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下僕出身の俺が王子になりすまして悪政国家を再建していたら、なぜか姫たちに縁談を迫られる名君になっていた  作者: 綾小路 奏


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第10話 愚国の忠将

 閉ざされていた玉座の間の扉が、勢いよく開かれた。現れたのは、武装した三人の兵士だった。全員が息を切らし、顔には疲労と焦燥が濃く滲んでいる。ただ事ではない。その姿を見た瞬間、玉座の間にいた者たちの視線が一斉に兵士たちへ注がれた。


 三人のうち、一番前にいた兵士がその場で膝をつく。そして、間を置くことなく凶報を告げた。


「報告します! 西の方角に、敵襲の報せあり!」


 玉座の間の空気が止まった。先ほど南方からアクアブルク軍が侵攻していると知らされたばかりである。誰もが耳を疑った。今この状況で、さらに別方向から敵襲の報せが届くなど、悪夢以外の何物でもなかった。


 兵士は、自らを西の国境付近の防衛を担当していた者だと明かした。内容は、アクアブルクによる襲撃とほとんど同じだった。国境付近を防衛していた駐屯兵は突破され、敵軍はすでにガラル王都へ向けて進軍しているという。


 凶報に次ぐ凶報。その言葉が、これほど似合う状況もないだろう。


「敵の数は約三万! 進軍している軍は、貿易商業国家カリオンであることが判明しています! 恐らく、明日の夕刻までには王都近郊へ到達してしまうかと!」


 誰もが言葉を失った。現実であることを疑いたくなるような地獄を前に、玉座の間にいた者たちは呆然と立ち尽くす。その沈黙の中で、震えた声を絞り出したのはタバフだった。


「ま、間違いないのか?」


 その問いは、タバフでなくともいずれ誰かが口にしていただろう。だが、それでも兵士が報告してから誰の口も開かれなかったのは、一度聞いてしまえば、その重すぎる絶望と向き合わなければならないからだった。


 長年ガラル王国を支えてきた上官や役人たちは、十分すぎるほど理解している。アクアブルクへの対処だけで激震していたこの国に、もう一つの大軍を受け止める器などない。


「――間違いありません!」


 報告した兵士は、苦虫を噛み潰したような表情で顔を伏せた。彼自身も、伝えている内容の重さを分かっているのだろう。希望を告げに来たのではない。国が崩れるかもしれない現実を、この場へ持ち込んだのだ。


「お父様、これは一体……お父様?」


 エリナは父へ目を向けた。だが、そこにいたのは、尊敬すべき偉大な父の姿ではなかった。鍛えられた逞しい巨体が、みっともないほど小刻みに震えている。あのカルロが、戦場を知り、騎士団を二十年以上支えてきた男が、目の前の現実に呑まれていた。


 父がどんな感情に支配され、何を考えているのか。それは実の娘でなくとも容易に察することができた。


「盟だ……」


 カルロは掠れた声で呟いた。


「アクアブルクとカリオンは、確実に同盟を交わしている」


「は、はい。お父様の言う通りかと。こうなったらもう、城に残していく兵の数を減らすしか」


「いや、無理だ」


「え?」


 カルロは力のない声で、エリナの提案を却下した。


「無理とは、どういうことですか」


「恐らく、アヴェルに救援を求めたところで間に合わない。三万の軍への対処に追われれば、今度は南方からアクアブルクの一万五千が反対側を突いてくるだろう」


「それがどうしたと言うのです! 兵力では、まだこちらが勝っているではありませんか!」


 先ほどまで猛々しく輝いていた父の眼光は消えていた。それでもエリナは諦めなかった。亡国の危機から活路を見出すため、必死に父へ問い続ける。


 ガラルの兵はおよそ五万。敵は西からカリオン三万、南からアクアブルク一万五千。数字だけを見れば、まだ完全に負けたわけではない。そう思いたかった。そう信じたかった。


 だが、カルロの顔からは、その希望すら見えなかった。


「……ハルクよ」


「え? あ、はい!何でしょう、騎士団長!」


 カルロが呼んだのは、娘エリナの名ではない。

今もなお跪いている伝令兵だった。


「敵軍の、カリオン軍の軍旗に何か印はなかったか?」


「は、はい! 見間違いでなければ、軍旗には亀の刻印がされていたかと!」


 敵軍の軍旗には、出陣している敵将の所在を示す印が刻まれることがある。カルロがわざわざ伝令兵のハルクを名指しし、尋ねたのは、その敵将となる存在を明らかにするためだった。


