第13話 動揺の隙
「間違いねぇ。あれは、王旗だ」
ガラル王国を象徴するグリフォンが描かれた軍旗。それを掲げて進軍する意味は一つしかない。
王が自ら軍を率いている証だった。双眼鏡を片手に、遠ざかっていく行軍の様子を眺めながら、ライドは低く唸るように声を漏らした。
「騎士団長の許可も得ずに、何をやらかしてんだと思ったが……王命なら逆らえねぇな」
脅す必要すらない。王に一言、開けろ、と命じられれば、兵は従うしかない。報告しに来た兵士も、城門を開けた防衛兵も、咎められる筋合いはないだろう。今回の一件で本当に困るのは、この国内において二人だけだ。
「どうしますか。やはり進軍を止めに行きますか?」
「王が率いてる軍だぞ? 早死にしたくなきゃ、大人しくしとけ」
先ほどまでこの場にいたカルロと同じく、東壁の防衛を担当していた隊長兵士へ忠告すると、ライドは再び双眼鏡を両目へ近づけた。
そして、わずかに口元を緩める。理由は単純だった。この状況を、面白いと感じてしまったからである。
「死ぬ前に、クソカルロが焦り散らすところを見られて満足だ。願わくば、ガラルに神さんの加護が在らんことを」
王国を照らす陽へ向けて、ライドは顔を上げた。それは、心の底からの祈りだった。一方、カルロは城へ向けて馬を走らせていた。そして、王城内で荷造りの準備を進めていたタバフに、王の出陣を知らせる。
「西壁の城門から、陛下が出陣しただと?」
「今しがたの出来事です。三千の兵を率いて、恐らくカリオン軍へ向け出陣したものと」
わなわなと拳を震わせながら報告するカルロ。
それとは対照的に、タバフは淡々と金貨や宝石の類を袋に詰めていた。最悪だとまで考えているカルロにとって、目の前で冷静に振る舞う男が気に入るはずもない。
「この状況で、どうして落ち着いていられるのか。このままでは間違いなく、カリオン軍とぶつかりますぞ」
「それで困るのは、お前だけだ、カルロ」
「……なんだと?」
これまで物腰柔らかく敬称を崩さなかったカルロの声が、鋭いものへ変わる。だが、タバフは気にした様子もなかった。
「騎士団長の誉れだか何だか知らんが、文官の我々にそんな誇りはない。むしろ、亡国の第一将である貴殿の未来は、どう足掻こうと暗いのではないか?」
「だから、こうして降伏の手配をして――」
「つけるべき落とし前も必要だろう」
「どういう、ことだ?」
頻繁に疑問を口にするカルロの様子は、まるで子供のようだった。その滑稽さに、タバフは思わず噴き出す。そして、膨れ上がった宝石袋の紐を締めると、両手を腰に添えながら立ち上がった。
「王国の象徴たるガスト王と、総大将である貴殿。同盟軍は間違いなく、この二つの首を目標に進軍してくる。ならば、我々ガラル王国陣営としては、王が自ら死地へ飛び込むのは好都合と言える」
「タバフ、貴様……そんなことを考えていたのか!」
激昂の果てに剣を引きかねない。そんな危うさをカルロから感じながらも、タバフは構わず嘲笑い続けた。
「思い浮かばない貴殿がどうかしているのだ。しかし、総大将よりも国王の首に価値があるのは明らかだ。狡猾なカリオンの軍ならば、陛下の命一つで虐殺をやめてくれるかもしれんぞ」
タバフはポケットから葉巻を取り出し、口に咥えて火をつける。そして、愚弄の矛先を今度はファラクへ向けた。
「ロゾ王の面影を一切感じさせぬことを懸念していたが、やはり親子であったか。大軍に向けて独断で特攻なさるとは、まさに愚の骨頂。ある意味、貴殿は救われる形となったがな」
高笑いをしながらカルロの横を通り過ぎる。その際、タバフはカルロの肩に手を置いた。
「武運を祈る」
それだけを呟くと、タバフはこの場を去っていった。地に目を伏せるしかない騎士団長を残して。
◇◆◇
「……退屈だな」
アクアブルク軍は、蹂躙し尽くした村に滞在し、行軍の足を休ませていた。かつて村民が暮らしていたであろう家屋を荒らし、テーブルに置かれていた肉料理に手を伸ばそうとした、その時だった。
「はしたないから、やめなさい」
