第9話 玉座の間
「ほ、報告しますッ! 先ほどアルマの物見兵より、敵襲の伝令がありましたッ!」
その報告を最初に受けたのは、タバフを中心とするロゾ派の大臣たちだった。内容は、ガラル王都から離れた南方の土地に位置するアルマ村。その村に建てられた物見櫓より、敵国の侵攻を意味する赤色の信煙弾を視認したというものだった。
娼婦を侍らせ、酒を嗜んでいたタバフたちにとって、その伝令はまさしく天国から地獄へ突き落とされるほどの凶報だったに違いない。
「なっ、なんだと!? 誤報ではないのか!」
「誤報ではありません! 間違いなく、赤の信煙弾を確認したとのことです!」
両脇に自分より何世代も下の女を抱えていたタバフは、彼女たちを乱暴に引き剥がすと、入口の前で膝をつく兵士の前へ詰め寄った。
「ア、アヴェルではないのか!? 確か三日後の夜に王都へ到着する予定のはずだ! 今頃ならば、王国領内に入っていてもおかしくない!」
新王の祝いに馳せ参じる。そのような内容の書簡を、アヴェルの使者から受け取ったのは昨日のことだった。最速で手配を済ませ、護衛を率いて既に領内へ到着している可能性に賭けたのだろう。
しかし、その望みはすぐに打ち砕かれた。
「恐れながら、伝令兵は南方のアルマ村から来たと報告しております! 地理的にアヴェル方面とは真逆に位置しておりますので、その線は薄いかと!」
冷静に考えれば分かることだった。だが、年端もいかない新米兵士に諭されて、タバフはようやくその事実に気づいた。
では、どこの国が攻めてきたのか。タバフは毛のない頭を掻き毟るように触りながら、兵士へ問い詰める。
「い、今、先遣隊を派遣しておりますので、まだ確定はしておりません。ですが、敵襲の方角から考えると、水の国アクアブルクしか考えられないかと」
「――っ! 数は把握できているのか!?」
「はっ! その数、およそ一万を超えているとのことです!」
ここまで、騎士団を出陣させればいいと軽く聞き流していたタバフ以外の大臣たちも、その圧倒的な敵勢力の規模を前に、ようやく事態の危機を理解し始めた。
「ま、万の軍だと? そんな馬鹿げた数で、水の国は何をしようとしているのだ!」
「は、早く各所に散らばった兵を集めるべきだ!カルロ騎士団長を呼んで、すぐにでも!」
「それでも足りるとは限らんだろう! 最悪、徴兵令をかけて民兵を出せ! それで兵力差を帳消しにするのだ!」
騎士団の総数すら把握していない大臣たちが、唾を撒き散らしながら、思いつく限りの案を報告に来た兵士へ命じる。
各地で治安維持に当たっている兵の招集。十五歳以上の男を兵士として徴用する徴兵令。本来なら滅多に出すべきではない軍策を軽々しく口にする上層部の姿に、新米兵士は思わず正気を疑った。
軍略に浅い新米兵士であっても、それくらいは分かる。そんなことをすれば、王国の中枢は麻痺する。さらに国民たちの反感を大きく買うことは間違いない。最悪の場合、外敵が来る前に内部から崩壊する可能性すらある。その命令に、兵士はどうしても頭を縦に振ることができなかった。
「お――」
「恐れながら、そんなことをしてしまえば、敵が来る前に反乱で王国が滅びますぞ、大臣方」
まさに今、勇気を振り絞って進言しようとした、その時だった。背後から大きな影が現れる。
どっしりとした重厚な声が、新米兵士の無謀な行いを止めた。
「カルロ騎士団長!」
その名を呼んだのは、強い安堵感で言葉を失っていた新米兵士ではない。みっともなく狼狽えていた大臣たちの方だった。
「何をしている!? 敵襲の報せは聞いているのであろうが! さっさとこの城を守るために動かんか!」
国ではなく、城を守れ。そう言い放つ大臣に、カルロは胸中で強い苛立ちを覚えた。だが、それを表に出すことはない。今すべきことは、この場で怒りをぶつけることではなく、最善の行動を取ることだった。カルロは大臣たちを取りまとめるタバフへ視線を向ける。
「一度、玉座の間に役人を集めるべきかと。敵襲への対策も含め、今後の動きを擦り合わせなければ、この一大事を乗り越えることなどできないでしょう」
反ロゾ勢力の人間であるカルロの言葉を聞くのは、タバフにとって癪だった。だが、今何をすべきなのかは彼自身も理解している。そして、この場で無駄に焦っている大臣たちと対策を練ったところで、まともな案など出ないことも分かっていた。