 そして、返ってきた答えは最悪だった。


「分かるか、エリナ。ここへ攻め込んできているのは、カリオンの白亀将ガジンだ」


「白亀将……あの七英将のガジン将軍ですか?」


「そうだ。今から十年以上前、“不死の悪魔”カイム・アザゼルを討伐すべく組まれた王国連合軍。その一将として招集され、戦果を上げて生き残った、あのガジンだ」


 カルロの声が沈む。名を口にするだけで、過去の戦場の匂いを思い出しているようだった。


「奴はこれまで、どの国に対しても勝ちを譲ったことがない。ただ強いだけではない。勝てない戦場を、勝てる形に変えてから現れる男だ」


 ガジン。その名が飛び出した瞬間、数人の大臣たちは大きく動揺し、声を上げた。だが、エリナは構わずカルロと向き合う。


「だからと言って、兵を出してすらいないのに敗北を認めるのですか!? これまで二十年以上騎士団を支えてきたお父様が、そんな弱気なことを言ってどうするのです!」


「……お前は、戦の怖さを知らないのだ、エリナ」


「――っ!」


 その一言は、エリナの胸を鋭く抉った。弱気になった父の目を覚まさせるため、エリナは素早くカルロのもとへ詰め寄ろうとした。


 しかし、その間に弟のベルが割って入る。


「なによ、ベル! 今、エリナはお父様と話をしているの! 邪魔をしないで!」


「分かってる!分かってるから!ちょっと落ち着いてよ、姉さん!」


「落ち着いてるってば! 貴方こそ状況を分かっているの!? 早く騎士団を動かして対策を練らないと、取り返しのつかないことになるわよ!」


「いや、だからそれは――」


 リファイトス家における騒動。それは、急なカルロ騎士団長の戦意喪失によって引き起こされたものだった。だが、その行方を見守っている者はほんの僅かしかいない。


 他の役人たちは、ガジン将軍の名を聞いた瞬間から、あらゆる愚策を出し合いながらタバフの周囲に集まり、勝手に話し合いを進めていた。


「西を捨てて南を押さえるべきだ!」


「いや、王都防衛を最優先にするべきだろう!」


「カリオンに使者を送れ!金でどうにかならんのか!」


「鉱山の一部を差し出せば、退いてくれるのではないか!?」


 気づけば、タバフら大臣とカルロら騎士団を取りまとめていた見事なまでの一体感は、見る影もなくなっていた。先ほどまで国を守ると声を上げていた者たちが、今は自分たちの生き残る道だけを探している。


 誰が何を話しているのか。誰が何を決めようとしているのか。それすら分からないほど、玉座の間は混乱状態に陥っていた。ファラクは玉座に座ったまま、その光景を眺めていた。この国は、民を慮ることなく、王による自分勝手な政治が行われてきた悪政国。


 そう聞いていた。


 だが、今この場を見ていると、それ以前の問題だと痛感させられる。


 そもそも、この国は未熟なのだ。惨めに生にしがみつき、烏合の衆になることしかできない。掲げていた覚悟も忠義も、圧倒的な絶望を前にすれば容易く捨てられる。そんな愚者たちの姿を見て、ファラクは何よりもこの国で暮らす民たちに同情した。自分たちを守ってくれる最後の砦であるはずの王国が、ここまで無能だとは。


 これから蹂躙されるであろう民たちが、あまりにも浮かばれない。


「――フッ」


 部屋全体が役人たちの声によって喧騒の渦に包まれる中、ファラクは一人、カルロを見て薄く笑った。綺麗事を公の場で語り、周囲を意図的に鼓舞しようとする者ほど心が脆い。


 カルロの言葉に感動した兵は多かった。


 だからこそ、彼の意気消沈ぶりに合わせて戦意を失った者も多い。半面、あの男を見損なった者もいるだろう。


 それは、自らを飾り付けてきた代償とも言える。


 王女エリナも同様に危うい。憧れの象徴として見てきた人間が堕ちる時こそ、その者の信条が揺らぐ瞬間は他にない。国が国としての機能を失い、王としての力が試される絶好の機会。


 王国の英雄になるつもりはない。だが、王子に成り代わってまで練った計画の狼煙が、今まさに上がろうとしている。


 この好機を、アザゼル一家の頭が黙って見逃すはずがなかった。


 曰く、盗賊による国の乗っ取りの始まりである。

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