「うおぉっと!」
料理の湯気に触れる直前、ガイマンはその剛腕を引かせる。そして、声をかけてきた張本人へ目を向けた。
「な、なんだ、セブンか。脅かすんじゃねぇよ」
「貴族が、下賤の民の作ったものを口にしないの」
「いいじゃねぇかよ。戦争は、食べ物と女を食い散らかすことが醍醐味ってな」
制止されていたはずの手を再び伸ばし、赤みを帯びた肉を口へ放り込む。ガイマンは下品な音を立てながら、それを咀嚼した。
「貴方が高潔な身分でなければ、この場で殺していたところだけど。もう勝手にしてちょうだい」
「食ってかねぇのかよ。意外とイケるぜ?」
机に置かれたフォークではなく、指で摘んだ肉をセブンへ差し出す。
「いらない」
「あっそ」
「馬鹿なことしてないで、早く進軍の準備を進めなさい。カリオンの軍が当初の予定より速く動いているらしいの。予定より早いけど、明日、王都を襲撃するわよ」
ガイマンは不敵な笑みを浮かべる。手の甲で口元の汚れを拭うと、椅子に座ったまま、料理の皿が乗ったテーブルごと蹴り飛ばした。
「はっ! いよいよか」
総大将ガイマン。副将セブン。彼らが率いる一万五千のアクアブルク軍は、南村アルマより兵力を温存したまま、王都へ向けて進軍準備を開始した。
一方で、アクアブルク軍の倍の兵力を誇るカリオン軍は、その進軍の足をさらに速めていた。
「お、お待ちを、ガジン将軍! 後続の兵が遅れています! もう少し進軍の足を緩めていただかないと――」
「邪魔だ」
背中に担いだ大斧を、進言した兵の頭へ振り下ろす。ぐちゃり、と嫌な音が響いた。兵は馬に乗ったまま、力なく崩れ落ちる。
「ノロマの連中など知ったことか! 儂は一刻も早く、ガラルのクソ国を蹂躙したいんじゃ!」
それは、目の前に敵がいるわけでもないのに、全軍で突撃しているかのような速さだった。ガジンについていけているのは、一万の騎馬隊のみ。二万の歩兵隊は、息を切らしながら将軍の背を追っていた。
「マルス!」
「はっ、ここに」
「まだ見えてこんのか!? ガラルは!」
隣で並走する弓兵を呼びつけ、ガジンは声を荒げながら問いかける。
「もう間もなくでございます」
「遅いわ!」
「いえ、当初よりも十分早い進軍かと」
ガジンが同盟のことを覚えているのか。マルスには定かではなかった。だが、敢えて聞くことはしない。何故なら、カリオン単軍でもガラルを落とすことはできると確信しているからだ。
今回も、敵の総大将はこの人が暴れているうちに勝手に討ち取られるのだろう。マルスがそんな想像をしていた、その時だった。
「あれは、斥候隊?」
五人の騎兵が、進軍とは逆方向からこちらに向かってくる姿があった。
「なんじゃ、あやつらは! 敵か!?」
「仲間です、将軍。お願いですので、少し速度を落としてください」
ほんのわずかに進軍速度は落ちた。だが、それでも充分に速すぎるほどだった。他の騎兵を掻き分けながら、マルスは伝令兵から報告を受ける。
「三千の兵がこちらに?」
「は、はい。ガラルに潜ませている諜報兵から、西壁の城門より三千の兵が出陣したと」
こちらの進軍に気づいていることは承知している。同盟軍のことも、兵力の詳細についても聞き及んでいるはずだ。
それでも、三千。正気とは思えない数だった。
「本当にその数でこちらに?」
「それと、噂程度で信憑性に欠ける情報だと言っていたのですが」
「なんだ?」
「率いているのが、王であると」
マルスだけではない。聞き耳を立てていた兵士たちも、報告に来た兵の話を疑った。そして当然、その声はガジンにも届く。ガジンは大きく目を見開いた。
「……なんだと?」
カリオンから出撃して以降、初めて進軍が停止した。軍全体に動揺が広がるのは必至だった。現在、進軍の準備を整えようとしているアクアブルク。兵力の半数以上を占める歩兵との距離が空き、驚愕の報告によって進軍の足を止めたカリオン。同じ刻をもって、これ以上ない隙を見せた両軍。
その一方で、既に片方の背後を捉えている者たちがいた。




