第11話 ベル・リファイトス
アクアブルク公国とカリオン王国の同盟軍による襲撃が判明し、激しく荒れた軍議は一向にまとまる気配を見せなかった。
時間だけが、無情に過ぎていく。
一方、エリナによるカルロへの訴えは叶わなかった。カリオン軍はおろか、アクアブルク軍への出陣さえ危うくなった現状に対し、玉座の間に集まった上官たちが下した決断は籠城作戦だった。
すなわち、城外へ兵を投入せず、王城で敵軍を迎え撃つという作戦である。無論、その決断に反論を持つ者はいた。その作戦を立案したカルロに、最後まで強く反対の姿勢を示したのはエリナだった。
籠城は、失敗すれば後がない。何より、国民に被害が及ぶ可能性が高い。王都を戦場にするくらいなら、王国から離れた平地で迎え撃つべきだとエリナは熱弁した。
だが、返ってきたのは冷たい一言だけだった。
戦を何も分かっていない。カルロはそう告げ、ろくに取り合おうとはしなかった。
攻勢に出るのではなく、防衛戦に徹するのであれば、城を用いて戦った方が兵力差を埋められる。兵糧や武器などの物資が枯渇しにくい利点もある。
カルロは戦術的な視点から、その有用性をエリナへ説いた。説得力のある説明だった。他の文官たちや控えている兵士たちは、即座にその案へ賛同する。それでもエリナは、自分以外に反対する者がいなくなるまで、カルロを説得し続けた。
軍議の最中、何度か王であるファラクの賛同を得るべく、籠城戦の大まかな作戦も説明された。
だが、ファラクは一度として頷かず、ただ無視し続けた。
その沈黙は、肯定と取られた。そうして、流れに押し流されるように軍議は終わりを迎えた。若干の眠気を覚えながら、玉座の間から王宮殿へ戻ってきたファラクは、机の上に置かれていた一枚の手紙を手に取った。
恐らく、戻ってきたヴィディアがファラクの書き残した手紙を読み、再びアジトへ向かう際に置いていったのだろう。
『このツケは夜のベッドで返してよ』
「生娘が何言ってんだ、バカが」
ハートマークの付けられた手紙をズボンのポケットへ捻じ込むと、ファラクはすぐに宮殿を後にした。元々ここへ来た目的は、ヴィディアが帰ってきていたかどうかを確認するためだった。
リオナが不在なのも、恐らく対同盟戦に関する雑務に追われているか、あるいはファラクが頼んだ件を遂行するために動いているかのどちらかだろう。
少しばかり申し訳なさはあったが、リオナに頼んだ一件は、すでに不要になっている。彼女の到着を待たず、ファラクはとある場所へ足を運んだ。
◇◆◇
玉座の間での軍議から、二時間ほどが経過した頃。城内には多くの武装した兵が溢れ返っていた。
武器や兵器の点検。
防衛戦における配置や役割の確認。
来る同盟軍の襲撃に備え、騎士団長や各隊長たちの指揮のもと、兵士たちは慌ただしく動いている。
すでに敵襲の報せは王城内に留まらず、城下で暮らす民たちの耳にも警鐘によって伝わっていた。当然、国外へ出るための四方の関所は封鎖されている。
動転した民が亡命しようとするのを防ぐための措置だった。だが、それを見て、民を無理やり兵士にする徴兵令の前触れではないかと勘繰る者もいた。
民たちは反発した。門番である兵士へ直談判を仕掛ける者も多かった。しかし、王国兵は無情にも、国外へ出ようとする民を容赦なく懲罰の対象とした。
斬首。その言葉が現実味を帯びて、城下に重くのしかかっていた。強制的な国策に喘ぐ民たちの不憫な姿を、従者からの報告によって聞き及んでいたエリナは、再び騎士団長カルロへ作戦の撤廃を懇願した。
しかし。
「無理だ。我々が生き残る道は、これしかない」
カルロは断固として否を突きつけた。エリナの顔を見ることもなく、玉座の間での時と同じように、彼女の意見を退ける。
「なぜですか? このままでは民が無駄死にするのですよ!?」
