32. とびきりの魔法(前)
巨大な自動物流倉庫に併設された、KAGÜの次世代ラボ・テストセンター。
フロア全体を見下ろすように作られたガラス張りの『見学室』には、政府からの視察団をはじめ、デジタル・ハーモニー社の社長、磯山事業部長、KAGÜの幹部陣が集まっていた。
眼下には、数十台のAGV(無人搬送車)が整然と待機している。その光景を一瞥し、クラウド推進部の高橋が、森田愛莉を振り返った。
「よし、森田くん。デモを始めようか」
「はいっ! では皆様、お一人ずつ、こちらの大型モニターの前へお立ちいただいて――」
「待った。……せっかくだ、政府の視察団の方を含めた3名……同時体験でお願いしよう」
高橋が、愛莉の言葉を遮った。その顔には爽やかな笑みが貼り付いているが、その目は少しも笑っていない。底意地の悪さが透けて見えた。『仕様書』の罠に加えて、想定外のマルチタスク負荷をかけ、デモを破綻させようという魂胆だ。
「皆様に成果をお見せする絶好の機会だ。何も問題はないだろう? 君のAIは、社内一位の性能なんだからね」
「おお、それは素晴らしい提案だ高橋くん! 視察団の皆様を長々とお待たせするわけにもいかんからね。ぜひ、3名同時で頼むよ森田くん!」
社長が身を乗り出して賛同すると、隣の磯山や両社の幹部たちも慌てて追従した。
(……ふふっ)
背後の重鎮たちから見えない角度で、愛莉は心底可笑しそうに、フッと口角を上げた。
(3人? それくらいのバッファは織り込み済みよ。本当に、底が浅くて反吐が出るわ。でも、せっかくお膳立ていただいた『絶好の機会』――無駄にする手はないわ)
愛莉は瞬時にとびきり可憐な笑顔で答えた。
「――かしこまりました♡ 喜んで準備いたします!」
「無理はしなくていいんだよ? プレッシャーが重いようなら、私が代わって設定を――」
いかにも「後輩思いの先輩」を装い、高橋がコントロールパネルへ手を伸ばす。だが、愛莉は優雅な動作でスッと間に割り込むと、満面の笑みでその手を遮った。
「お気遣いありがとうございます、高橋さん♡ でも……」
愛莉の瞳が、スッと細められる。
「『アテナ』は、私のAIですから。――部外者は、ご遠慮ください」
可憐な声色に滲む強烈な野心とプライドに、高橋は思わず手を止めた。愛莉は怯んだ彼に一瞥もくれずコントロールパネルの前へと進み出ると、ふわりと振り返って恭しく一礼した。
「――とびきりの『魔法』を、お見せしますね♡」
愛莉がパネルのキーを叩くと同時に、数十台のAGVが一斉に滑り出した。
◇
表舞台の華やかさとは打って変わり、巨大な配線とサーバーラックが並ぶ薄暗い裏方の制御室では、黒川、結衣、そしてKAGÜの現場担当者が、複数のモニターを監視していた。
「よし、いいぞ……! 3人同時のオーダーもリアルタイムで捌けてる!」
KAGÜの担当者が感嘆の声を上げた。その横では、黒川が腕を組み、難しい顔でモニターを睨んでいる。
フロアを走行する多数のAGVは、それぞれが美しく無駄のない動線を描いていた。視線という複雑な入力情報を『アテナ』が瞬時に解析し、要求の変化を完璧に予測しているのだ。
だが、デモ開始から数分たった頃、結衣が淡々とした声で告げた。
「第3、第7AGVを皮切りに、旧型ロット全15台のスループットが低下。微細な遅延が連鎖し始めています」
「遅延だって……?」
KAGÜの担当者が首を傾げる。結衣は無表情のまま、正確無比な解析結果を告げた。
「AIからの制御トラフィックはおよそ120Mbps。ハード側の受信処理が追いついていません。バッファの使用率が新型の平均42%に対し、旧型群は一斉に95パーセントを突破――間もなくオーバーフローします」
「120Mbps!? まさか、今朝の事前テストでは、100Mbps以下に抑えられていたのに――!」
KAGÜ担当者が焦ったように手元のトラフィックログを確認しはじめる。異変を察知した黒川が、結衣のモニターを鋭く覗き込んだ。
「おい……どういうことだ!?」
「反応速度が低下しているのは、すべて旧型の機体です。アテナの出力が、新型の性能に合わせて最適化されているのでしょう。半数を占める旧型機が遅延すれば連鎖的に衝突します」
「なんだと……!?」
「そんな……! 旧型に合わせるよう、あんなに……!高橋さんに仕様書を渡したはずで……!」
黒川は、表舞台を映す監視カメラの映像を睨みつけた。
コントロールパネルの前に立つ愛莉の笑顔には、僅かな焦りが滲み始めている。だが、その後ろに立つ男――高橋は、眼下の状況を見て満足げにほくそ笑んでいた。
(……あいつ……まさか!)
黒川の顔が、激しい怒りに歪む。
「だめだ、処理が追いついてない! このままじゃ……事故る!」
KAGÜ担当者の悲鳴が、制御室に響き渡った。
◇
絶賛の声に包まれる見学室。幹部たちは、眼下で美しくフォーメーションを組むAGV群に夢中で、誰一人として『異変』に気づいていない。
だが、コントロールパネルの前に立つ愛莉の顔色は、蒼白だった。
手元のモニターに、数台のAGVから送られてくる赤い警告が、恐ろしい速度で溢れ出し始めたのだ。
(嘘でしょ……なんで!? アテナの出力は完璧なはず……!)
モニターから目を離し、眼下を見下ろす。フロアの奥――第3、第7AGVの動きが、わずかに遅れている。 アテナの制御信号を旧型のハードが取りこぼし、ジリッ……カリカリッ……と、他の稼働音にかき消されるほどの微かな摩擦音を立てていた。
やがて、完全に制御を失った旧型AGVたちが、計算された美しい軌道を外れて暴走を始めた。
「……ッ」
鉄の塊であるAGVが、衝突予測を無視して交差点へと突っ込んでいく。必死にキーを叩くが届かない。自分の完璧だったはずの盤面が無惨に崩れ去っていく。その瞬間を目前にして、愛莉は、ギュッと強く目を閉じた。
(……制御が効かない……ッ! 衝突する……ッ!)
―― ギュギュゥンッ!!ガタンッ!!!
鈍く重い衝撃音が、フロアを震わせた。
愛莉が恐る恐る目を開けると、眼下のすべてのAGVが衝突を免れ、完全に沈黙し急停止していた。見学室にいる重鎮たちが、「なんだ……? トラブルか?」とざわめき始める。
凍りつく愛莉の耳に装着されたインカムから、ノイズ混じりの低い声が響いた。
『――森田、聞こえるか』
それは、制御室で通信バッファを強制クリアし、システムを緊急停止させた黒川の声だった。




