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異世界でも強いだけでリア充出来る訳じゃない  作者: 脱力呼吸法
第2章 赤の迷宮と骸骨達の騒乱
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天運

 やってしまった。

 暗い雨が霧崎の頬を打つ。天叩く雷鳴はいよいよ激しくなり、強風が大地を嘗める。庭の中央には見知った老人の死体が倒れ伏していた。

 血の池もかくやいわんばかりの惨状。その中心はエルトリア老だった。

「くそったレ……」

 冷え切った剣柄の温度はきっと俺の血液の温度だ。狂ってやがる。人一人切ったってのに心に僅かばかりの痛みも起こりやしない。むしろ、一つの作品を仕上げきったあとのような心地のよい脱力さえ感じている。

 雨水が涙のように切先から零れ落ちる。

 血液を拭って納刀。まるでいつも通りだ。

「化け物め……」

 自嘲気味に霧崎は吐き捨てた。

「そうさ、」

 思いがけない返答と同時、豪雨すら掻き消して伝播した特大の悪寒になる振り構わず前転する。背中に灼熱。追撃に備えて抜いたナイフを逆手に構えて霧崎は跳ね起きる。その先に、

「お前は化け物だよ。剣を振ることにしか存在の必然性を見い出せぬ血に飢えた獣め」

わかる。霧崎を非難する声の意味するところが、己が身の業とともに分かってしまう。

「ヤシャ……」

 そいつはいつか斬り結んだ相手だった。今しがた斬り捨てた老人と同じく二刀を手に冷ややかな目で霧崎を見下ろしている。雨に打たれて濡れぼそった黒衣は鴉の羽のように黒々とそいつを縁どっていた。

 「く、」

 ナイフを投擲し再び抜刀。今しがた血を拭ったばかりの太刀が、再び雨に晒される。

 無理だ。わかっている。こんな刀は飾りも同然だ。今の自分では勝ち目などあって2割以下。……けれど‼俺はこんなところで死にたくない、この世界で、生きていたいんだ。

「……この世界はオレの、全てだから」

 覚醒した剣鬼のささやかな祈りが泥水に跳ねた。

 本物の死線を前にして、今まさに霧崎九郎という一振りの刃は研ぎ澄まされていく。いつだって最後まで信じられるのは此の手の中の一刀で、それ故に霧崎の居場所はここにしかない。白刃交わり、鮮血が降る破壊の大地。死を前にして全ての虚偽が覆され誰もが等しく虚無へと帰る。

 来るがいい。さあさあさあさあ、さあ!如何なる太刀筋が来ようとも俺はもう怖くない。 

 

 ああ、嫌な感じだ。この感じは知っている。

 死の恐怖を迎え入れた者の特有の圧力。過去切り結んだ数多の高手同様に、目の前の魔剣から強張りが消えた。これでは迂闊な攻めがこちらの死手になりかねない。そんなことを顔色に出さないようにヤシャは心の中で舌打ちした。キリサキ・クロウ―――唐突としか言いようのないタイミングでこの街に表れた無名の魔剣。こいつさえいなければヤシャ達の計画はもっと速く運んでいた。

 トーレルでもなくセレナでもなく、やはりこいつが俺にとっての凶兆らしい。あらゆる任務に必ず付随する不確定要素――――徹底的に取り除いてもなお残る偶然の異物、こいつはまさにそれだ。

 だが、言い換えれば。―――こいつさえ、取り除いてしまえば、



 無言の気迫。降り注ぐ雨の冷気を二人の闘気が跳ねのける。この時、まるで天地が魔剣同士の大一番に魅入られてしまったかのように、轟く雷鳴は静まり返り草木を撫でる豪風はその演奏の手を止めていた。

 そうして停止した天地の狭間を、ただ一人奔放な月の女神が最上段からこの一戦を眺めようと雲を押しのけ現れる。

 向かい合う二人の剣鬼の、もはや身の内に溶け込んだ三振りの刃が、煌々と夜の闇に輝いた。静止した切先は二人の心を映す水面のように一点の曇りもなく、血に濡れるその時を待ち侘びる。ぶつかり合う闘気はさながら鍔迫り合いで、もし一時でも意識が断絶すればその隙間に剣の温度を感じることになるだろう。

