27. カラフルなノイズ
「ア、アドレスホッパー……?」
翌日の会議室。
長机を挟んで、佐々木課長と人事部長の野村が驚愕に目を見開いた。向かいには結衣と、その隣で保護者のように座る黒川がいる。
「い、いや……芽上さん! 私生活は個人の自由ではあるが……。いくらなんでも若い女性が、ドヤ街を転々とするのは防犯上あまりに危険だ……!」
佐々木が本気で頭を抱える横で、人事部長の野村は血の気の引いた青い顔で、ハンカチを固く握りしめていた。
「うむ。労務管理の観点からも大問題だ。万が一何かあれば、人類の……いや、『我々』の重大な責任問題になる」
野村は微かに震える手元を隠すように、コホン、ともっともらしい咳払いをした。
「――そこで提案がある。現在、弊社では『若手向けの借り上げ社宅制度』のモデルケースを検討中でね。会社の名義でセキュリティの万全なマンションを借り上げる。家賃と光熱費は給与天引き、初期の家具家電は、すべて経費で揃えよう」
「……は? なんすか、そのVIP待遇……」
黒川が胡散臭そうに眉をひそめる。だが、野村はその呟きを完璧にスルーし、血走った目で結衣へと前のめりになった。
「福利厚生の一環だよ。保証人、身分証明、その他の煩雑な法手続きは一切不要だ。……どうだろうか?」
「……」
結衣は無表情のまま、スッ……と野村の瞳を真っ直ぐに見つめた。
野村は、結衣の観察するような視線に耐えながら、緊張した面持ちで僅かに目に力を込めた。
「……合理的ですね。同意します」
結衣は野村の執念――『何としてもリスクを排除したい』という論理を読み取り、静かに頷いた。
「よし! そうと決まれば、善は急げだ。家具の調達は、開発二課の業務 (勤務時間内)として商用車で対応しよう!」
二人の間に流れる張り詰めた空気に全く気づかず、佐々木が朗らかに言った。
こうして結衣の「人間としての拠点づくり」が、全社を挙げた極秘プロジェクトとして動き出した。
◇
「芽上さん、これ可愛いんじゃないですか!? ピンクのソファ!」
「こっちの木目調のテーブルもオシャレですよ!」
休日の賑わいを見せる、北欧発の巨大な家具チェーン店『KAGÜ(カグー)』。
広大なフロアの真ん中で、田中と佐藤が、まるで自分の部屋をコーディネートするかのようにテンション高くはしゃいでいる。 だが、その提案を受けた結衣は、無表情のまま小さく首を横に振った。
「いえ。経費ですから。最もシンプルでリーズナブルな、こちらの『白』のシリーズで統一します」
「ええ〜、味気ないですよぉ」
結衣が指差す先にあるのは、無骨な「白いパイプベッド」と「白い無地のテーブル」だ。
不満げな田中を余所に、結衣は商品のタグを確認し、ピックアップに必要な棚番号を淡々と専用の用紙にメモしていく。
黒川は少し離れたところで腕を組み、はしゃぐ部下たちを呆れ顔で眺めていた。
ショールームを抜け、一行はピックアップのための巨大な倉庫エリアへと足を踏み入れた。
見上げるほど巨大なラックが、天井まで整然と連なっている。客自身が巨大なカートを押し、指定された棚から商品をピッキングしていく。結衣は、その独特な物理システムに、珍しく興味深そうな視線を巡らせた。
「黒川さん。ここは不思議なシステムですね。家具屋なのに、客が自分で巨大な倉庫から商品をピックアップするなんて」
「これが『KAGÜ』の強みだ。客にピッキングから持ち帰り、組み立てまでを『セルフサービス』でやらせる。その分の物流コストと人件費を削って、商品の価格を限界まで下げてんだよ」
黒川の解説に、巨大なカートを押してきた佐藤が追いつきながら言葉を継いだ。
「そうそう。でも最近は、真逆の『オンデマンド・ロジスティクス』ってサービスも展開してるんですよ」
「オンデマンド……?」
「はい。発注が入ったら、裏の倉庫でロボットが全自動で商品をピッキングして、そのまま配送するんです。ウチのシステムと連携してるんですけど、これがしょっちゅう――」
『――お次にお並びのお客様、3番レジへどうぞ!』
案内係のよく通る声が、佐藤のぼやきを掻き消した。
「……愚痴は後にしろ。会計済ませて駐車場に向かうぞ」
「あ、はい! すみません!」
促されるまま、佐藤が慌てて重いカートを押し出した。
