この世界は?
油断した。と言う訳ではない。トーレルの最初の計画では野人に縄を斬らせ、しかる後武器を返して戦闘開始とこういう筋書きだった。
「・・・野人をナメ過ぎたということだろうな」
後悔先に立たず。事をなす前に熟考せよ。そんな言葉が脳裏に浮かんでは消えていく。
「縄を解きますぞ」
「ああ、頼む」
どこぞの老翁の声にも、簡単な返事しか返せない。
「しかし、災難でしたな。」
ああ、と再び男は力なく肯いた。そんな巨漢の心中を察してか、老翁は少しの間押し黙り、
「ルークと申します……実は、孫娘のエスチュアを救ってもらったお礼をしたく思いまして、もしよければ今日のところは、家に「そんな、暇はない!!」」
こめかみの奥を焼く焦燥からトーレルは声を荒げる。あのゴブリンに相棒がさらわれたというだけで脳髄が沸騰しそうだった。いますぐ、あの面を微塵に切り刻んで、便所の糞の混ぜて捨ててしまいたかった。
「ですが、夜にこの森を歩くのは魔剣と云えども自殺行為ですよ?」
老人の忠告ににトーレルは言葉と気持ちを呑みこんだ。冷静になれば、目の前の老人の言う通りで、夜に森を歩くのは野人の領域に踏み込む様な、間抜けな行為である。
「・・・だが、セレナが」
話の間に縄はすべて解かれていた。
「セレナ様の件については私も力をお貸ししたいと、思っております。ですから今のところは落ち着いて、」
「そうだな・・・、貴方の言う通りだ」
「では、付いてきて来てください」
ゴブリンの脱走にざわめいていた村も、攫われたのが赤の他人だと知ると無関心に静まり返っていた。よそよそしい静寂がトーレルの怒りと焦りを増幅させる。
村人たちが悪いわけではないと判っているのだ。頭の中では。身を焼くこの心は、あれを切り損じた自分が悪いと知っているからなのだろう。
「スみませン」
洞窟の中で霧崎は頭を下げた。謝罪の先には両手両足を縛られたダークエルフが心底無表情な顔で霧崎を見下ろしている。
これは不味い事態だった。霧崎としては、このおねいさんと仲良くなって、この世界の情報を集める作戦なのだ。少しは良い印象が必要である。
まあ、果たして誘拐犯と被害者の間に友情が成り立つはずもない。もっとも霧崎が並外れた美形だったなら話は変わるだろうが、しかしこちとら人よりもゴブリンに近い顔立ちで、いまの霧崎には顔を隠す髭も無かった。
ではどうするか?
そんなものは決まっている。古代人が荒ぶる神を祀り鎮めたように、神代の昔から、男が女を鎮める方法は一つしかない。
・・・・・・貢物である。
「取り合えズ、ドうぞ」
野人が慌ただしく動いている、そんなことをボーと見ていたセレナの前に、何時の間にやらに大量の食材が置かれていた。山鳥の肉、川魚、獣肉に野生の果実。隣に置かれた素焼きの壺からは酒の甘い匂いが漂ってくる。
「何の・・・つもりだ?」
セレナが野人の真意を測りかねていると、酒の入った壺が押し出された。
「飲メ」
言って、野人がまず一掬い、自分で酒を飲む。どうやら毒味のつもりらしいとセレナが理解するのに数秒の間を必要とした。
「……」
用心深く目の前の酒を掬い、舐める。白く濁ったそれの製法は不明だが甘く和らい口当たりで意外に美味い。野人はと言うと、肉を切り刻んで串に刺したものを大地に突き立て、焚火を覆うような配置にして調理を始めている。この流れだと、あれも御馳走してくれるのかもしれないが、しかし、それにしても野人の意図が読めない。
「それも御馳走してくれるのか?」
「あ、ハい」
野人の声は震えていた。今更セレナを攫ってきたことが怖くなったのだろうか。だとしたら、こんな事をするのは初めてなのかもしれない。一口、酒を口に含む。 何なのだろうか、この変わりようは?これが本当に村で堂々と口上を述べた人物とはとても思えない、しょぼさを感じる。
「目的は何だ?」
セレナの質問に野人は背を向けたまま答えなかった。
くそ。
ありていに言って、やはり野人の親切は何をされるか分からない恐怖がある。最悪の場合を想像しながら飲む酒の味は、やはり最悪だ。
さて、捕えたはいいものの何から話したものかと霧崎は頭を捻る。霧崎がこの世界の人ではないことから話すべきなのか。しかし、それはそれでややこしくなりそうな予感がする。
やはり、ここは誘導技法で行くべきだろうと、霧崎は決断を下す。
「この武器ヲ知っていまスか?」
唐突に質問して、愛用の太刀をダークエルフの鼻先に突きだした。
さあ、どうだ?
