧崎は内心首を傾げる。初代エルトリアは三〇〇年前の人物だったはずで、それに何かが引っ掛かる。だが、あえて口には出さなかった。話の流れを遮らないことのほうが重要だと考えたからだ。
「私の父はエルトリア流の師範代だった。……強かったよ。人としても尊敬できる父親だったし、実際、家族である私以外の者から見てもそうだったのだろう。エルトリア流五つの流派を束ねる総師範を任されていた」
「…………」
遠くに目をやる仏頂面の後ろで影が灰色の踊っていた。灰色の壁にうす暗い人の影が揺らめく炎に合わせて踊っていた。
「それは後継者争いのちょっとした諍いが原因だったのだと思う。夜中に古参の師範代と口論になって……それは斬り合いにまで発展したんだ。結果的に父は自害することになったけれど、……こんなこと言うと不思議に思かもしれないけど、私は別にその師範代のことを恨めしいと思い続けてはいないよ」
「……」
「彼は私達姉弟の面倒を見てくれた。まあ、剣術流派で斬り合いになるという事例も別に珍しいことではないから。それで結局、彼は彼でエルトリアを継いだものの、首都から離れることになった」
「ああ、そうだ。大分齢をとってしまったが、この街の迷宮に作られた極秘の墓場に、元凶となった剣を封印した……私はそれを管理し続けて来た。五年前に任されてからずっとだ。週一で迷宮に潜ってな。ところが最近になって、それを盗まれてしまったんだ」
「盗まれた……ですか?」
「ああ」
仏頂面はうなずいてどこか他人事のように、薪を火に放り込んだ。
「剣王の石棺とともに私の目の前で強奪された」
仏頂面がローブをはだけると、薄汚れた衣とは対照的な白い腹部とその上に……丸っこい何というか……霧崎は腹を十文字に走る傷をちらっと見て、焚火のそばで足を丸めているゴーレムのほうに目をそらした。
「この身に刻まれた剣戟は……、ヤシャと名乗っていたが間違いなく兄のものだ。あいつは父が死んだ日に家から出て行ってそれっきりだ。だがあれの間合いと拍子だけは決して見間違えたりしない」
そこで仏頂面は顔を綻ばせる。
「信じられないくらい強くなっていたな、あいつは。きっと父上に匹敵するだろう」
ただそれも一瞬の事で、仏頂面はどこか懐かしむような哀しい目で炎を見つめた。もう二度と合うことが出来ないと思っていた兄弟が思いもかけずに街角でぶつかった。片方は役人として、もう一人は盗人として、そんな感じだ。
とにかくと、仏頂面は俯けていた顔を上げて仕切り直す。
「あいつが何を考えているか知らないが……まずは剣王の遺剣を取り戻す。話はそれからだ」
「あたりハついていルのか?」
仏頂面は溜息を吐いて、霧崎の方を見た。無言ということはついていない、あるいは大雑把についていると言ったところだろうか。ただ、最悪の場合はこいつの前でこいつの弟を斬る、そんな事態も覚悟しとかなければならないだろう。
ここまで大掛かりな事を仕出かすとは、ヤシャは何を企んでいる?恨みか、それともまるで違う何かなのか。それにどうして爺さんは俺を斬ろうとしたんだ、わざわざ二刀を使ってまでして。
まるで。
まるでヤシャとの繋がりを自ら示すかのように……?
