月の人
抜刀術。
それは刀身を鞘に納めた姿から、初めから抜身のままにかかってくる相手を制するための技。そして、その技は霧崎が最も苦手とする技だった。
いや、単純な抜き差しぐらいならば、月の出ていない夜の闇でも楽々と行うことは出来るのだ。けれども、緊急回避の手段として真剣に早抜きの技を工夫したりはしなかった。理由の一つとして、同じく片手で抜刀し戦うのならば、より使い勝手のいい鉈剣を所持していたということにある。
ぶっちゃけた話、対応できればそれで良し精神的な高みとか求めない効率優先な現場主義者からすると、馬鹿みたいに長い太刀をわざわざ素早く抜き差しするよりも鉈剣を使った方がはるかに対応が早い。だから基本的に太刀は余裕があれば抜き、合戦や大型の魔物に対する武具として使ってきた。
もう一つとしては、単に練習が難しかったからである。そもそもまともな鞘がない。あるのは大蛇の皮をなめして作った鞘であり、まともな鞘を手に入れたのはトーレルとセレナに出会ってからだった。そして、その練習も難しい。まず、なにからやっていいかさっぱりわからない。その中で試行錯誤するくらいならば、その他のある程度筋道が見えている技を完成させていく方が現実的というものだろう。なにせ、咄嗟の抜き打ちは鉈剣で十分間に合っているのだから。
とは言っても、抜き身諸手の剣技にしたって霧崎がまともに使えるのは左右の袈裟斬りと、正中線を真っ直ぐに落ちる縦斬りくらいの物なのだけれど。
そんなわけで霧崎が抜刀術を工夫し始めたのは、同じく糞長い刀身のクレイモアを使うトーレルの技を見始めたあたりからの事で、それは本当にごく最近のことに過ぎない。
―――目の前の男。
ヤシャは既に抜身の剣を構えており、自分は未だに抜きかけの刀に両手を支配されている状態。
死に体であった。
ヤシャの左右の剣―――右手の剣は天を指し、左手の剣は中段に突き付けられて、長ったらしい会話の最中も霧崎の右小手を牽制し続けていた。
そして先程のヤシャの質問、どう答えようと斬られることは明白だった。ならば刃をもって返答し、先手を打って斬殺する、それをもって最上の策とすべきだったというのに。先程まで太刀の稽古をしていたばっかりについ刀での決着に囚われてしまった。この体勢からでは、もうなにをどう足掻くよりも相手の剣が霧崎の体を斬割する方が早い。
本当に見事な心理戦としか言いようがなかった。このような相手には最早、相打ちを望むほかない。
そう瞬時に決断した霧崎の気迫が、かろうじて相手の迂闊な出を挫いていた。
「怖いね」
腹の臍の下から湧き上がる武者震いの声をヤシャは腹の下で噛み砕き飲み干す。この体勢、この絶対的に不利な状況下にあって霧崎は既に決断している。その決断は恐らく捨て身の一撃、いかなる境地にあろうともこれを侮れる道理はない。
ヤシャは過去に三度、瀕死の重傷を負ったことがある。そのうち一つは手練れの魔剣によるもの、もう一つは大人数を相手取ったとき、そして最後のものは必死の格下が振り回した鈍剣によってだ。
故に、侮ることなど出来はしない。
「――――――――――――」
「――――――――――――」
膠着した時間が過ぎていく。一刹那―――瞬きの間に繰り出されるのはいかなる奇剣の応酬か。
果たして両者の膠着を打ち破ったのは一閃の矢の飛来だった。
その一射は確実にヤシャのほうを狙っていた。直前までは気配もなく、まるで熟練の狩人が一カ月の間木の洞に身を隠していたかの様な一矢だった。
自分だったら防げなかったと霧崎は思う。ならばこそ、直前で反応し右手の剣で矢を弾き飛ばしたヤシャを讃える気持ちはあれど、そこに付け込もうという気持ちは起こらず、死中に活を見出した生命は生きるための手順を、ヤシャの隙に付け入る拍子を逃してしまった。
づり、と硬く尖ったものが霧崎の腹筋を貫く。わざわざ目を落として確認すると、それはやはりヤシャの左拳から伸びる剣だった。
「っおぐ、」
体の芯から何か大切なものが腹の傷を通って抜け落ちてしまったようだ。なつかしい痛みに腹が引け、折れ曲がった背は霧崎の頭部を急速に大地へと近付ける。痛みに蹲る霧崎の視界の端では、ヤシャの左右の剣が自由意思をもつ生命体となって、息着く間もなく飛来する矢を叩き落とし続けていた。
「く、」
腕一本で長剣を旋回させ、連続する矢を叩き落としていたヤシャの口からついに苦しげな音が零れ落ちる。見れば先程から飛来する矢はどれも尋常でない弓勢であり、石畳を三枚重ねて貫く程の威力を備えていた。いかにヤシャが双剣の達人で全身の勁道を駆使して矢の勁力を分散しているとは言え、魔の領域の技を一方的に受け続ければ、やはり限界の訪れは早い。
このままでは詰むと見たヤシャも即座に方針を変えたようだ。