霧崎の質問からしばらくして、ダークエルフの女が口を開いた。
「・・・知らないな」
目を背けつつセレナが答えを返す。この反応からして少しは知っているかもしれないが、大して知らないだろうと予想。次に繋ぐ。
「二年前にオレは、この武器と同じ国の出身地デ、アる夜に木刀を振っていタら何時の間にカ、こノ森に居たンだ、です」
霧崎の証言に今のところ嘘は無い。真実もあまり無いが。
とにかく、話を続ける。
「で、言葉が通じなイからゴブリン達と暮らしテいタ・・・」
なるほどと、セレナは納得した。ゴブリン訛りの言葉を最初は不思議に思ったがそれならば道理が通る。さらに続く野人の言葉を要約すれば、つまり、セレナに手出しするつもりはないし村人を困らせるつもりもない、むしろ人里に行きたかったのだとか。丁度、人里に向かう前日にお前らに捕獲されたのだとか。ついでにセレナが冒険者の事務所を開いていると聞けば、下働きでいいから入れてくれとか。
事前に聞かされた話ではもっと狂気が奔っているやつだと思っていたのだが、しかし今の肉を焼く姿はどうにも、野人に付きまとう村人達の噂から導かれる、地獄の羅刹か修羅か、そんなイメージに一致しない。
平凡。
ただ巻き込まれた状況で何とか生きてきた、そんな感じだ。この森に来て僅か二年だと野人は言った。もとはと言えばそれなりの文化水準で暮らしていたのだろうと思う。敵の女を捕えたら、大抵の山賊はまず犯す。ゴブリンの場合は知らないが目の前の野人はおそらく人間だ。セレナを見て欲情しないはずがないのだが、その気配は今のところない。かといって油断しているというわけでもなく、時折試みる魔術の発動はそのこと如くに刃となった殺気がセレナの首を刎ねる幻視を見せた。 つまり隙は無い。トゥルンの作家たちから「魔の山」と恐れられる場所で暮らしてきたからなのか、思考より本能を重視する傾向にあるのだろう。
酒もそれなりに進んで一つの壷が空になる。肉汁が串焼きから火に落ちて、パチパチと火の粉が爆ぜた。
「そうイえば……、」
しばらくぶりの野人の質問に、セレナは口の中の焼き肉を飲み込んで用意をする。
「魔法っテあるノか?」
酒が少しは言って野人=キリサキ・クロウも遠慮が無くなって来たのだろうか砕けた口調で妙な事を尋ねる。セレナは元々王都の魔術大学で教授をやっていたのだ。東西の諸資料は割と手に入ったし、魔術史にも精通している。東の巫覡から、仙道の方術、覚者の法力、世界に遍く存在するマナだのなんだのと呼称は変わるが、セレナ達が使う魔力は、重力が何処にでもある様に世界のどの箇所にも存在し、したがってこれを操作する技術は何処にでもある。今までの予想に過ぎないが、それなりの文化水準にいた野人なら魔術を見なかったなんてことがあるはずもないし、なによりゴブリンが魔術を使うの見なかったはずがない。
「あるよ」
軽く肯いて、野人の目の前に火球を生み出す。おお、すゲー。そんな感嘆の声が耳に心地いい。のでついつい解説してしまうのは元教師の性なのか。
「魔力と言うのはエネルギーの源。魔法と言うのは魔力の運用法則、魔術というのは魔法を組み合わせ現象を引き起こす行為だ、わかるか?」
「ハイ、えエ・・・つまり剣で言えバ、魔力が勁デ、魔法は自然ノ法則、魔術が実際に剣を振ル行為みたいな?」