いや、その判断は早計だと霧崎は首を横に振る。
どこか根本的なところで取り違えている気がした。それに考えるのはもう少し情報がそろってからがいい。俺は馬鹿なのだ。下手に詮索しないのが吉だろう。
「あと暫くで、ここを立つ。装備はお前の寝床の下だからよく確かめておけ」
再び剣の事を考えよう。体が理解したことを言葉にする必要がある。斬る、という動作を二つに構成要因に分割する。即ち、右手の押しと、左手の引きだ。動作は大上段から相手を正中線にそって唐竹割りにする動きだ。太刀が降りる。右手が降りる。左手も降りる。正中線を違うことなく真っ直ぐに降りて、刃は腰の最下の高さで刃を大地に水平にして停止まる。
ごそごそと霧崎は寝台の下から取り出した太刀を構える。
この時体はやや半身、右手右足が前に、左手左足が後ろに、そして正中線を敵に向ける。仮想敵の正中線と自らの正中線を結ぶ力線上を真っ直ぐに刃を振り下ろす。ここで半身であることが意味を持つ。
右手と左手の動きに速度の差が出来るからだ。その左右の速度差によって、斬りは滑らかに真っ直ぐに進むことが出来る。
「あ、」
二刀ナイフ術。
二刀で出来ること、出来ないこと。それは防御だろう。一刀でこなさなければいけない作業を二つに分割することが出来る。受けと攻めを同時に行うことが出来る。
……最速の太刀が必要だ。
……最短の太刀が必要だ。
初手に最大威力の斬撃を行う。アドラシアに指摘された霧崎の剣技の特徴である。そもそも霧崎の剣には確たる型がない。だがそれはパターンに囚われず自由自在に動けるということではなかった。むしろ逆だ。型を持たないということはそのまま動きの幅の狭さを現わしている。対して正当な剣術の流れを受け継ぐヤシャはいったい幾つのパターンを持っているのだろう。制限された動線の中でどれだけ自由自在に動けるのだろうか。
違う、比べることに意味はない。ざわつく胸の内を静め、霧崎は息を吐く。関節に沿って分解し、勁によって接合され、気によって稼働する。前腕、二の腕、肩、肩甲骨、脊椎、仙骨、股関節、腿、脛、足。一つ一つを宙に浮かべ、丹念に重さを量り、屈筋と伸筋の速度を図る。人体を――――――簡潔に肩から先の腕を鞭のようなものだと仮定しよう。そうした場合、鞭ならば力の発生と伝達点が必要になる。先端である指の先が最高速ならば、動きの根元である腕の付け根付近は最低速になるだろう。つまりそれは、見切ることが可能な遅い動きだ。
違う。霧崎の頭の頭の中でゴブリン師匠とトーレルが、てんでバラバラに動き始めた。たとえばゴブリン師匠はゆっくり動いて霧崎の攻撃を全部かわして見せた。たとえばトーレルは何気なく手を動かして空中の蝿を掴みとった。
もっとも速い生き物は速さに頼らない。なぜなら……師匠の言葉をもう何度目かになるそれを霧崎は反芻する。速さに頼るのは初動が遅いからだ。初動の遅れを誤魔化すために速く動こうとする。しかし、ここに問題が発生する。初動の遅れを取り戻すために速く動く。すると、まず一の太刀を防いでも、二の太刀には絶対に間に合わない。とくに体格で劣る霧崎がゴブリンと組み手をするとその差は歴然で、一撃必殺の拳や蹴りに反吐を吐いたことは苦い思い出だ。それゆえに霧崎はまず防御から憶えていった、というのは余談である。
ここまでは分かるし、多分出来ている。
求めるは、ヤシャの技の前提を打ち崩す最速。
求めるは、ヤシャの技の前提を打ち崩す最短。
受けの太刀に斬り込み、弾き、砕く落雷にも似た一閃。
それを兼ね備えた理論上の太刀。あと少しで、それはきっと霧崎九郎だけの剣になるだろう。
少し思案が長くなってしまったように感じた霧崎は、目を開きベッドの下に手を伸ばした。
装備を改める。竜の爪は問題ない。だが太刀の方はダメだ。分解して組立直そうとしたものの、柄の木が乾燥により変形したのか茎が上手く収まらなかった。仕方ないので細く長く切った布をぐるぐるにきつく巻いて柄の代わりにする。
「まア、上等上等」
文句言ったところであるものでやるしかないんだし、と霧崎は気持ちを入れ替える。少なくとも入れ替えられるように努める。
それよりも早く太刀を振るわねばならない。腹の底から沸々と湧き上がる歓喜にも似た衝動が全身の毛穴から漏れ出て行く。
「行くぞ。準備は出来たか?」
外でセレン呼ぶ声がする。咄嗟に霧崎は構想上の太刀を試したくなり、声を上げた。
「出来た、でも行く前に一つだけ試したいことがある」
「なんだよ」
霧崎の申し出に、セレンは首を傾げた。
「俺の太刀を試したい。ヤシャを下すための太刀だ。今それを考えた」
ああ、と納得したかのように苦笑いしながら女は頷いた。
「あれだ……魔剣オロチホネダチ」
言ってセレンは再度笑みを浮かべる。なにが可笑しいというのだろう。否、可笑しいのだろう。こんな小僧が挑んで来ること自体が、それだけで笑いを誘うのかもしれない。ならば、その笑み直ぐに消してやろう。
「いいぜ、闘技場で立ち会ったあの日から、からどんだけ成長したか見せてみろ」
気軽に女は応じた。気負いがなく、それゆえに力みもない。いつも通りの立ち姿で顔の前に差し出した右手をちょいちょいと引いて霧崎を誘う。
「そうだな、……本気の二歩手前くらいで丁度いいか。ちょっと待っててくれ!」
仏頂面が口を開く前に、セレンがその意を遮って戦いの構えを取った。腰を軽く落として、突き出した左手刀が正中線を覆う。そして右手は開掌まま腹部をカバーする。体重は右の後足に載せた後屈の形。
霧崎は太刀を上段に構えた。柄頭は地面に対して垂直で切っ先は天を突く、現時点で霧崎九郎の行える最速最短の斬り下ろしの構え。
ゴーレムのヘッドライトが二人の影を対称に照らし出す。攻撃が届くには遠い、目を離すには近すぎる。必殺の間合いの外に立ちながら、分厚い呼吸の音が霧崎の体内で反響していた。
どうくる?どう動く?
