第7話 エリナ・リファイトス
給仕のリオナによれば、エリナ王女はガラル王家の中で最も王族らしくない人物らしい。
気品がないとか、そういう意味ではない。生粋の王家の血を引く存在でありながら、兵士や給仕、城下で暮らす民に対しても偉ぶらず、誰に対しても謙虚に接する。リオナは敬意を込めて、そう表現したのだという。
聞けば、そんなエリナが女王として国を導く時代を願っていた者は多いらしい。ロゾの崩御を知った時、次代の王としてエリナの姿を思い浮かべた者も少なくなかった。同世代であるロゾの息子が王位を継ぐと聞いた時、その者たちが胸中に何を思ったのか。考えるまでもない。
王国に来てまだ間もないが、王城の人間の中で訝しげにこちらを見てくる者たちは、おそらくエリナを推していた連中だろう。タバフのように分かりやすく媚を売ってくる者の方が、扱いとしては楽だ。だが、しばらくはこのままならない状況が続きそうだった。
「あれか?」
王城一階の長い廊下を歩き続ける。ステンドグラスから差し込む陽に照らされながら王女を探していると、すぐにその姿を見つけることができた。
情報通り、エリナ王女はお気に入りだという庭園にいた。しかし、花を愛でているという話は少し違っていたようだ。彼女はその細い腕で、真剣を使った素振りを行っていた。
まさか戦姫の類だったとは思わなかった。ファラクは中庭の入り口で足を止め、しばらくその様子を観察した。すると、エリナではなく、付き添っていた一人の従者と視線が合った。
その目が歓迎の色を宿していないことは明らかだった。付け加えるなら、そこには敵意のようなものすら感じられる。
事前に得ている情報では、ロゾの一人息子であるガストと、ロゾの弟にあたる騎士団長カルロの長女エリナには、幼い頃に面識があるという。
従姉弟を幼馴染と呼べるのかは分からない。
だが、数年ぶりに再会する血縁関係者であることに変わりはない。何かを勘繰られることがないよう、注意する必要がある。ファラクがそう気を引き締めていた、その時だった。
こちらを睨んでいた従者が、先に近くまで歩み寄ってきた。素振りをやめ、こちらの様子を窺っているエリナよりも先に接触することになったのは、男か女かも分からない中性的な少年だった。
「ガスト王子。エリナ王女に何か用か……です」
少年は王に敬意を払うでもなく、取って付けたような敬語で話しかけてきた。
「エリナに話がある。お前じゃねぇよ、ガキ」
ガストがどのような性格だったのかは知らない。だが、わざわざ性格まで似せて王子を演じるのは面倒だった。五年以上会っていないのなら、思春期で性格が変わったと説明しても通るだろう。
王族の馬鹿どもなら、それで納得するはずだ。
「ガキだって!? 別にアンタと大して変わらないだろ!」
十センチほどの身長差を前にして、それは無理がある。声変わりもしていない高い声で犬のように吠える少年を、ファラクは内心で小馬鹿にした。すると、こちらの考えていたことが伝わったのか、少年はさらに顔を真っ赤にする。
「今、僕のこと小さいって思っただろ!?」
王族は無駄にプライドが高い。何であれ、貶されたり、傷つけられたりすれば、こうして分かりやすく機嫌を損ねる。懐にしまってある短剣で、その小さな首を刎ねてやろうか。そんな考えが一瞬だけ頭をよぎったが、自分の立場と抱えている事情を思い出し、熱くなりかけた思考を冷ました。
「分かったから、もうどけ、チビスケ。お前の姉ちゃんに用があるんだよ」
「それなら、この僕に話を通してからにしろ!」
「……面倒くせぇな」
カルロには二人の子がいると聞いている。そこにいるのがエリナ王女なら、この少年はその弟だろうか。ファラクはチビスケと呼んだ少年を無視し、堂々と横を通り抜けようとした。
その瞬間だった。
「勝手に通るなって、言っただろうが!」
少年が腰に収めていた剣を引き抜く。激昂した声と共に、刃がファラクの頭部を目掛けて振り下ろされた。そちらが殺すつもりなら、こちらもただでは帰さない。野盗頭としての性は、そこまで甘くない。
確実に殺すと、そう判断して振り返ろうとした、その時だった。こちらへ駆け出す音も立てず、ファラクの目の前に飛び込んできた金髪の少女がいた。
エリナだった。
彼女は少年の振り下ろした剣を、自身の細剣で受け止めていた。
「――え、なんで?」
突然の出来事に言葉を失っていた少年から、掠れた声が漏れる。
「い、今コイツをやっちまえば、エリナ様が……!」
エリナの背後に立つファラクからは、二人の表情までは分からない。会話の内容は聞こえる。
だが、エリナが今どんな表情をして、どんな目で少年を見ているのかまでは見えなかった。それでも、彼女が少年に向けた声がひどく冷たいことだけは分かった。
「シュルク。自分が何をしたのか考えなさい」
エリナは剣を弾いた細剣を、左手に持った鞘へ収める。刹那の出来事だったにもかかわらず、彼女の動作に乱れはなかった。護衛対象であるはずのファラクを振り返ることもなく、エリナは再びシュルクを諌める。
「部屋に戻って。怒るのはそのあと」
「で、でも僕は、エリナ様のために……!」
「いいから、ね?」
その瞬間、周囲の空気が凍りついた。ファラクだけではない。後ろに控えていた給仕たちにも、彼女の怒りは伝わっていた。それほどまでに、エリナの怒りは研ぎ澄まされていた。
ついには、言い訳を続けようとしていたシュルクも言葉を失う。部下を諌めるのは王族。二人の関係を詳しく知らないファラクは、不覚にもこの状況を面白いと感じていた。
「陛下。不熟な従者をお許しください。いかなる処罰も、この私がお受けいたします。どうか」
リオナの言葉通り、やはり人格者なのだろう。
上品さと聡明さを感じさせる言葉遣い。それに反して、エリナはまだこちらの顔を見ようとしない。このまま赦しを与えれば、恐らく彼女はそのまま背を向け、シュルクの後を追うだろう。
「あの癇癪持ちのガキがやらかしたのは、今回が初めてじゃないだろ」
エリナの動きには一切の動揺がなかった。剣を弾き、場を収める。瞬時に取った行動とはいえ、あまりにも手慣れすぎている。
「アレはさっさと処分した方がいい。そうすれば、わざわざケツを拭いてやることもなくなるだろ?」
「……私には、そういう考えはできません」
「あ?」
ファラクが感じ取ったのは、確かな怒りだった。シュルクという少年を侮辱したことに対する怒る。その怒りを背中で示したまま、エリナは静かに口を開く。
「貴方は、王を何だとお思いですか?」
その言葉を置いて、一呼吸。エリナは大きく肩を回すようにして、ゆっくりと振り向いた。
そしてこれは、この先数百年、ガラル王国の歴史において永遠の明君として刻まれることになる王子と王女が、初めて対面する瞬間でもあった。




