表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神のデバッグ  作者: 円地仁愛
第二章
PR
27/33

25. 鼓動の同期信号

ビルの屋上に、黒川は一人佇んでいた。

吹き付ける潮風が、その髪を乱す。手すりに寄りかかって空を見上げる顔からは、いつもの険しさが消えていた。


背後から、硬いヒールの音が近づいてくる。振り返ると、そこには見慣れた姿があった。


「……こちらでしたか、黒川さん」


結衣は目の前に立つと、一枚のカード――黒川が置いていった社員証――を差し出した。


「処分は『厳重注意』のみ。あなたの勝ちです」

「……そうかよ」


黒川は少しバツが悪そうにカードを受け取り、その古びたプラスチックの感触を確かめた。

ふと顔を上げると、目の前の結衣に視線が止まる。


そこには、いつもの完璧で隙のない女神の姿はなかった。徹夜のせいかブラウスは少しヨレ、髪もわずかに乱れている。だが、その隙だらけの姿が、今までのどんな時よりも人間くさくて――不思議と悪くなかった。


「………芽上」


気がつけば、口をついて出たのは素直な言葉だった。


「……悪かったな。面倒かけた」


結衣はわずかに目を瞬かせ、すぐに姿勢を正した。


「謝罪は不要です。今回の件、論理的に分析しても、あなたが責任を負う合理性は皆無でした。そもそも監査部の指摘は――」

「へいへい。わーったよ」


黒川は苦笑して、結衣の正論を遮った。カードをホルダーに収め、首にかける。


「二度としねぇよ。……これでいいか?」


照れくささを誤魔化すように、黒川が早足で踵を返そうとした――その時。


「……いいえ。よくありません」

「あ?」


足を止めて振り返ると、結衣が静かに黒川を見つめていた。


「佐々木課長の仰る通りですね。……論理は、万能ではないようです」


結衣が一歩、黒川に近づく。 詰められた距離にたじろぐ間もなく、結衣の手が伸び――黒川の手首を、ギュッと掴んだ。


「お、おい……?」


触れ合った肌は、驚くほど熱かった。結衣の掌の熱か、黒川自身の体温か。重なり合った脈動が、ドクドクと直接伝わってくる。


結衣は、その熱を確かめるように、少しだけ指に力を込めた。


「――あなたのその自己犠牲(やりかた)は、褒められたものではありません」

「まあ……そうだろうな」


「ですが、同時に、あなたらしい。是正するべき不具合なのに……私は、それをとても『好ましい』と思うのです」

「…………」


一瞬、馬鹿にされているのかと思った。だが、彼女の瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいて――そして、どこまでも静かだった。


「……なら、」

その真っ直ぐな瞳から、どうしても目を逸らせない。繋がれた手を振り払うことすら忘れて、ポツリと呟く。

「……次は……もう少し上手くやる」


その言葉を聞いた結衣は、ふぅ、と小さく息を吐き出した。張り詰めていた空気が、少しだけ和らぐ。


(……良かった)


結衣の口元が、ふわりと自然にほころんだ。



(―――― 笑った)


黒川の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。


「……っ」


(うわ、なんだこれ)


激しい動悸が、警鐘のようにうるさい。さっさと背を向けるべきなのに、どういうわけか身体が言うことを聞かなかった。


(――ああ、クソ)


黒川が引力に抗うことを諦め、短く息を呑んだ――その時。



ボンッ!!!


二人の手の間から、唐突に黒煙が噴き上がった。


「なっ!?!? なんだ!!??」


黒川は、弾かれたようにその場から飛び退いた。 結衣の手のひらから、焦げ臭い煙がモクモクと上がっている。


「……オーバーフローです」

「は?」


煙の向こうで、結衣が真顔で――しかし、どこか満足げに呟いた。


「双方のパルスが共鳴し、計測デバイスの許容値を超えました。……問題ありません。ログは無事です」


結衣が手を開くと、そこには真っ黒に焦げた「何か(超小型センサー)」の残骸があった。


「てっ、てめぇ……!!」


黒川の顔が、羞恥と怒りでさらに赤くなる。


「また何か仕込んでやがったのか! 良い雰囲気だとか思って損したわ!!」


「黒川さんのおかげで貴重なデータが取れました。ありがとうございます」


「データ…!? なんなんだよ、こないだから! なんのデータだよ!?」


「『恋』と『情』。その比較サンプルです」


「こっ……!?」


「……なるほど。ノイズの波形には、明確な差がありますね。早急にこの『バグ』の物理量を定義しなくては」


「ご協力ありがとうございます。……では、お疲れ様でした」


結衣は黒焦げのセンサーをポケットにしまうと、悪びれもせず、ペコリと一礼した。 その顔は、いつもの無表情に戻っていたが――足取りは、来た時よりもずっと軽やかだった。


「ちょ、おい待て! ちゃんと説明しろ!」


「違うからな!? 今のはただの……っ、事故だ!!」


「いいか、そのデータは無効だ!聞いてんのか!?」


「消せ! 今すぐデータも、記憶も、消しやがれぇっ!!」


必死に追いすがる黒川の怒声が、潮風の吹く高い青空に吸い込まれていった。





――――それから、数日後。


度重なる結衣のストーキング・測定行為に、黒川の怒りが限界に達した。 黒川の猛抗議により、結衣に対し「コンプライアンス違反による調査活動の無期限停止」処分が正式に言い渡されたのだった。







──誰もいなくなった、深夜のオフィスビル。

窓が一つだけ光っている。


クラウド推進部。 森田愛莉が、暗い部屋で一人、モニターを見つめていた。


画面には、今回の騒動で黒川が守り抜いた「X-COREとの接続パイプ」の構成図が映っている。


「ふふっ……。黒川さん、ご苦労さま。 おかげで、私の可愛いAI…『アテナ』の接続は維持されたわ」


暗い部屋の中で、愛莉の口角が上がる。


「それどころか……検証サーバーへのバイパスを『事後承認』してくれるなんて。おかげで、誰にも邪魔されない公式な特権 (バックドア)が手に入ったわ」


愛莉の指が、キーボードを滑る。

画面の中では、誰も気づかないシステムの隙間を縫い――深層のデータ領域で、カーソルが明滅している。


「―― 時代遅れのシステムなんて、どうでもいいわ。せいぜい、今のうちに楽しんでおきなさい」


愛莉の瞳に、モニターの光が冷たく反射する。「絶対的な権限」を手に入れた彼女の顔には、確かな優越感が張り付いていた。


「ゲームを支配するのは──この私よ!」


ッターン!!!


乾いた打鍵音が闇に響き、モニターの光が消えた。静まり返った部屋に残されたのは、愛莉の満足げな吐息だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