薄暗い坑道で
「おい!おい!大丈夫か!」
まず目を覚ましたのは耳だった。聞き覚えのあるおっさんの声にヤフタレクは頭を振って目を開ける。
そこはほのかに明るい迷宮の通路で、光の反射具合からすると恐らくは赤の迷宮で間違いがないだろう。視界の半分を占める見覚えのあるグレートヘルムはAランク冒険者のシュバルツのものだ。
「……ああ、」
大丈夫だと、グレートヘルムを押しのけながら上体を起こすと、体の節々が悲鳴を上げた。軽量とはいえ、甲冑一式をまとったまま床の上に寝っ転がっていれば、このような目に合うのは当然のことだった。
「おお!起きたか!」
相変わらずの大袈裟な仕草で、我が事のようなシュバルツの歓声がヤフタレクの頭蓋に反響する。
それにしても前後の記憶が定かでない。少しの間どうして自分が迷宮にいるのか考え込んでしまったほどだ。自分専用の運搬ゴーレムも見つからないし一体どうしたものかと、少しだけ途方に暮れて、ふと目の前の瓦礫に気が行ったときにようやく全てを思い出した。
「っ、ユルトたちは!?アステリアはどうした‼」
やばい、やばい、やばい。
思い出した。全部思い出した。
ギルドカードから警告を受け取った後に、迷宮が揺れるほどの衝撃が走り、床の底が抜けて、
「二人ともまだ、見つかっておらん」
「はあっ!?どういうことだよ!説明……」
「落ち着け!こっちもまだ何が起きたのかまるで判ってないんだ。まず、貴公から何があったかを説明しろ」
思わずグレートヘルムに手が伸びかけた手を握り込んだ。怒りとも恐怖ともつかない、何かに対する怯えをを手の平に納めるように。
「探すのが先だろうが!!説明している暇なんて……」
「だから、落ち着け!」
飛び上がりそうになったヤフタレクの肩を金属の籠手に包まれた両手が抑えこむ。
「普段の貴公らしくもない。騒ぎ立てるのは子供でも出来る。まず情報だ。仲間が心配なのも判るが、騒ぐだけでは体力を浪費するだけだ」
金属の向こうから伝わる声が直接にヤフタレクは耳を打つ。
「悪かったよ、」
謝ると、鳩尾につっかえていたしこりが吐き出した息と共に少しだけ抜けていった。
「いけるか?」
大丈夫だと、ヤフタレクはシュバルツに返す。
「……まあ、俺達はこの上の層で探索をしていたんだ」
そうだ、あのとき。
「トラップに運悪く引っ掛かってな。スケルトンを五十匹倒して一息ついたあたりだった」
「それで?」
それで、将軍の護衛の戦闘に巻き込まれないように立ち退き通知が届いて、
「その後、迷宮全体が揺れて。いや、先に横の壁が木っ端微塵に吹き飛んで、その後だ。迷宮全体が揺れて逃げる間もなく床が崩れ落ちたんだ」
「あとは判らないと?」
シュバルツの問いにヤフタレクは顎を上下させて応えた。
「わかった、ありがとう。向こうでスープを温めてるから飲んでくるといい。携帯食だが、普段不味いと言っているもののありがたみが判るぞ」
「それは、多分わかんねーよ」
グレートヘルムの向こうからくく、と忍ばせた笑い声が漏れていた。しょうもなさにヤフタレクの唇も少し緩む。
「不味いスープで目を覚ますさ」
「ふん、調子が戻って来たようだ」
早く行け、とシュバルツの手が振られた。
「ン、」
「ん?」
「んン?」
何でお前がここにいるんだと、互いに目を見開いて確認する。会話の口火を切ったのは霧崎だった。
「はは、腕折られちまったよ。カッコ悪リい」
包帯にぐるぐる巻きに包まれた右腕を振り回し、南の砂漠に出現するという包帯男に似ていなくもない。無事な方の左腕は不器用に匙を握って鉄鍋を掻き回していた。
「で、お前ノほうは?」
「同じく恰好悪い、ってありさまだ。俺は最低だよ。仲間を二人失くしちまったかもしれない」
そうかぁ……とゴブリンが迷宮の天井を見上げて
「うん?それはナいだろ」
悲嘆に暮れる自分の呻きを目の前のゴブリンはあっさりと否定した。は?と目で確認を取るとゴブリン面は包帯に包まれた右腕をぶんぶん振り回して否定する。
「どこかで生きていルって、ゴブリン的な勘が告げている」
「うっすい根拠だな、おい」
なんとも頼りない答えにヤフタレクは肩を落とした。所詮ゴブリンと――――「いっとくけれど、俺の勘はゴブリン達の中では一番当たるヨ。奇襲を回避しテ、奇襲返しなんてのもよくやった」
「ホントかよ」
馬鹿馬鹿しさに思わず頬が緩む。ヤフタレクの疑いの眼差しにホントだって、と匙を振り回しながらゴブリンは力説する。例えば、帝国が峡谷で奇襲をかけようとしてきたときに、その背後に増援を呼んで全員崖から突き落としたとり、他の部族の家に泊めて貰った時、酒に手を付けずにいたら翌朝酒壷のに首を突っ込んで毒蛇が死んでいたりと笑えない要素がてんこ盛りの回想たんだったりする。
「とにかく、人間腹が減って体温が下がると頭が弱くなるからナ。食え食え」
そう言って、差し出されたスープをヤフタレクは受け取って一口
「うわ、不味……くもなく。美味くもない、お前料理の才能無いのな」
「うむ、おまけに嫁さんも来ないだろうね」
「割と絶望的じゃねーか」
訊いてる方が悲しくなってきた。別に、人間は顔で決まるわけではないとヤフタレクは思っている。どの口がそれをほざくかと、ここ五年の間にさんざんっぱら頭を叩かれたが、俺はただちょっと人より諦めが悪かったり、長く続けたり、頭を使っているだけなのだと言いたい。
「やる気あるんなら、俺が知ってること教えてやるからどんどん質問しろよ」
「へィへい」
ただし霧崎の返事はやる気がなかった。何というか目が死んでいる。この手の話題はタブーなのかもしれないが敢えて、そこをヤフタレクは踏み抜くのが好きだったりした。
「でたでた、硬派を気取る俺かっこいい病。別名は恒久的童貞保守型閉鎖症」
うぐ、と言葉に詰まった感のある霧崎にヤフタレクはさらに言葉を焚きつける。剣の腕や危機察知での話は出来ないが、この手の話なら目の前のゴブリンもどきなど相手にもならない。右はダークエルフから左は幽霊王女まで、ヤフタレクの戦歴は深い。
「ウ、ぎぎぎ。とにかく、そんな事より仲間の心配を知ろよ。それが筋ってもんだろ」
なるほど霧崎の台詞は道理であるが、話題をそらすためのレールであることが見え見えだ。だから、ヤフタレクは乗らない。
「そういえばアステリアは、霧崎くん話しかける食びに不気味な笑顔できもーいとか、挙動が不審、とか」
「おわああああ、止めてくれェ!」
男の悲痛な叫びが迷宮に木霊する。けれどももう遅い。幾ら遮ろうともヤフタレクの舌は止まることを見せず、気が付けば目の前のゴブリンは虚ろな顔で鍋を掻き回す出来そこないのオブジェのようになっていた。




