第三話 幼馴染のテイムモンスターですが何か?
「アーアーアアーッ!」
湿った風が激しく頬を叩く。
目の前に迫る巨大な地の亀裂。深みからは立ち上る冷気が肌を刺すが、俺は極太の蔓へ飛びついた。
ギィィッ! と音を立てて撓む蔓の弾力。
四肢の筋肉が軋むほどの重力がかかり、次の瞬間には身体が宙を舞う。視界を吹き抜ける青臭い草の匂いと、圧倒的な解放感。対岸の泥地にドスンと着地すると、足裏から膝にかけて心地よい衝撃が駆け抜けた。
『──マキマキ、めちゃくちゃ楽しんでるね?』
耳元で響くボイスチャットの声に、ぴくりと肩が跳ねた。
とっさに口元を手で覆う。
「い、いけないいけない……。ちょっと猿になり切りすぎてたわ」
荒い息を吐き出しながら、四足歩行の体勢から体を起こす。
敵として戦っていた時は鬱陶しいだけだったブラックエイプの跳躍力と筋力。だが、自らの身体として動かすとなると話は別だ。この圧倒的な身体能力と縦横無尽の移動は、悔しいが癖になりそうな爽快感があった。
首を振り、余計な思考を払って前方へ視線を向ける。
密林の木々が途切れ、視界が開けた。
眼前を遮るのは、人の背丈を遥かに超える重厚な黒鉄色の石造りの城壁。その中央に固く閉ざされた城門があり、壁の内側からは威勢の良い露店の呼び込みや、プレイヤーたちの雑多な喧騒が風に乗って漂ってくる。
そして城郭の中央、空を突き破らんばかりに聳え立っているのが──ギルドタワーだ。
見張り用のやぐらなど足元にも及ばない圧倒的な高層建築。天辺はうっすらと雲に隠れ、その周囲を無数の飛竜が悠然と旋回している。
「はえー……。やっぱ生で見るとデカいな、ギルドタワー……」
過去作の二次元画面で、それこそドットの粒が見えるまで眺め倒したあの光景。それが今、見上げる首が痛くなるほどの立体感と圧倒的なスケールで脳髄へ滑り込んできた。胃の奥が小さく熱を帯びるのを感じる。
『お、着いたの? 早く入ってきなよ! 私、広場前の噴水にいるから』
ボイスチャット越しにはしゃぐ桃花の声。
だが、俺は足元に視線を落とし、毛深い己の手の甲を見つめて苦笑いを浮かべた。
「いや……それがさ。俺、今ブラックエイプじゃん? 門番に止められないかな」
『どうだろ? ゲームだし、意外とスルーしてくれたりしない?』
「……試してみるか」
半信半疑のまま、背筋をすっと伸ばして城門へと歩を進める。
門の前に立つ二人のNPC兵士。重圧感のある板状の甲冑に身を包み、鋭い目つきで通りかかるプレイヤーを監視している。
距離が十メートルを切った瞬間だった。
ガチャンッ!
金属が擦れ合う鋭い音が響き、門番が交差させるように長槍を構えた。先端の銀色の刃が、朝の光を反射してギラリと光る。その瞳に宿るのは明らかな敵対心と警戒。
「あー、こんにちはー。俺、悪くないブラックエイプですよー! 攻撃する意思はありません、通してくれませんか?」
言葉を交わそうと、必死に両手を振ってみせる。
しかし、俺の喉から漏れたのは──
「うほほ、うほほほあ! うほ、うきょきょきょ!」
間抜け極まりない野性的な濁音だけだった。
門番の眉間にはさらに深いシワが刻まれ、槍の柄を握る手甲に力が入る。これ以上一歩でも進めば、間違いなくあの刃が喉元を穿つ。
「あかん……話が通じへん……」
冷や汗をかきながら、ジリジリと後ずさりする。
『えー、無理そうなの? どうするのよー』
「悪い、ヤマモモ。西の門まで迎えに来てくれへんか?」
『はいはーい、すぐ行く!』
通信を切り、門から少し離れた木陰で待機する。
数分後。城壁の向こう、青空の彼方から甲高い風切り音が近づいてきた。
「ん……?」
目を凝らす。雲を割って現れたのは、巨大な翼を大きくはためかせる一筋の影。
黄金色に輝く鱗、頭部から後ろへと伸びる美しい二本の角、そして空中を滑空するしなやかな尻尾。
「わーっ! どいてどいてー! 止まらないーっ!」
上空から降ってくる聞き覚えがありすぎる悲鳴。
「その声、ヤマモモか! お前……リザードマンから、もう進化してんのかよ!?」
過去作の知識が脳裏を駆け巡る。上位種族への進化は、本来なら初期エリアを抜けた先の熟練プレイヤーが到達する領域のはずだ。相変わらずこの幼馴染のゲームのやり込みスピードは異常だ。
感心している場合ではなかった。
影が急猛進の角度で、一直線に俺めがけて落下してくる。
「キャーッ! マキマキ避けてーっ!」
逃げる猶予など微塵もなかった。
ドゴォッ!!