敵の僅かな予備動作も見逃さんと霧崎は五感を凝らす。敵の正中線、そこから目を離さなければ攻撃の予備動作を取り逃がすことはない。
「ぱんっ」
不意に、軽い声と共にセレンの左手人差し指が右を向く。静寂の中、あまりにもあからさま指の動きは霧崎の注意を奪い、
「ッフ!!」
そこに生じた時間は、セレンにとって十分すぎる踏み込みの間だった。振り下ろした切っ先を乗り越えてセレンの拳がやってくる。
右、左、右。鼻、咽喉、鳩尾。衝撃がじわじわと背骨にまで貫通する。連撃は霧崎の驚愕など顧みず、ただひたすらに刻まれ続ける。右脇、咽喉、膝、腹、頬……。
反撃しようと霧崎が筋肉を動かすたびに、予想とはセレンの打撃は半歩先を打つ。ダメだダメだ。目で追うな遅れる、全身を目にしろ、耳を研ぎ澄ませ。
感ずるべきはそう――――――、
雨霰と自らを叩く打撃は最早痛みを失って、むしろ心地良くさえある。拳から打ち込まれる勁力は霧崎本人さえあずかり知らぬ歪みを親切に叩き直してくれているかのようだ。
感ずるべきは、首筋を焦がす冷気の温度。どこまでも続く蒼い世界。
初撃を外された。重ねた連打は僅かに打撃点を殺されて、芯に浸透していない。
不味い、
咄嗟の判断でセレンは今まさに繰り出そうとした右手を頭上に掲げる。衝突。直後、落下する刃が前腕の鱗と火花を散らした。続く返しの刃はセレンの反撃よりなお迅い。軌道を遮られ、下に流れた切っ先が肉食魚の獰猛さで跳ね上がる。
(だが甘い……)
ここで保険に残しておいた左手が生きた。左掌で霧崎の刃を止めなら半歩退いてセレンは一度間合いを離す。これでセレンの間合いだ。続けて霧崎が斬りかかろうものなら、こんどこそセレンの拳が霧崎の真芯を捉えるだろう。返しの一刀を封じられた霧崎も踏み込まずそこで間合いを離した。
目を細めてセレンは剣士を睨みつける。
「入ったか」
向かいあう剣士から甘さが消えていた。そうだ、とセレンは霧崎を見据える。そんな付け焼刃の技でどうにかなるほど、剣は甘いものではないだろう。そんな余分なものは捨ててこい。
おそらく今の霧崎は本気二歩手前の拳を見切る。ならばもう半歩、段階を上げるのみ。セレンの闘気に呼応するように霧崎の剣が持ち上がる。肩から袈裟懸けに相手の防御など考えず、鎧ごと断ち切る構え。おそらくここがオロチホネダチだとセレンは直感した。あの構えが、霧崎九郎の剣の根源だ。魔の山と呼ばれる大型モンスターの跋扈する地域でこの剣士が身に付けた先手必勝の斬撃は、下手をすればセレンの竜鱗さえ断ち切ってしまうかもしれない。
向かいあう二人が加速する。否、二人の意識の加速を体が再現する。斬撃と拳打が迷宮に火花を散らして、煌々と絡みあう。
再び蒼天。蒼い世界のただ中にあって霧崎の感覚器は確かにセレンの拳が見切っていた。崩し崩され、刀と拳が、位を取り合う。力の相克を繰り返す。
そして一合ごとに深みを増す世界の蒼はいつしか、霧崎の視界を完全に閉ざしていく。深く、濃い朝霧のような蒼。愛刀の刀身にもにた黒々とした蒼。その闇の中を綺羅星の如く走り抜ける一条の閃光。太陽の如く煌めく球体から放たれた輝線がセレンの攻撃を報せる。
雨霰と続く超打撃を捌き続けてなお、霧崎は歯噛みする。この拮抗状態はいずれ、必ず破綻を迎える。今だからわかるのだ。セレンの本気はもっと深い場所にある。この覚醒とも言うべき状態は所詮、脳内物質が見せる一時の夢だ。根本的な功の差はどうしたって覆しえない。
モーションの小さな右の拳打。正眼の構えで弾いて、―――――そこにより深い踏み込みの左拳が飛び込んでくる。
返しの刃が踏み込めない。
セレンの二の矢は速すぎる。受けて、斬り返すの二動作では長大な太刀を操る霧崎よりも持って生まれた拳で戦うセレンの踏み込みの方がなお速い。
その手は剣。その手は盾。攻と防を同時に行い得る対の利手。
徐々に徐々に、霧崎の足が退く。
刀の長さが、刀の重さが、ただひたすらに煩わしかった。これが余計な慣性を生み、返しの刃を遅くする。けれどもが相反するように刀の長さがセレンの二の矢を阻んでいる。
ならばどうする?