「無駄死にではない。民がやられている間に、騎士団は敵の戦力を削ることができる。亡国の危機に貢献できるのだから、彼らも立派な我々の戦力だ」
エリナは言葉を失った。これまで見てきた騎士団長の姿とは何だったのか。今まで知らなかっただけで、本当はずっとこうだったのか。それとも、この絶望的な状況が父を変えてしまったのか。目の前にいる父親の形をした何かに恐怖しながらも、エリナは己の信念を通すべく必死に問い続ける。
「民が滅べば、それはもはや国ではありません!」
「じきに夕刻になる。お前はもう休みなさい。きっと私と同じで疲れているのだろう」
「お父様!」
声を張り上げても、カルロが振り向くことはなかった。背を向けたまま、父親が娘へ告げたのは、あまりにも無慈悲で、情の欠片もない言葉だった。
「私は騎士団長なのだ。これからするべきことがある。理想や正義を口にするだけで、全く行動に移さない不出来な娘と違ってな」
「――っ、どういう意味です?」
「……ベル隊長。王女を部屋までお連れしなさい」
娘の疑問を置き去りにしたまま、カルロは兵舎の出入口扉へ手を掛けた。そして、そばで親子喧嘩の行く末を見守っていた一人の兵士に指示を与える。
父としてではない。騎士団長の命令として、事務的に。
「あれは、本当に私の知っているお父様なの?」
話し合いの最中、一瞥すらくれなかった父親。
その父が閉ざした扉へ向かって、エリナは小さく呟いた。父に届いているかどうかはどうでもよかった。
ただ、心の底から湧き上がった疑問を、口にせずにはいられなかった。
「親父だよ。親父だけど、姉さんの知ってるカルロ・リファイトスって人間は、最初からいない」
「えっ?」
「部屋に連行しろ、だったっけ。一応、あの人は騎士団長だし、命令は聞いとかないとな」
父親に呼び止められて中断していた武器の新調を終えると、ベルは残りの雑務を隣に座っていた兵士へ押し付け、エリナを連れて兵舎を出た。兵舎は王城外にあり、倉庫のような建物の中に無理やり部屋をねじ込んだような構造をしている。
内部は王国の施設とは思えないほど狭い。
先ほどまでベルが座っていた席も、恐らく今頃は、中で立ち仕事をしていた兵士たちによって椅子取り合戦が繰り広げられていることだろう。
ベルはカルロの息子であり、辿れば王家の血を引く立場でもある。
そのため、ベルが兵舎に入れば、隊長以上の上官でさえ椅子から立ち上がる。
それほどまでに、この国では王の血筋、ロゾの血を引く者が畏怖され、無意識に従属の対象となっていた。
ベルは、そんな居心地の悪い兵舎という空間から解放された反動なのか、父親に口止めされていたことを簡単に当事者であるエリナへ漏らした。
「不出来な娘って言ってたけどさ。あれ、多分自分にも跳ね返ってきてると思うんだよね」
兵舎を出て、王城の玄関へ入ったあたりで、これまで沈黙を続けていたベルの口が開いた。
「どういう意味?」
ここに来るまでの道中、父が口にした言葉の真意を考え続けていたエリナにとって、ベルの発言は聞き逃せなかった。
「親父さ、玉座の間での軍議でガスト王子の嫌味に噛みついてたでしょ?」
「うん」
「あれって、姉さんがいたからだと思うんだよね」
「私が?」
「姉さんが尊敬している、正義や忠義を貫く騎士団長の姿。それと、偉大な父親の姿ってやつを見せたかったんだと思う」
確かに、あの発言でエリナ自身も、周囲にいた兵士たちも、派閥違いの文官たちでさえ士気を高めていた。
同盟軍の続報さえなければ、あのまま出陣して危機を乗り越えていただろうと、今でも信じたい気持ちはある。
当然、第一陣は父の指揮で――。
「言い方は悪くなるけど、あの胸糞な形で親父が出陣しなくてよかったと思ってる」
「え、なんで?」
