第六話 同種殺し
「マキマキ……私、そろそろやばいかも……」
頭上を疾走していた黄金の翼が、突如として推進力を失う。
空中から放たれた追手の追撃魔法──その余波による衝撃を受け続けた桃花は、呼吸を激しく乱しながら、巨木が鬱蒼と茂るサルツス密林の地面へ吸い込まれるように着地した。
ドスン、と泥を跳ね上げて膝をつく桃花。その両翼は完全にスタミナを使い果たし、力なく地面へ垂れ下がっている。
「お疲れ様。……チョコチップソフトクリームも追加な」
俺は彼女の華奢な肩を抱え上げ、幹の根元に巨大な空洞が開いた大木へと足を進めた。
「やったー……! ありがとう! マキマキ大好き……!」
「重いからあまり暴れるなよ」
ふぅ、と重厚な溜息が口から漏れた。
大木の空洞へと桃花を滑り込ませ、背中で隠すようにして俺は外の警戒にあたる。濡れた泥と腐葉土が混ざり合った、特有の饐えた匂いが鼻腔を突く。
追手の怒号やワイバーンの羽ばたきは、すでに遙か上空の樹海によって遮られていた。ここに潜んでいれば、ひとまず追撃はやり過ごせるはずだ。
そう思考を巡らせた矢先──。
ガサッ。
草むらが大きく揺れ、低い唸り声とともに数体の影が躍り出てきた。
漆黒の毛皮、肉厚な四肢、そして威嚇するように剥き出された尖った牙。
ブラックエイプ──俺と同じ、この密林の野生モンスターたちだ。
「ウキィ、ウキーッ!」
「……おい、それ以上近づくな」
唸り声を上げながら、じりじりと間合いを詰めてくる。
姿形は自分と瓜二つであるはずなのに、奴らが発する音覚はただの不快な雑音としてしか鼓膜に届かない。意味のある言葉としての言語は、そこには存在しなかった。
俺たちは同じグラフィックの皮を被っているだけで、本質的には決定的に異質な存在なのだと、冷ややかな感覚が背筋を走り抜ける。
そのうちの一体が、大木の空洞へ視線を向けた。
消耗し、荒い息を吐く桃花の姿を捉えた瞬間、その毛深い腕が地面の泥を握りつぶす。
ビュッ!!
「な……ッ!?」
勢いよく放たれた粘土状の泥塊が、空洞の壁に当たり、弾けた泥水が桃花の頬を汚した。
「……てめー、なにしやがる」
視界が真っ赤に染まるような感覚。
体の底から湧き上がる不快な熱。足裏で踏みしめた地表が、俺の踏み込みによって沈み込む。
こちらの醸し出す気配の変化に、泥を投げたブラックエイプが一瞬怯むように後退した。だが、縄張りを侵された野獣の本能が勝ったのか、奴らの瞳に赤黒い敵意が燃え上がる。
「ウキャアアアアッ!!」
先頭の一体が地を蹴り、鋭利な爪を突き出して俺の喉元へ飛び込んできた。
「いいぜ……そっちがその気なら、容赦なくやってやる」
踏み込み、体をわずかに捻る。
頭上を掠める相手の爪。その無防備な腹部へ向け、右前足の爪を一点にすぼめ、穿つように突き立てた。
ガゴッ!!
肉を断ち、骨を砕く生々しい手応え。
突進の勢いそのままで俺の腕に深々と刺さったブラックエイプが、短い悲鳴とともに青い光の粒子を散らす。
それを見た周囲の群れが一瞬静まり返った。
だが、仲間が目前で殺戮された恐怖は、次の瞬間には狂乱に似た怒りへと変わる。四方八方から、十数体のブラックエイプが一斉に飛びかかってきた。
「糞猿どもが……まとめてかかってこいやッ!!」
右腕を振り抜き、迫る一匹の顔面を正拳突きで打ち抜く。
跳躍してきた別の個体の脚を掴み、そのまま地面へ叩きつける。石畳のように硬い密林の根に叩きつけられた個体が、悶絶の声を上げて光へと変わっていく。
だが、数が多すぎる。
次々と背後や側面から飛びかかる爪、叩きつけられる泥。
爪が腕の毛皮を裂き、泥が視界を奪う。
粘着質で重い泥の感触が全身を覆うが、拭う暇すらない。俺は感覚だけを頼りに、筋肉の動き、空気の振動、踏み込む足音を頼りに爪を振り回した。
ガリッ! ドカッ! バキッ!