◇
流れの速い国道を、荷物を積んだハイエースが滑らかに走っていく。
助手席の結衣は、無駄のない黒川のハンドルさばきを見つめながら口を開いた。
「慣れていらっしゃるのですね。運転も御上手です」
「まあ、業務でサーバーラックの搬入とかもするからな」
黒川が少しだけ得意げな笑みを浮かべる。
「いざとなりゃ、大型トラックだって転がせるぜ。昔、大和重工の工場で――」
言いかけて、黒川がピタリと口をつぐんだ。
「大和重工? うちの親会社ですよね、工場がどうかしたんですか?」
「……なんでもねぇよ」
後部座席の田中の無邪気な声に、黒川は感情の読めない仏頂面でハンドルを握り直した。
黒川が押し黙ったことで、車内に不自然な沈黙が落ちる。
助手席の結衣が静かに黒川の横顔を見つめる後ろで、事情を知っているらしい佐藤だけが、気まずそうに身を縮めていた。
◇
「……うわぁ、見事に真っ白ですね……。病院の病室みたいです」
荷物の搬入と組み立てが終わり、帰る準備をしていた田中が、呆れたように部屋を見渡して呟いた。
白いパイプベッド、白い机、そしてカーテン代わりの無地のブラインド。徹底して一切の生活感が排除されたその空間で、結衣は満足げに頷いた。
「はい。理想的な環境ですね」
帰り際、最後に玄関を出ようとした黒川が、ふいに立ち止まった。そして無言で、持っていたビニール袋を結衣に押し付ける。
「これは?」
「……引っ越し祝いだ。ちゃんと使えよ」
短く告げると、黒川は背を向け、足早に帰っていった。
パタン、とドアが閉まり、部屋には結衣が一人取り残される。
「……使う?」
彼女が袋を開けると――中から出てきたのは、この真っ白な部屋には似つかわしくない、ド派手でカラフルな北欧風のマグカップだった。
すっかり日が落ち、静まり返った結衣の部屋。
真っ白で無機質なテーブルの上に、ポツンと置かれた『カラフルなマグカップ』。そこから、淹れたての温かいコーヒーの湯気が立っていた。
結衣は、そのマグカップを両手で包み込むように持った。
手のひらから伝わる、じんわりとした熱。
「……」
結衣の口元には、彼女自身も理由を説明できない、わずかな微笑みが浮かんでいた。
(……曖昧で、定義不能です。でも……)
真っ白な空間に、たった一つだけ。彼が残していった「異物」は、ノイズだらけで――ひどく温かだった。
◇
すっかり日の落ちた国道を、帰路につくハイエースが走っていく。
後部座席からは、引っ越し作業に疲れ果てた田中の無防備な寝息が聞こえていた。
だが、運転席の黒川と、助手席の佐藤の間に流れる空気は重い。タブレットの青白い光に顔を照らされた佐藤が、遠慮がちに沈黙を破った。
「……あの、黒川さん。やっぱり、ちょっと気になって」
「……何がだ」
「森田愛莉さんの、データベースへのアクセスログです」
佐藤の声は、わずかに震えていた。
「接続テストだって聞きましたけど……異常です。X-COREの深層から、毎日数テラバイトものデータが吸い上げられてます。これ、検証なんてレベルじゃ……」
黒川の表情が険しくなる。一定の間隔で流れる街灯が、無言になった車内をオレンジに照らす。
「……わかった。ログを整理しとけ。明日、クラウド推進部と話をつける」
◇
ジリリリリリリッ!!!
翌朝の開発二課。静かなフロアを切り裂くように、けたたましい内線通話が鳴り響いた。
「みんな、聞いてくれ! 緊急事態だ!!」
受話器をガチャン!と乱暴に置いた佐々木課長が、血相を変えて立ち上がる。
「ど、どうしたんですか!?」
佐藤が椅子を蹴立てて振り返る。
「物流連携システム……KAGÜのオンデマンド・ロジスティクスがエラーで停止した!! このままだと、全国の倉庫の出荷が完全に止まるぞ!」
「なっ……!?」
「黒川、佐藤! 今すぐ現場に向かってくれ!!」
黒川がバンッと机を叩いて立ち上がる。
「ま、またですか!?えっと……すぐ準備します! 機材よし、鍵よし!」
佐藤が半泣きで鞄をひったくる横で、結衣もまた、スッと立ち上がっていた。
「私も同行します」
「よし、佐藤、芽上! 走るぞ!」
緊迫した空気が張り詰める中、三人は足並みを揃えてオフィスを飛び出した。