タバフは二つ返事でカルロの進言を受け入れた。すぐに王城にいる役人たちを集め、今後の対策を考えるべく軍議が開かれることになった。もちろん、ファラクと王女エリナにも召集の要請がかけられた。
◇◆◇
玉座の間。
文字通り、ガラルの王が座る黄金の玉座が最奥に置かれた、王の偉大さと崇高さを象徴する神聖な場所である。あらゆる儀式はこの場で執り行われる。他国との交流や晩餐会などの催しには、先日の王子帰還の際にも使われた大広間が利用される。
つまり、王族ならびに王国を支える大臣たちを集め、玉座の間を開放するということは、国運の舵を取り、王国としての将来を決定する政が開かれることを意味していた。
今回でいえば、許可なく国境を越えた敵国が、大軍を率いて攻め込んできた状況である。まさしく、国運を委ねる極めて重要な場と言えるだろう。そんな場において、まず最初に軍議の口火を切ったのは、今回の敵襲を防ぐ要となる男、王国騎士団長カルロだった。
「まずは、我々が把握している状況と、伝令部隊から入手した情報を皆様方へ共有させていただきます」
その言葉は、この場にいる全員に向けたものである。同時に、干し肉を持参し、退屈そうに玉座へ座っているファラク――つまり王への進言を踏まえたものでもあった。
カルロは思うところがあった。だが、そこに触れるよりも先に、一刻を争う敵襲への対策を練ることへ集中する。
「敵はアクアブルク公国。進軍している敵兵はおよそ一万五千。方面はここより南方です。アルマ村が信煙弾を確認してから既に半日近く経過しているため、王都へは二日後、遅くとも三日以内には到着することでしょう」
明日を越えれば、いつ敵が現れてもおかしくない。その現実を包み隠さず明かしたカルロに対し、大臣たちは次々と不安の声を上げた。中でも一番多かったのは、現存する騎士団勢力で一万を超える敵軍を制圧できるかという問いだった。
その質問に、カルロは淡々と答える。
「ガラル王国にいる兵は、およそ五万です。ですが万が一、他国からの襲撃を受ける可能性も鑑みて、一万ほどは各地の守りに残します。それを踏まえても、数で負けることはないでしょう」
負けることはない。その言葉を耳にした大臣たちは大いに盛り上がった。中には、大したことはないのではないかと声を上げる者まで現れる。
しかし、大臣たちと共に騒がないタバフ。父カルロの隣で苦汁を舐めたような反応をしている騎士団の面々。それらを見て、ファラクはすぐにカルロへ言及した。
「数では勝って、質で負けてるってわけか? ここの兵士は貧弱そうな奴ばっかだもんなぁ」
その意外な発言に、エリナは目を見開いてファラクを見た。
だが、すぐに視線を逸らす。代わりに、カルロがファラクの言葉へ補足を加えた。
「……魔法兵の差です。我々ガラル騎士団の中には、遠距離魔法を撃てる者が少ない」
接近する前に兵力を削られる。いざ近接戦に持ち込んだところで、こちらの数が敵以下になっている可能性もある。相手の放つ魔法の規模にもよるが、少なくとも魔法の撃ち合いで勝つ自信はない。カルロの説明に、大臣たちは意気消沈し、一斉に項垂れていく。
その一方で、ファラクは騎士団の面々を見て鼻で笑った。兵士たちの胸に、声にならない怒りが灯る。それを代弁するように、カルロは一歩前へ出た。
「恐れながら、陛下は誤解をなさっているかと存じます」
「あ?誤解だ?」
ファラクの睨みの効いた一瞥を受けても、カルロは怯まない。
ただ、騎士団の誇りを語る。
「魔法は使えなくとも、我々は負けません。何故なら、守るべき家族がこの国にいるからです」
声を張り上げたわけではない。だが、背後でカルロに強い信頼を抱く兵士たちの士気は、それだけで跳ね上がった。
兵士の一人が拳を上げる。続いて他の兵士たちも声を上げる。気づけば、敵対派閥であるはずのタバフ一派までもが、一緒になって拳を天へ突き上げていた。まるで、この場に派閥の壁など存在しなかったかのように。
「陛下は安心して玉座に座っていてください。必ずや我々が、この国を守ってみせます」
騎士団長の強い決意。
それを前に、ファラクが胸を打たれ、目を潤ませる――わけがなかった。むしろ、とんだ茶番を前に笑うしかなかった。
忠義。
絆。
覚悟。
そんな抽象の塊に、何の意味もない。ファラクはそう確信している。何かを提案するまでもなく、この場は騎士団の無駄死に特攻で決まりそうだった。
なら、計画通り裏から手を回せばいい。そう決めて、ファラクが玉座を降りようとした、その時だった。新たな凶報を抱えた伝令兵が、玉座の間に飛び込んできた。




