33. とびきりの魔法(中)
「……っ……黒川、さん……」
愛莉が掠れた声で呟くと、すぐさまインカムから低く張り詰めた声が響いた。
『旧型が制御限界を超えた。バッファを強制クリアして止めた。――今すぐデータ送信を止めろ。デモは中断だ』
その言葉に、息を呑む。ガラス張りの見学室では、動かないAGV群を見て重鎮たちが不穏なざわめきを広げ始めている。 愛莉は手元のコントロールパネルに手を付き、ギリッと唇を噛んだ。
(……中断? 冗談じゃないわ。 今やめたりしたら――!)
ここで失敗すれば、自分の計画は台無しだ。いや、それどころか――。
私の、大事な『アテナ』に傷がつく。『欠陥品』の烙印を押され、二度と日の目をみることはないだろう。それだけは、絶対に。
「――――嫌よ」
ジワリと、ほんの一瞬だけ、目の奥が熱くなる。それを誤魔化すように愛莉は小さく息を吸い込むと、見学室に聞こえないように低い声を絞りだした。
「止めないわ、私の『アテナ』は完璧だもの……! 言ったはずよ、邪魔しないでって! だから、このまま……強行して……っ!」
だがこれ以上の言葉はでてこなかった。尻すぼみに途切れた声の後に、重い沈黙が落ちる。やがてインカムの向こうから、黒川が短く息を吐く音が聞こえた。
『わかった。なら、裏方の――俺のミスだと言え。土下座でもなんでもしてやる』
「え……?」
『俺のせいにしていい。それでチャラだ。……だから、もう引け』
インカム越しの黒川の声は、ひどく切実に、そして優しく響いた。
愛莉は言葉を失った。自分は彼が守るべき「可愛い後輩」などではない。最初から都合のいい手駒として騙し、利用していただけだ。それなのに。
(なんなの、この男……バカみたい。どれだけ単純なのかしら)
差し伸べられた手を取れば、自分は無傷で逃れられる。彼のキャリアと引き換えに。
……けれど、それは。
『おい、聞いてんのか!? 早く――』
急かす声に、愛莉は小さく目を伏せた。
(――必死ね)
インカム越しにも浮かぶ、彼の顔。なんの計算もなく、ただどうにかしようと足掻いている――不器用な在り様。胸の奥に広がるわずかな甘い揺らぎに、彼女はクスッと自嘲気味な笑みを零した。
『森田!!』
「……いいわ。そこまで言うのなら――」
愛莉はインカムの電源に手を伸ばし、低く、甘く囁いた。
「あなたを、使ってあげる」
――ブツッ。
迷いを振り払うように通信を叩き切った。そのままコントロールパネルを操作して、AGVへのデータ送信を『連続転送モード』に設定し、音声制御インターフェースを起動する。
そして、ゆっくりと立ち上がると、訝しむお偉方へ背を向けた。
「おっ、おい森田くん! どこへ行くんだ!」
青ざめる磯山の声を背に、愛莉は見学室のドアを開け、階段を降りていく。 カツ、カツ……と硬質なヒールを鳴らし、愛莉は沈黙するAGVの群れの中央へと、悠然と歩みを進めた。
「森田さん、危険です!AGVの走行エリアは立ち入り禁止で――」
フロアの安全域に待機するKAGÜのエンジニアたちの悲鳴を無視し、愛莉は走行エリアのど真ん中で優雅に振り返った。
「皆様、魔法は十分お楽しみいただけましたか? ではいよいよ――本日のメインイベントです」
ピンマイクを通して、彼女の甘く澄んだ声がフロア中に響き渡る。
「どんなに素晴らしい『魔法』でも、安全でなければ使えません。 その思想のもと、アテナには完璧な安全制御が組み込まれています」
「それを今から皆さまにお見せします。――私の『アテナ』は、決して人を傷つけない」
