第12話 無謀の出陣
「でしょうね」
屋上に辿り着いたエリナが、ベルの横で反射的に口にした言葉はそれだった。そこにいたのは、予想していた人物だった。王城の屋上。夕風が吹き抜けるその場所で、ガスト王子が胸壁に背を預けるようにして立っていた。
まるで最初からここで待っていたかのような顔である。その姿を見るたび、エリナの胸には小さな違和感が残る。幼い頃に見たガストとは、あまりにも印象が違いすぎる。けれど、それを別人だと断じるだけの根拠はまだなかった。
「いつから密会するほど仲が良かったわけ?」
分かりやすい苛立ちだった。包み隠さず追及する姉に、ベルは苦笑いを浮かべる。だが、まともに答えるつもりはないらしく、曖昧に肩を竦めるだけだった。
「ねぇ?」
エリナは一瞥もくれず、さらに語気を強めた。
しかし、姉弟間に漂い始めた険悪な空気は、胸壁に寄りかかっていた王子の一声によって遮られる。
「そんな姉弟の仲良し劇を見せつけるために、わざわざ俺を呼んだのかよ、ガキ」
「ガキじゃないから。ベルって呼んでくれない?私の弟なの」
エリナの矛先が分かりやすく変わる。それを見て、ファラクは嬉々として笑みを浮かべた。
「確かに似てんな」
「……貴方に、何が分かるの?」
「たった一回ぽっち話しただけで、王である俺にタメ口を使う姉と、丁重に伝言まで寄越して王を呼びつける弟。どっちもクソ無礼なことに変わりはねぇだろ」
伝言。その言葉を耳にしたエリナは、再びベルへ無言の圧力をかけた。
「手紙は送ってないよ。ただ、伝言しただけ。王様の側近のお姉さんに」
エリナの脳裏に、給仕のリオナの姿が過る。
それと同時に、もう一人、見慣れない給仕の女性を思い出した。名前がすぐに出てこないあたり、恐らくこの王子が別居していた屋敷で仕えていた者なのだろう。
「何を伝えたの?」
「え? 何って、そりゃ――」
ベルは一度、ファラクに視線を送った。
その訝しげな弟の様子に、エリナは首を傾げる。
ベルは得意げに、そして煽るような口調で言った。
「アンタ、誰って」
屋上に吹いていた風が止まったような気がした。訪れた静寂の中で、それぞれの息遣いだけが妙にはっきりと聞こえる。
緊迫した雰囲気なのは間違いない。だが、エリナに関しては、ベルの発した言葉の意味を理解するまでに少し時間がかかった。その一言が、胸の奥に引っかかっていた違和感を無理やり引きずり出す。
けれど、それでもまだ理解が追いつかない。ベルは何を言っているのか。目の前にいるのは、ガスト王子ではないのか。
「で?」
その僅かに生じた沈黙の中で、ファラクが問う。もちろん、相手はベルだった。
「聞いてるのはこっちだよ、ガスト王子」
ベルは確信していた。正体までは分からない。
だが、この国の玉座に座った王が紛い物であることだけは。
「……沈黙って、肯定に捉えられることが多いんだよ。重要な場では特に」
「だろうな。軍議でもそうしたからな」
「おかげさまで亡国の危機なんだけど?」
「知るかよ。あの場で何言ったところで、お前らの親父は引きこもっただろ」
会話が進む。王が偽物であることを前提にしたような言葉が、当然のように交わされていく。エリナだけが、その場に置き去りにされた。状況の理解。情報の整理。頭痛すら覚えるほどの怒涛の展開に、エリナは思わず声を上げる。
「ちょ、ちょっと待って!」
二人の間に立ち、会話の流れを無理やり断ち切った。
「ど、どういうこと? 貴方、ガスト王子じゃないの?じゃあ本物のガスト王子はどこに……というか、そうなると貴方の正体は――」
エリナはベルとファラクを交互に見て、頭を抱えた。そこに、毅然と振る舞う王女の姿はない。
「落ち着きなよ、姉さん」
「落ち着いてるわよ!」
「いや、無理があるでしょ」
鼻で笑いながら突っ込むベルに、エリナは若干の苛立ちを覚えた。しかし、そのおかげで少しだけ冷静さを取り戻す。先ほどまで我を失っていた自分を俯瞰し、何をやっているのだろうと思い返したからだ。
「……ねぇ、ベル。これだけは聞かせて」
「ん? 何?」
「いつから気づいてたの?」