中々に野人は理解が速いのかもしれない。剣術はあまり詳しくないがどこぞの巨漢剣士とは大違いだ。
「うむ、それら独立したものではない。バランス良く運用されることが大切だが・・・ところでお前魔力は使えるか?」
「・・・魔力とハ、何デだ?」
やはり、なぜだか野人は魔力を知らないでいた。子供でも簡易な魔術を知るこの世界に於いてだ。いや、その卓抜した剣技には使われているのかもしれないが、無意識と言うことなのだろう。と言うことは魔力の体感は持っていても、ただ単に分類する言葉を持っていないだけなのだ。ならば、あっさりと理解させられるのでは無いかと酒に酔ったセレナの好奇心に火が付いた。
「手を出せ」
手?と小首をかしげながら差し出される野人の掌の、触れるか触れないかの感覚でセレナの手が置かれる。
「アつッ!!」
熱気を感じた野人の手が即座に引っ込められる。どうやら酒のせいで出力調整が狂ったようだ。
「・・・悪い、悪い」
怪訝な表情を示す野人に、今度は大丈夫だからともう一度掌を差し出させる。
「アつッッ!!」
「ははははは!」
素直に騙された野人が馬鹿みたいで、思わず吹き出してしまった。それでも怒ってないか僅かに伺うと、野人は苦笑いをしなが酒で手を冷やしていた。
洞窟内では、やけに平和な空気が人質と誘拐犯の間に流れていた。
そして、ダークエルフも寝静まった月一分目の明るい夜。
人影、というには少々ごつい影形が洞窟に入ってくる光を遮る。あの巨漢剣士ではないと霧崎は匂いと歩き方で察知していた。
ゴブリンだ。
「よう、」
「ああ、」
背中から腹へとそして恐らく両足まで全身を覆う蛇獅子絡合文様の刺青が、洞窟の残り火に浮かび上がる。その右肩の、人よりも色素の濃い肌に刻まれているのは十一勇者にのみ許された矢寄せの真紅の刺青。勇者は敵を襲るるなかれ、戦場の中心となり味方を鼓舞し、敵を畏怖させるべしと呪術師の言葉が逆矢の図章とともにゴブリンの古い言葉で彫り込まれている。霧崎と同じく左腰の帯に竜の爪と呼ばれる刃物を差していた。
勇者ジギント・エだった。
「山を下りるんだっケ」
第一声はやはりそのことだった。ふらっと、洞窟に現れた勇者は熊の毛皮に寝っ転がるダークエルフを気にも留めずに薪火のそばに置かれた平らな岩に腰を下ろした。
「貰うぞ」
「うん、飲め」
岩に腰かけたゴブリンは三つめの、最後の壷を開け、倒木から削り出した器で中身を掬い一口、咽喉を湿らせる。
「……悪いな、」
どうした?とゴブリンは霧崎の顔を伺った。
「急なアレで、来させちまって」
多少酒が入っているから霧崎は謝れた。たぶん何時もだったら、なあなあで最後まで引き延ばしてしまったと思う。ジギント・エは霧崎が一応所属している氏族とは別のところの者だ。氏族間の領域を出入り自由なのは勇者と旅人の特権とはいえど、山一つ越えてくるのは、手間だったことだろう。
「気にするなよ。そんなことは」
つまらなそうにジギント・エは頭を振る。
「それよりジジイに聞いたぞ。一カ月だか二カ月に一度はこっちに戻ってくるのだろう?なら旅人みたいなもんだ。そこの二胡がその証さ」
そう言って、ゴブリンが壁に立て掛けられた二胡を斜めの傷跡が残る人差し指で示す。