解答その一。距離を取って、セレンの予測を超える先の斬撃で斬り倒す。駄目だ、格下相手には有効だろうが、同等以上の相手には見切られて後の先を奪われる。
解答その二。太刀を放り捨て、ナイフ二刀流で敵の速度に対抗する。それも下策だ。
諸手で一刀を保持するからこそ、剣先に粘りが生まれセレンの重い打撃を凌げるのだ。それに加えてこの長さが神速に対抗しうる利点でもある。
解答その三は…………、
重ねられる手法に追い詰められるまま、霧崎の太刀は燦然と乱舞を続ける。
セレンの想像を超えて、霧崎の剣は運動を続けていた。重ねられる手法は苛烈を極め、もはや実戦さながらの威力を備え始めている。これ以上は危険だ、相手の命に手が届いてしまう。そうわかっていてもセレンは何故か拳を止める気にはならなかった。
予感がするのだ。酷く不確かで、蓋を開けてみればまるっきり勘違いかもしれない。それでも何か期待せずにはいられない。
さながら朝日を待つ蕾のごとく。さながら卵の殻を内側から突く雛鳥がごとく。ほんのささいな刺激で、取り返しがつかないほど何かがどうにかなってしまいそうな予感がセレンの拳を押し続ける。
或は、或はお前なら!
この時代の強敵になってくれるのではないか?
機先を制しセレンは間合いを詰める。同時に半歩霧崎が下がりつつあるがそこはまだセレンの間合いだ。敵の顔に向けて左拳が迸る。ようやく動き出した太刀がすんでのところでセレンの左拳を払い、即座に内旋して、開掌へと転じた左手に粘りをもたせ刀身に纏わりつかせた。左手は雲を掻き分ける竜肢が如く、右手は雲海よりいづる竜頭が如し。だが拳はまだ放たない。
セレンの左腕が感知する太刀は、まったく見事としか言いようがない自然の呼吸で力の拮抗を維持し続け、その隙の本体は斜めに進退して右拳の打撃線から逃れた。左手に捕えられた太刀は間合いが斬れるぎりぎりまで絡みあったままで、もし僅かにでも太刀が離れようものならば瞬間、再度の踏み込みと同時にセレン左手が指剣となって霧崎の目を撃ち抜いていただろう。
離れた間合い。再びセレナが追う。霧崎がそれを迎え撃つ。
二人が交差していた。その一合はあまりに早すぎて、仏頂面には観えなかった。たん、と足音が迷宮中に響き渡り、絡みあったまま二人が停止している。相打ちだ。セレンの拳は霧崎の鳩尾を貫いたであろう位置で止まり、霧崎の剣はセレンの首筋にめり込んでいる。間違いではなかった。あのまま二人が衝突していれば、仏頂面の想像通りになっていたに違いない。
仏頂面が自分の予測が外れていたことに気付いたのは、二人が左右に分かれた姿を見てからだった。
「それが、お前の魔剣か。霧崎!」
「違ウ、まダ俺のもノになっちゃいナい……」
遠く彼方からの問いに霧崎は唸る。そうだ、今、確かに感じは掴んだ。
「ならばどうする?」
暗闇の向こうで燦然と光を放つそれが霧崎に問う。決まっている、そんなことは聞かれる前に答えられる。
「今一度、………仕ル!」
繰り返すしかないと分かっているのだから。
返答と同時に、時が停止した。
幾重にも残像を引きながらセレンが懐に飛び込んでくる。一歩。一拳。僅か一合で先程までの撃ち合いが築き上げた拮抗は嘘のように破綻して、もう今しか残っていない。必ず左拳からだ。敵は左半身で踏み込んできた。右から出ようとするならば体を捻る必要がある。そこに生ずる毛ほどの隙を霧崎の太刀は逃さない。これまでと同様に敵はまず左手から入ってくる。
だから左手から打たせることにした。
受けは間に合わない。この踏み込みでは、次で殺られる。音の届かぬ世界の果てで、霧崎は直観した。同時に、この状況を打破する方法が分かってしまう。分かってしまっていた。
ただ真っ直ぐに、相手の正中線に斬り込む。斬り下ろす。斬り抜ける。
それが霧崎九郎の魔剣。