「おい!聞こえるかい!?そこの君はどうやらこの男を助けたいようだけれど、このままほっとけば死ぬぜ」
それは誰の目にも明らかな交渉だった。
「君が!手を止めてくれれば!己は黙って、帰る!」
練武場の向こうから速やかなる返答が返ってくる。
どずどずどず!と蹲る霧崎とヤシャの間に三本の矢が壁となって突き立っていた。
「OK、OK、これから剣を納めるけれどその間に射ようなんてつまらん真似はするなよ。こっちも最後の力を振り絞って、こいつに止めを刺すぐらいは出来るからな‼」
敵がいるであろう方角の闇にヤシャの声が吸い込まれていく。
「とっとお行きなさい、月の目は何時もあなたを見ているわ」
帰って来たのは、人間とは声質の違う優雅な音色。双剣を納めた男が霧崎の方を見て唇を歪める。
「くく、というわけだぜ霧崎君。これからこの街はもっと面白くなる。乗り遅れないよう精々その腕を磨いておいてくれよ」
その言葉が意味するところは、今の霧崎では量りかねる。
用件はそれで済んだのだろう。
怪鳥の羽を思わせる暗殺用の外套を翻し男は跳躍、練武場の壁を飛び越えて街のの闇に消えていった。
足音が近づいてくる。意識は鈍くなっていく一方で、小鹿めいたその足音だけは意識の湖面に波紋を起こし続ける。
憶えのある足音、覚えのある気の持ち主。けれども、それが何を示しているのかには思い当たらない不愉快な感触。
「ようやく会えたわね」
鈴を転がすような優しい女の声、粘膜をくすぐる黒檀の匂い。けれどもようやくどころか一度たりとも霧崎の脳髄には、この女には会った記憶などない。
上目づかいに女を見る。洗練された意匠の革製の胸当てのに動きやすそうな服装は、どれもこの街の一般の女のものではく、手には細い小型の弓を、背には矢筒を背負っていた。
「今すぐ手当てするから少し我慢して」
有無を言わさず仰向けにひっくり返される。
綺麗な女だった。硝子に細工を施したような透明感のある顔立ち、けれども決して冷たい印象を与えるものではなく樹の温もりを宿している。何より目立つのは流れるような金髪をかき分ける長い耳。
「長耳カ……」
「その失礼な呼び方をするようであれば治療はしてあげないけれど?」
顔を曇らせた女の目は割と真剣だったので謝ることにする。
「すまなイ、侮辱したわケではないンだ森人。ゴブリンの慣習では、その生き物の最も優れた器官を褒めるモノなのダ。理解してくレれば嬉シい」
「ならいいわ、勇猛なる民」
女の顔からはとうに怒りが抜け落ちて、どこか満足げな笑みが浮かんでいた。
「懐かしいわね。このやり取りは初めてあった時もした記憶がある」
「ああ、」
中身のない胡乱な言葉を反射的に霧崎は返していた。
さて、貴女はどこの誰なのでしょうか?当方の記憶にはあなたの様な女神の如き御仁に憶えられているという記憶も、優しくされるという経験もないのですが?
そんな言葉を紡げるわけがない。
温い空気の中で治療は終わりを迎える。
「はい、お仕舞い。念のために三日は動かない方がいいわ」
「スまなイ。礼ヲ……」
「あー、あーそういうのいいから」
貴女と私の仲じゃない、そんなことをエルフの女は霧崎に告げる。如何なる仲にもなった記憶はないのだが、美人に優しくされるというのは悪い気分ではないし、霧崎の今後の人生を見積もってもあるかないか疑わしいくらいのものであろうことは予想に難くない。
ならば良し、今を楽しめばいいのだろう。
「それじゃあ、あなたの家に案内してもらえるかしら?」
「……oh」
なるほど、なるほど。
なんとなくエロゲの主人公の気持ちがわかった。出合い頭に好意(?)を向けられ馴れ馴れしくされるのは、普通に怖い。
いやいや、しかし向こうは面識があるつもりなのだしここで下手に冷たくするのは、あんあまり良くないんじゃないか。
そう思って、セレナ&トーレル事務所に案内まではした。
「ふんふん、結界まで張られてえらくいいところに住んでいるのね」
石造三階建ての中古住宅を女は感心したように眺め、それから一言。
「ここに、私も住ませて貰うから」
「ふぁっ!?」
肺腑から抉り込むような奇声が飛び出た。そんな馬鹿な。これまでの文脈上そんな展開あり得るはずがない。だが、命を助けてもらった手前無碍にも出来ない言葉だったし、この女が変な宿に泊まった挙げ句いちゃもん付けられ捕まえられて奴隷市場に売られるなんていう後味の悪い展開もあり得る。
断るわけにはいかない。
ただ願わくば、お父さん、お母さん。
俺の理性がはっきりとしているうちに、早く帰って来てくれーーーー!
心の荒野に一人の男の虚ろな絶叫が木霊した。
居合いを馬鹿にするつもりは決してないですよ。その手の動画を見るのは大好きですし。ただ必然性がないことはしたくなかっただけです。