「そうなのか?知らなかったぞ」
「知らなかったのか?裏に通過の印が彫り込まれているはずだ」
何の遠慮も見せずにジギント・エは二胡を袋から取り出して、引っ繰り返すと其処には十二の竜爪の首飾りが図式として彫られていた。
びん、と太い指が繊細に二胡の弦を弾いた。
「良い音だな、これを弾いている時はキシンも無防備になる」
満足気な表情で、勇者は霧崎に二胡を返した。
「……まあ、お前はいつか山を下りると思っていた。嫁選びの時も参加しなかったようだしな」
「まあ、な。鼠が猫に欲情しないように俺もゴブリンには欲情しないよ」
だろうな、とゴブリンも頷いた。
「それに処刑人なんて、貰い手がいねーよ」
軽く霧崎は話題を変えるように笑う。霧崎は「魂を導く長牙」にして「天へと通じる角」、それまで勇者がになっていた処刑の役を肩代わると言う形で、霧崎はゴブリンの社会に参加していた。
「まったくだ。お前のお蔭で俺の長鉈も暇だった」
親指でジギント・エが示す先に、出刃包丁を巨大にしたような刃と、それに同じ長さの柄を持つ武器が洞窟の大地に突き立てられていた。柄には赤く染めた蛇のなめし革が巻かれている。身内の処刑および、キメラ、大蛇からなる大型の獣を相手にするための巨大な刃。キメラも大蛇も人もゴブリンもその刃の前では等しく首を刎ねられる運命にあった。
随分と懐かしい。覚えているだろうかと、霧崎は前の勇者を見た。あの刃に叩き伏せられた。あの刃と共に獣を狩った。あの刃に鼓舞され戦を潜り抜けた日々の全てを。
「……今日ここに来たのは、」
壷の最後の一滴を霧崎が飲み干す中、ジギント・エは言いかけの口を閉ざして、
「お前の旅に祝をしようと思ってな」
続ける。
「普通、新しい旅人を送り出すときは祝を行うんだがお前は立場が立場だからそういうわけにもいかねえ。でも、それじゃ面白くないだろ」
おお、と霧崎も頷く。
「ありがとうな。勇者から祝福を受けられるとは光栄だ」
「礼はいいさ。ただ、曲の時はお前がその二胡を弾いてくれ。俺は笛を吹く」
ゴブリンの手がキメラの山羊の角を削り出した横笛を拳で軽くたたいて示した。
「あ~~では」
立ち上がって勇者が咳を払う。
「魂を導く長牙」キリサキ=クロウに勇者ジギント・エが祝を授ける。汝の旅に十一族の加護と、鋼竜の導きがあらんことを。
ありがたくお受けします。
勇者から差し出された気を、跪いた霧崎が掲げた右の手刀で受けた。
「んじゃ、祝の曲。主旋律は頼む」
「ん、任された」
構えた二胡の柄がいつもより重く感じたのは霧崎の気のせいだろう。
二胡が鳴き、夜の闇が払われた。長く続く曲の序は旅人になる霧崎が一人で引き続けることになる。
ふ、と隣でジギント・エが吸う息の音が聴こえた。
直後、圧倒的な力強さの音が霧崎の音に重なった。零れ落ちそうになる何かを音に変え霧崎は弾き続ける。目が合うと勇者は笑っていた。
「ん~~、じゃあな。また帰って来た時は顔を出せよ」
洞窟の前で、もう辺りは暗い。虫の声が聞こえてくるほどに。
「ああ、判っている。ていうかお前、今帰るのか?もう夜だぞ」
「俺は勇者だし、それにほとんどのゴブリンは夜目が効く。忘れたのか?あの夜襲のことを?」
そう言って勇者は帰った。
雑だな・・・と読み返して思った。