「王子帰還の儀。多分、父さんだって気づいてたし、逆に姉さんも気づいてたと思ってたよ」
確かに、異常なまでの違和感はあった。幼少期の当てにならない記憶ではある。だが、それでも想像していたガストの容姿と、目の前の男との間にはあまりにも大きな差があった。けれど、違和感があることと、偽物だと断じることは違う。
エリナには、そこまで踏み込むだけの材料がなかった。
「前に写真で見たけど、美化されすぎでしょ。あの豚男がこんな美少年になるって、馬鹿じゃなきゃ気づくでしょ」
「ば、馬鹿……」
どちらが馬鹿なのか。その論争は、知らぬ間に決着がついていた。ベルはそんな話をしたことなどとっくに忘れているのだろう。だが、知らぬ間に深く傷ついていたエリナにとって、それは致命的な決定打だった。
そんな姉弟による茶番劇を眺めていたファラクは、痺れを切らしたように口を開いた。
「それで、どうする?それを突きつけるのが俺を呼んだ理由だとして、何がしてぇんだよ、お前」
ファラクは左肘を軽く動かす。次の瞬間、屋上にある胸壁の一部が鈍い音を立てて砕けた。
ベルは一瞬だけその光景を見つめる。
「……うちの城って、結構頑丈なんだけど?」
「あっそ。じゃあ、このオンボロ城を王として立て直さねぇとな。内側も含めて全部よ」
「騎士団を相手にして、やれる気でいるのか」
「逆に、やれない理由を探す方が難しいな。こんな貧弱部隊、同盟軍じゃなくても俺だけで潰せる」
ベルは、目の前にいる男の力量を測っていた。
その強さ。その器。弱小国とはいえ、ガラルも腐ってなお大陸十国の一つである。父が確信しているように、国一つであればまともに戦ができる程度の兵力はある。王に即位し、この国の軍事力を目の当たりにしてなお、そう言い切る。蛮勇やハッタリでないのなら、この男は相当な力を持っているということになる。
父である騎士団長カルロが指揮する籠城は、あくまで防衛戦だ。つまり、攻めに転じることはない。負ければなし崩し的に全滅する。ノミより心臓が小さい父のことだ。そうなる前に、開城して同盟軍に降伏するだろう。降伏すれば、多少なりとも被害は抑えられる。虐殺も防げるかもしれない。
だが、待っているのは国の陥落だ。父を信じて、降伏覚悟の籠城戦を全うするか。
それとも――。
ベルは内心で苦笑した。国運を左右する場は、王になれば必ず訪れる。たとえそれが博打であっても、迷わず、確信的な根拠を持って決断できる者こそが、王の器に相応しい。
最初から自覚はしていた。どうやら、ベルに王を務める資格はないらしい。民を弾圧して自分の理想を貫いたロゾの悪政は、見方を変えれば、ある意味では王の振る舞いだったのかもしれない。
「理想ね」
一瞬、全てを目の前にいる男へ委ねそうになった。何もかもが未知だ。だが、もしかしたらこの国を救ってくれるかもしれない。素性も名前も知らないというのに、そう思わせる空気をこの男は纏っている。無条件に人を信じさせる力。それもまた、一種の王の器だろう。だが、それと同じくらい、王にするには危うすぎる雰囲気も持っている。もしこの男が、ロゾよりも完成された醜悪な王だとしたら。戦に勝ったとしても、今まで以上の地獄が待っているのではないか。
「……それだけは、避けないとな」
ベルは、この場にいる二人には聞こえないほど小さな声で呟いた。そして、苛立った様子のファラクへ向き直る。次の瞬間、ベルはその場に跪いた。
「ガラル王国騎士団二番隊隊長、ベル・リファイトス。王に、進言したいことがございます」
目の前の王へ忠誠を誓うようにして、ベルは進言した。
全ては、希望の溢れる王国のために。
◇◆◇
同盟軍襲撃対策の軍議が開かれてから、丸一日が経過した頃、両軍共に進軍の足を早めていた。特にカリオン軍に至っては、あと六時間もしないうちに王都へ到着するという報が、騎士団長カルロとタバフの耳に入っていた。
だが、その報告が入るまでに、籠城の手配は滞りなく進んでいた。
大量の武器や兵器の整備は完了。城下の街を取り囲む城壁の上には、すでにおよそ五百門もの魔晶砲が構えられている。騎士団各隊による迎撃体制の準備も終わっていた。兵士たちの士気も、軍議の時ほどではないにせよ、充分に高まっている。亡国を賭けた大戦の火蓋は、まもなく切られようとしていた。