例えば松の老木ほどもある蛇の首を想定しよう。これを剣にて両断するには如何なる手段をもってすればいいのか?山の中で練り上げられた霧崎の剣の本質とはそう言うものだ。人を斬るためには大雑把で、過剰で、有り余る。歴史は浅く技法も足らぬ。ただ極限まで高められた功が彼の一刀には込められている。死そのものの具現と化した拳打に、あの時の大蛇の頭がぴたりと重なった。
捨て身――――我が身は蠅。剣を隠す為の餌に過ぎない。先を取られたのではない。先に出させたのだ。そう考えたならば、この状況は逆転する。
無限の瞬発に突き動かされ霧崎はただ剣を撃ち下ろした。向かい合うセレンの正中線へと。拳の遥か向こうへと。
―――――そう。迫りくる拳、この拳の先にはセレンの体があるのだから。
人を殺すには過剰に過ぎる、怪物殺しの斬撃。とはいえ、それだけならばセレンの見切りで如何様にでも遇することが出来る。闇雲に放たれるだけならば、所詮速さと威力を備えただけの、格下にしか通じないものだ。
だが、もしその斬撃が攻撃の最中に放たれたならば?
通常、外部からの加撃に対し人は必ず我が身を守ろうとする。セレンの拳が先をとったならば、相手は防ぐか受け流す。それだけの圧力がこの拳には備わっている。
だが、と霧崎はそこで発想を変えた。防ぐが故にこちらは攻撃に移れない。敵の二の矢が早すぎるからだ。およそ左右の手が完璧な連動を見せ、その隙を互いに補い合う場合、一刀を以ってこれを打ち破るのは難しい。戦は数だ。呼吸の合った二人の連携は、力量に勝る一人を殺す。これを崩すには一対一の状況を作り上げることだ。一刀を受けての斬り返しでは遅い。そこに連携を許すことになる。だが撃ち合う剣と拳は一対一だ。ここに崩しの入る余地が生じる。
ならば防ぎながら攻撃すればいい、と霧崎は考えた。まず敵の撃ちたいところに撃たせ、そこに大蛇の首を落とすほどの斬撃を以ってして、敵の攻撃を弾き飛ばし斬り進めばいいのだと。
二人の正中線の間を目には見えない力線が結んでいる。力線上を征くセレンの豪拳と、同じ力線上を奔る太刀が交錯する。独特の曲線を描く刀身と、それを支える勁力にセレンの拳が打ち負け弾き飛ばされる。首の皮一枚で停止した切っ先を前に、セレナに残された左手は防ぐでもなく、撃つでもなくただ空を彷徨って動かなかった。
「……それがお前の剣なんだな」
凍えた肺を動かして、ようやくセレナは言葉を絞り出す。豪放強靭なる一太刀と精密な見切りによって成り立つ交叉斬撃。
「そうダ」
命懸けの立ち合いに気付けば身体のあちこちが悲鳴を上げている。この剣を飾る言葉は要らない。セレナの声に霧崎は静かに頷いた。
仏頂面は考えていた。
目の前の剣戟をどうすれば、破れるのか。そんな事に必要な情報を見える範囲で見て、出来る限り分析していた。詰まる所、メイド長と霧崎九郎。古龍殺しの拳と、目覚めたばかりの魔剣その二人の内で殺しやすいのはどちらかと言う話だった。
剣王の石棺が眠る六層への階段の前は少し薄暗くて、意外に狭い。脛の半分くらいの高さで積まれた階段の先にきっとあいつが待っているだろう。
それで、と階段を登りながら霧崎はふと思ったことを口にしていた。
「結局どうシてあんたは、俺の稽古なんカに付き合ってくれたンだ?」
前を行くメイド長は少しも振り返らず即答した。
「可能性を見たいと思っただけ。ひょっとしたら私はあの大剣使いとの戦いで死ぬかもしれないからな。最後に見ておきたいものくらい、見るさ」
ああ、と霧崎は腑に落ちた。道理で先程から、何やら寒気が止まらないはずだ。お蔭で、今の自分が絶好調だと分かる。恐怖を覚え、なおかつ前に進むことが出来るのだから。
次はデストロイしたいです。この前もデストロイして、今回もデストロイしてましたけど、次の回もデデデデストローイ。