重戦車が激突したかのような衝撃が胸に走り、視界が強烈に揺れる。
強烈な風圧と共に吹き飛ばされ、そのまま泥地に二人まとめて転がった。
「いっつ……! 胃袋破裂するかと思ったわ……」
胸を押さえながら起き上がる。
半透明のステータス表示が明滅していた。
【HP: 250 / 550】
「おい。今の一撃で体力半分以上削れたんだけど」
「ごめんごめん! 飛行まだ慣れてなくてさ!」
土煙の中から立ち上がった桃花──もとい、凛々しい竜人の姿となった少女は、悪びれもせずにへらりと笑う。
そして、泥まみれの俺の姿を上から下までジロジロと見回すと、お腹を抱えて爆笑し始めた。
「あっはははは! ちょっと、マキマキ! マジもんのブラックエイプじゃん! うける! 似合いすぎ!」
「笑い事じゃねえよ……! 回復薬、余ってねえか?」
「あ、はいはい、どーぞ!」
手渡された小瓶の栓を抜き、中の赤い液体を煽る。口の中に広がるのは、イチゴフレーバーのシロップを人工的に極限まで甘くしたような独特の味だ。じわじわと体力が全快していくのを感じつつ、空になった瓶を消滅させた。
「ほんとにゲーム内だとウホウホしか言えないんだねぇ。何とかならないの、それ?」
「俺が聞きたいわ。……でさ、街に入る方法なんだけど、一つ名案がある」
顎に手を当て、先ほど門番と対峙した時の反応を思い返す。
「俺がヤマモモのテイムモンスターってことにすれば、通れるんじゃないか?」
「……! マキマキ天才! その手があったか!」
桃花の目が輝く。
深い計算も、複雑な裏付けもない。幼馴染特有の軽いノリと阿吽の呼吸だけで、俺たちの即席作戦は決定した。
◇
「あ、すみませーん! この子、私のテイムモンスターなんです! 通ってもいいですかー?」
西門の前。
桃花はこれ見よがしに胸を張り、俺の頭へぽん、と手甲に覆われた手を置いた。
頭頂部に伝わる、少し硬い金属の感触。俺は虚空を見つめながら、必死に従順なペットの顔を作った。
「うほ……うほほ〜ん」
上目遣いで、極力角を立てない鳴き声を意識する。
門番の兵士二人は、交互に桃花の姿と、俺の頭に置かれた手を見比べた。
数秒の沈黙。
やがて、カチャンと甲冑を鳴らし、門番たちは交差させていた槍をゆっくりと引き引いた。同時に、小さく頷く。
「ナイス、ヤマモモ」
「ふっふっふ、どうよ私の名演技!」
門をくぐり、城壁の内側へ踏み入った瞬間、二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
「最高だったよ、ご主人様」
「なによその言い方ー、なんか冷たい!」
語尾を膨らませて不満を露わにする桃花に、俺は苦笑しながら肩をすくめる。
「じゃあ……相棒ってのはどうだ?」
「相棒……」
桃花は一瞬目を見開き、それから花が咲くような満面の笑みを浮かべた。
「いいねそれ! 相棒! よーし、まずはギルドタワーにレッツゴー!」
「おう! ……あ、おい、空飛ぶな! ずるいぞ! っておいちゃんと前見ろ!」
翼を広げてふわりと浮き上がった桃花の後ろを、俺は四足走行で追いかける。石畳を蹴る感触、行き交うプレイヤーたちの驚愕の視線。
「へへーんだ! 遅いよマキマキー! 大丈夫だって、ちゃんと前見て──ぶへっ!?」
ガンッ!!
「……あーあ」
高架橋の支柱に、顔面から思い切り激突した竜人娘がそのまま垂直に落下して石畳に突っ伏した。
「ほら、言わんこっちゃない」
呆れ顔で歩み寄り、目の前に右手を差し出す。
「危ないだろ」
「いたたた……。えへへ、ありがと、相棒」
差し出された手に桃花の爪の立った手が重なる。引き上げてやると、彼女は照れくさそうに鼻の頭をかいた。
「困ったときはお互い様だろ。……相棒」
言葉と同時に、俺たちは自然と拳を握り、コンと軽く打ち付け合った。
言葉は通じなくても、姿が猿になろうとも。
広大なVRの世界で、俺たちの冒険がここから本格的に始まるのだと、その拳の微かな痛みが教えてくれていた。