愛莉は、天井の監視カメラ――その向こうの制御室にいる黒川――を挑発的に見上げた。
「さあ、アテナ。準備はいい?」
彼女は両手を広げ、極上の笑顔を咲かせて命じた。
「私を――守りなさい!」
それをトリガーに、沈黙していた数十台のAGVが一斉に重低音を轟かせ、愛莉の周囲を猛スピードで縦横無尽に走り始めた。
◇
「……ッ!? あのバカッ!!」
監視カメラの映像を見た黒川が、制御室で絶叫した。
愛莉の施した設定により、AGV群は限界ギリギリの猛スピードでフロアを走り回っている。傍目には無秩序な暴走にしか見えない狂気の光景だ。
先頭の一台が、猛スピードで愛莉へ突っ込む。
「ひぃっ、危ない!」
誰かが悲鳴を上げた、次の瞬間。 新型AGVは愛莉の直前でわずかに軌道を変え、彼女の身体をスレスレで通り抜けていった。アテナの完璧な安全制御だ。
「おおっ……!」
見学室から安堵と感嘆の声が漏れる。しかし、KAGÜ担当者の顔は引きつっていた。
「――む、無謀だ! すぐに『旧型』のバッファが満杯になる! コマンドを受信しきれなくなれば……ぶつかる!!」
制御室の焦りを余所に、愛莉は涼しい顔で暴走する鉄の塊を見下ろしている。
再び新型AGVが滑らかに彼女を避ける。だが、後方からは、完全に制御不能に陥った旧型の『第3AGV』が猛スピードで迫っていた。
その瞬間。――バチッ!! と火花が散った。
制御室の奥――AGV群と直接通信するラックの前で待ち構えていた黒川が、第3機体の通信基板のテストピンへとドライバーを突き立てたのだ。
――ガクンッ!!
物理ショートによる強制リセットがかかり、第3AGVが、愛莉の背中に触れる数ミリ手前で、完全に沈黙し急停止した。 見学室から見ていた視察団や幹部たちが、再び歓声を上げる。
愛莉はふふっと可憐に笑うと、ワルツのステップを刻むように、フロアを優雅に歩き始めた。
「クソッ、あの女……!!」
黒川は、覚悟を決めると、手にしたドライバーを力強く握り直した。
「芽上、サポートしろ!!」
「承知しました」
結衣の『神の眼』が暴走する全機体を捕捉し、白い指先がキーボードを叩いて愛莉とAGVの完璧な軌道予測を弾き出す。
「――第5、衝突します !」
「わかったッ!」
――バチッ!! ガクンッ!
「――次、第21!」 「おうッ!」――バチッ!! ガクンッ!
「第7!」 「オラァッ!」 ――バチッ!! ガクンッ!
「12、15!」 「上等だッ!!」 バチバチッ!! ガクンッ、ガクンッ!!
愛莉の軽やかなステップに合わせて、裏方では結衣の指示と、黒川の決死の物理ショートが連続していく。
愛莉が一歩踏み出すたび、その足先で、背後で。
暴走していたAGVたちが、次々とピタリ、ピタリと停止していく。
そして――。
最後の一台が沈黙し、フロアに完全な静寂が訪れた。
愛莉のステップをなぞるように、大きく螺旋を描いて静止したAGVの群れ。 その中心に立ち、愛莉はスカートの裾をつまんで、おとぎ話のお姫様のように可憐なお辞儀をした。
「皆様。アテナが描く未来は――。お気に召しましたでしょうか」
誰もが瞬きすら忘れてその光景に魅入っている。
愛莉はゆっくりと顔を上げると、ふわりと花が綻ぶような、とびきり愛らしい微笑みを浮かべた。
「デモは以上となります。ありがとうございました♡」
一瞬の沈黙。
直後、見学室のガラスが震えるほどの、割れんばかりの拍手と大歓声が沸き起こった。
愛莉は喝采を浴びながら、天井のカメラ――自分を救った二人がいる制御室へ向かって、フッと勝ち誇った笑みを投げかけた。