「今からでも考え直さねぇか、カルロ。これは、あまりにも惨い」
城壁の東門。
カリオンが攻めてくる方角とは真逆の場所で、兵士たちの動向を見守っていた副騎士団長ライドが、カルロへ最後の提案を行っていた。
「無血開城というわけにもいかんだろう。兵士は惨殺され、民は陵辱される。そうなれば、他国に侵略された哀れな降伏国としての箔がつく」
「……無血でもいいだろ。中途半端に抗う方が、無駄な犠牲を増やすぞ」
「尊い犠牲と呼べ。それに、我々王国騎士団が敵に攻められ、即座に白旗を上げるなど、騎士団長としてこのカルロ・リファイトスが断じて許さん」
もはや、ライドに反発する気力はほとんど残っていなかった。大軍が押し寄せてくる現実もある。だが、それ以上に、今まで共に戦ってきた戦友が、いざ化けの皮を剥がせば、ここまで脆く愚かな人間だったことが大きかった。
「結局、敵国に登用されてからの役職を気にしてるだけなんだろ、カルロ。万の民の命より、敗戦後の自分の立場の方が大事ってか」
「何とでも言えばいい、ライド。お前こそ、自分の身を案じていた方がいいぞ。所詮は“副”騎士団長なのだからな」
皮肉を言っても、この男の芯には届かない。カルロが見ている景色は、敗戦後の自分の立場ただ一つだった。悪政国という肩書きに不満を持っていたライドも、今ではそれを甘んじて受け入れてしまっている。
「……ん? そういえば、南壁の方の兵がやけに少なくねぇか?西壁の半分以下だろ、あれ」
西の方角、その一面が見えないほど、びっしりと兵が詰められた西壁。それに比べて、南壁はあまりにも穴が多かった。目をやれば、北の方角が抜けて見えてしまうほどである。
まずはカリオン。だが、その後にはアクアブルクが南から来る。そう分かっていながら、この配置はあまりにも隙が大きすぎた。
「この土壇場で、剣と槍を捨てて逃げ出した者もいる。愛する者を犠牲にしてまで戦えない、と口にしてな」
「数は?」
「確か二、三千だったか。もっとも、女は全てタバフらが管理していた。城下に戻ったところで、見つかるはずもないだろうがな。所詮、あいつらは兵士としての覚悟が足りなかっただけだ」
もはや、呆れて返す言葉もない。一刻も早く、目の前にいる下郎から離れようと、ライドは大槍を背に担ぎ、担当の隊へ戻ろうとした。
その時だった。
「急報! 急報です!」
城壁の上を馬で駆けてくる兵士がいた。確か、カリオン軍襲撃の伝令を報告し、そのままこちらの軍で戦うことになったハルクという名の兵士だ。
「どうした。まだカリオン軍の到着には早いはずだが」
まさか、もう来たのか。ライドは西方へ視線を向けた。だが、そちらで大きな騒ぎが起こっている様子はない。では、この兵士は何をそんなに慌てているのか。カルロとライドが報告を待っていると、ハルクは息を切らしながら叫んだ。
「先ほど!三千の兵が西壁の城門をくぐり、出撃しました!」
「なっ――!?」
数が正確であれば、その軍が何者なのかは明らかだった。カルロもライドも、わざわざ聞くまでもない。問題はそこではなかった。
「せ、西壁の城門防衛兵は何をしている! 勝手に開閉レバーを下ろしたということか!」
これまで達観したような態度を見せていたカルロが、急激に焦り始める。なぜなら、王国を守るための戦いを籠城戦として演じ、敵軍の猛攻に耐えられず敗戦するという筋書きが、わずかに変わってしまったからだ。
万を超える大軍に対して、三千の兵。
敵を殲滅する戦力としては無謀である。
それでも、攻めの一手であることに違いはない。
「今すぐ追いかけて始末しろ!相手が仕掛けてくる前に、こちらから敵兵を殺めることだけはしてはならん!」
カルロの求める理想の結果に、大した差はないだろう。ライドは心の中で鼻で笑った。だが、続くハルクの報告によって、二人の動揺は決定的なものとなる。
「そ、それが……出撃した軍の旗に、“王”の文字が刻まれていました!」
カルロの顔から、血の気が引いた。
王の旗。
つまり、それは王の名を掲げた軍だった。