激しい打撃音と、エフェクトの光芒が密林の暗がりを絶え間なく照らし出す。
時間の感覚が磨耗していく。
呼吸は途切れ途切れになり、腕の筋肉が過負荷で悲鳴を上げ始めていた。それでも、背後の空洞──桃花のいる場所だけは一歩たりとも譲らない。死角から忍び寄ろうとした個体には、自らの体を投げ出すようにして割り込み、その首根っこを砕いた。
──どれほどの時間が経過しただろうか。
ふと気づいた時、周囲から羽音も、唸り声も消え去っていた。
荒い息を吐きながら、俺はゆっくりと腕を下ろした。
踏みしめる足元は、処理待ちで消え残るブラックエイプのグラフィック死体と、飛び散った赤黒いエフェクトの残り香で埋め尽くされている。
その瞬間、耳奥で機械的な通知音が連続して脳揺らした。
【スキル『爪攻撃 Lv5』に上昇しました】
【スキル『泥耐性 Lv5』を獲得しました】
【レベルが 11 → 15 に上昇しました】
【称号:同種殺しを獲得しました】
【条件の解放を確認しました──】
【キルカウントが一定値に到達しました。キルポイントを 2 獲得します】
「……うるさいテロップだな」
目の前で点滅する鬱陶しいシステムログを、鬱陶しそうに視界の端へと追いやる。そんな警告の文字列よりも、俺には確認すべきことがあった。
振り返り、大木の空洞へ視線を向ける。
「……大丈夫だったか、モモ」
「マキマキこそ、全身ボロボロだよ……!」
泥と返り血で黒く汚れ、肩を上下させる俺の姿を見て、桃花が涙を浮かべて駆け寄ってきた。華奢な手が、俺の裂けた毛皮の表面を恐る恐る撫でる。
「心配するなって。大したダメージじゃない」
「嘘ばっかり……! すごい数の音が聞こえてたんだよ!?」
桃花の頭を、泥のついていない手甲の裏でぽんぽんと叩く。
その時、密林の入口側から、人の声と足音が風に乗ってくぐもって届いた。
「おい! さっきの戦闘音、この奥だぞ!」
「急げ! 賞金の黒猿かもしれない!」
「……チッ、ここへ来るのも時間の問題か」
足元を見やる。死に絶えたブラックエイプの死骸の山。これらを放置しておけば、追手たちの足を多少は止められるかもしれない。
俺は桃花の腰を引き寄せ、そのまま軽々と横抱きにした。
「モモ、回復は済ませたか?」
「うん、ポーション飲んだからHPは大丈夫だけど……」
「足は動かせるか?」
「……もう少し、このまんまでいたい」
桃花が俺の胸元の毛皮に顔を埋め、小さな声で呟く。
「ああ。スタミナもまだ回復しきってないだろうしな。次は俺が運ぶ番だ」
「ふふ……うん。ありがとう!」
俺は強靭な脚力で地を蹴り、密林のさらに深い奥地へと走り出した。
◇
鬱蒼とした樹海を突き抜け、泥の匂いが次第に生臭い水の匂いへと変化していく。
辿り着いたのは、巨木すら生えない広大な沼地だった。黒濁した水面があちこちで気泡を上げ、巨大な背びれのようなものが滑るように蠢いている。
ガルゲーター──この密林の生態系の頂点に君臨する、巨大ワニ型モンスターの巣窟だ。
野生のブラックエイプですら、この沼地には決して近寄らない。つまり、ワニどもの感知域に入らない高台さえ確保できれば、ここ以上の安全地帯は存在しないということだ。
沼地の縁に聳え立つ、乾いた巨大な岩座。
その頂上へと駆け上がり、桃花をそっと降ろした。
「ふぅ……ここなら、当分は誰も来ないだろ」
岩の上に腰を下ろし、ようやく一息つく。
さっきから脳内で明滅していた異様なシステムメッセージの数々を整理するため、俺はステータス画面を呼び出した。
「なあモモ。さっきの戦闘で、なんか変な称号入手したんだけど」
「え!? もう称号手に入れたの!? どんなやつ?」
「えーっと……同種殺しだってさ」
「なにそれ、名前からしてなんかヤバそう……」
不穏な文字列に、桃花が眉をひそめる。
俺はさらにログを遡り、気になっていた単語を指差した。
「あと、このキルカウントっての表示されたんだが……これってなんだ?」
「キルカウント?」
「モモってさ、これまでモンスターどれくらい倒してきた?」
「うーん……最初から合わせたら、ざっと数百体は超えてると思うけど……」
「キルカウントが一定値に到達したみたいな表示、出たことあるか?」
「ううん、一回もないかなぁ。何それ? 隠し実績みたいなやつ?」
首を傾げる桃花。
数百体のモンスターを倒している彼女の視界には、一度も出たことがないシステムメッセージ。
画面に浮かぶ無機質な文字を見つめながら、俺は手甲で覆われた己の前足を固く握りしめた。
……少し調べないといけないことが多そうだ。
【モンスレ雑談スレッド Part 16】
136:名無しのスレイヤー
サルツス密林の入口付近に行った奴おる?
なんかエグいことになってんだが
137:名無しのスレイヤー
何があった?
138:名無しのスレイヤー
ブラックエイプの未解体死体が文字通り山積みになってる
20体以上はあるぞこれ
139:名無しのスレイヤー
うはwwww 素材拾い放題じゃんwww
140:名無しのスレイヤー
いや待て、解体されてないってことは、狩った奴がそのまま放置して行ったってことだろ?
141:名無しのスレイヤー
素材放置かよ、もったいねえ
142:名無しのスレイヤー
……なあ、これ誰が狩ったんだ?
143:名無しのスレイヤー
賞金稼ぎのパーティーが返り討ちにあったとか?
144:名無しのスレイヤー
死体見ればわかるけど、全部ブラックエイプだぞ?
145:名無しのスレイヤー
つまり、ブラックエイプ同士の縄張り争いか?
146:名無しのスレイヤー
いや、死痕が異常すぎる
ほとんどの死体が、腹部を貫通されてるか、首の骨折られて即死してる
147:名無しのスレイヤー
は????
148:名無しのスレイヤー
ブラックエイプってそんな精密な急所攻撃してくるモンスターじゃねえだろwww
149:名無しのスレイヤー
……まて
まさか、例の5万ゴールドの黒猿か?
150:名無しのスレイヤー
え、仲間殺したのあいつ……?
151:名無しのスレイヤー
死体の中にあの黒猿も混ざってたりしない?
相打ちで死んだとか
152:名無しのスレイヤー
つーか、もしこれが例の黒猿の仕業だとしたら、あの猿どんだけヤバいんだよ
153:名無しのスレイヤー
同族の群れを単体で壊滅させてそのまま奥地に消えたってことか……?
154:名無しのスレイヤー
あきらかにAIの挙動じゃねえだろそれwwww
155:名無しのスレイヤー
俺はあのクソ強い猿が、そんなあっさり死ぬとは思えんがね