 だが、固唾をのんで二人を見守る万象は、しかし、もう一人の鬼がこの庭にいることに気付いていなかった。

 もう一人の鬼―――それは、

 「ガァッ!?」

 熱した鉄を押し当てるような灼熱が、霧崎の右背身を斜めに奔り抜けた。対するヤシャが驚の色を目に浮かべ、霧崎は痛みを覚えるよりも速く振り返って、最小動作のの裏拳で背後を薙ぐ。

 真っ当に振るわれたならば成人男性の体のどこかに直撃するはずの裏拳は、しかし何もない空間を激烈に打ち抜くのみである。

 今度こそ本当に驚いた。

 拳の感触に驚愕を覚えながら霧崎の目はついに鬼を捉える。

 月明かりに照らし出された二人の剣鬼、その陰に潜むもう一人の鬼の小さな顔を納得とともに。

 孫娘、……たしかエルトリア老の。

 子供の身には重すぎる剣を振り抜いた姿勢で、エルトリア老の孫娘は霧崎を増悪の眼差しで射止めていた。

 真夏の夜の決闘はいつの間にか愚かな剣鬼への応報の場へと姿を変えていた。まず月が興醒めしたように黒雲の几帳に身を隠し、ついで雨が降り注ぐ。雷はもう僅かな紫電さえ発することはなかった。ついに天地が霧崎から顔を背け、世界はくらやみと冷気に包まれる。ここに至って、天はとうとう霧崎を見放した。否―――――‼

 いまこそが好機なのだ。

 考えるよりも速く霧崎は駆け出していた。振り返った方角はそのままこの庭に通じるドアのありかへと直線で繋ぐことが出来る。明から暗へと転ずる今、ヤシャの視界は混乱し唯一目標を定めて走る俺が一手先んずる。天は霧崎を見放したりなどしない。いつだって天は見守っている。それをどうこう言うのは人の勝手だ。だから、俺も好きにさせてもらう。

 右手の太刀を触覚代わりに霧崎は暗闇のエルトリア邸を疾駆する。圧迫感に転身して壁を探り、空いた左手の空間に身をねじ込む。

 その先は廊下の突き当りで、暴風に吹き飛ばされた雨戸から街の灯が霧崎に降り注いでいた。

 あの雨戸を広げる。体を小さく旋転させて縦に二振りの斬撃を刻み込む。横に狭い廊下では太刀を斜めに振るうのは難しい。先の二刀は窓の縦枠を延長するように切り下げ、残るは横枠分を皮一枚で繋がった一枚の板切れのみ。

 背後に迫る足音が霧崎の背中を押す。ヤシャが来るまでもう数秒もないだろう、納刀した太刀を鞘ごと引き抜き、刺突。板切れが折れ飛び、ついで突きの勢いに任せて邪魔な太刀を外に放り投げた。

「あバよ――――‼」

 最後に捨て台詞を残して霧崎は外に身を躍らせ、

「ゲッ、」

 その真下は街を横断する水路の本流が轟々とうなりを上げている。普段は平静なそこは急な土砂降りに水気を増し、濁流と化していた。

 

 「信じられん。逃げ切りやがった」

 霧崎のしぶとさに目を細めてヤシャは、足下の濁流に目を向ける。あの濁流に呑まれて命があるとは考えずらい。そうだ、通常ならそうだろう。だが結果として先程までの死地を脱した霧崎の運としぶとさを計算に入れたならどうだ?

 ……よしんば命があったとしよう。だがあの傷だ。奴の最大戦力たる直接的な戦闘力の行使は難しい。確実を期するために追手を付けるべきだ。しかし、

「あの水路は迷宮に通じているな」

 夜の闇を濃くしたような穴が、水路の先で濁流を飲み干していた。    

     

う~ん、あと6話

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