自分の見解を胸糞と呼んだベルに、エリナは怪訝な視線を向けた。
「そりゃ、全滅してたし」
「ぜ、全滅!?」
「だって、親父は万の軍を率いて戦をしたことがないし。何より、武力と知略に関して言えば、その辺の二等兵以下だよ? そんな人が大将名乗って敵国とどんぱちやるとか、無理に決まってる」
「そんなことあるわけ……だって、お父様は騎士団を二十年近く支えていたのよ?」
未だに名将である父親の幻を捨てきれないエリナを見て、ベルはわざとらしく大きなため息を吐いた。
そして、耳の穴をほじりながら続ける。
「言うことだけは大将軍級だからね、あの人。その器はないってのに、王弟と騎士団長って箔だけで、兵士連中は信じさせられちまうんだよ」
馬鹿らしい。
そう呟く弟の姿を見て、エリナは強い意外感を覚えた。
「ベルのこと馬鹿だと思ってたけど。普段、そんなこと考えていたんだ」
「馬鹿だよ。ただ、自分よりも馬鹿な奴らを見てると冷静になるだろ? それが身内にいすぎたら、嫌でもこうなるって話」
もしかして、自分のことも含まれているのではないか。
それを聞けば、予想通りの返答が返ってきそうだったので、エリナは質問するのをやめた。
「馬鹿ってんなら、姉さんもそうだと思うけどな」
聞かれないなら、こちらから答える。
逃げようとした姉に対し、弟は容赦なく鋭い一撃を突き刺した。
「……ちなみに、どんなところが?」
自覚はない。
ただ、そこまで断言されると気になる。
「そりゃ、まあ。自分が一番正しいって思ってるところ?」
「え?」
「自分中心に世界が回ってるって勘違いしてるところ?」
「え、えぇ?」
「あと――」
「も、もういいから! 分かったから!」
悲報だった。
どうやらエリナは、想定しているより遥かに弟からの評価が低かったらしい。
というより、そこそこ高いと思っていた時点で、弟の言っていることは当たっていたのかもしれない。
そういえば、どこかの誰かにも、悪だと決めつけるな、などと言われた覚えがある。
「意外と、的を射ていたのかしら」
「ん? 何て?」
「ううん。何でもないの」
性格も、価値観も、受け入れ難い人間だった。
けれど一度、腹を据えて話し合った方がいいのかもしれない。
エリナがそう思った、まさにその時だった。
弟の行動に、急激な違和感を覚えたのは。
「……ねぇ、ベル」
七階層。
最上階へと繋がる階段の一段目に足を掛けたベルは、振り向かない。
ただ黙ったまま、返事だけを返した。
「私の部屋、ここの階よ?」
「えー、そうだっけ?」
白々しい嘘だった。
城内は確かに広い。
だが、生まれてから今日まで長い年月を過ごしてきて、家族の部屋を忘れるほどベルは馬鹿ではない。
何かを隠しているのは明らかだった。
エリナがそれを探ろうとしても、ベルは二段目、三段目と、彼女を差し置いて階段を上っていく。
「ちょっと、ベルってば!」
「ついてくれば分かるよ、姉さん。ていうか、多分姉さんがいないと困るから」
「……はぁ?」
ベルは面倒くさいやり方を好まない。
こういう遠回しな方法で人を誘導することなど、普段なら絶対にしない性格だ。
「姉さん?」
上の段からこちらを見下ろす弟。
それ以上を語ることなく、上ってきてくれと言わんばかりに待ち続けている。
その姿には、どこか気味の悪い不自然さがあった。
何かがある。
そしてそれは、エリナを巻き込むことでようやく意味を成す何かだ。
このまま進めば、辿り着く先は城の屋上へと通じる連絡路。
となると、その先に会わせたい人物か、あるいは見せたい何かがあるのだろう。
「……分かった。今行くわ」
僅かな恐怖。
そして、弟に対する違和感。
エリナはあらゆる感情を抑えつけながら、屋上へ向かうベルの背を追った。
不敵に笑う、その人物がいる場所を目指して。




