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女神のデバッグ  作者: 円地仁愛
第二章
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22. 恋という名のバグ


黒川が去った、翌日の朝。


結衣は自席で静かに目を閉じ、社内ネットワークという名の巨大な神経系に深く潜っていた。


(――広域スキャン。投影(レンダリング)を開始します)


意識が電子の海と溶け合い、無数のログが脳内に展開される。

断片的なデータから生成された「現在の情景」が、ノイズ混じりのホログラムのように浮かび上がった。



『対象A:佐藤健太 (さとう・けんた)』


開発二課。鳴り止まない内線通話の波形から、震える声が再生される。


「……はい、進捗は……現在精査中で……。いえ、バグだなんてそんな! あれは……暫定仕様です! はい、運用でカバーします! 現場で何とかしますからっ!」


受話器越しに飛んでくる罵声を一身に浴びる佐藤の姿が、モノクロの映像となって明滅した。




『対象B:佐々木浩介 (ささき・こうすけ)』


人事部フロア、第一アクセスポイント経由。 かつての上司の部屋の前、膝を折らんばかりに頭を下げる佐々木課長の影が投影される。


「野村部長、お願いします……! 規定の解釈次第でしょう!? あいつがいなくなれば、うちは……俺だって……!」


激しく揺れる声の波形が、ホログラムの輪郭を無残に歪ませた。




『対象C:黒川徹 (くろかわ・とおる)』


彼の現在地は、探索不能。

代わりに、結衣の脳裏に浮かんだのは、「あの日」の記憶だ。


愛莉に甘えられ、顔を緩める黒川。だが、結衣の眼が捉えていたのは、デスクの下に隠された付箋だらけの技術書だった。


『AWS』『Kubernetes』『IaC』――。

彼の中に燻る不安と焦り、そしてプライドが、分厚い地層のように積み重なっている。


(……あんなにも必死に新しい技術に食らいついていたのに、あっさり投げ出すなんて。……理解できません)




『対象D:森田愛莉 (もりた・あいり)』


ノイズの向こう側。暗号化されたパケットが、歪な「嘲笑」のように揺れた。


(――見つけました)


昨日、愛莉が黒川の端末に触れた瞬間の微弱な通信。幾重にも偽装されていたが、結衣の目には逃れようのない「黒い糸」としてハッキリと視えていた。


(このログを復元すれば……)


青白い演算の光が一つに集束し、結衣の脳内で解析が完了する。


(森田愛莉。秩序の守護者として、あなたの不正を『デバッグ』します)

指を弾くようにエンターを叩くと、モニターに決定的な証拠ファイルが生成された。


『incidents_log_evidence.dat』。

これを全社員へ送信すれば、黒川の冤罪は晴れる。それが論理的最適解だ。


結衣はマウスを握り、送信ボタンへカーソルを合わせる。

裁定を下そうとした、その瞬間――脳裏に、あの光景が鮮明にフラッシュバックした。


(――――っ)

途端に、クリックしようとした指が凍りつく。


黒川の、困ったような、それでいて全てを受け入れた不器用な笑み。彼の瞳に宿る静かな決意が、網膜から離れない。


(……押せない。いいえ、押したくない)


結衣は額を押さえた。黒川に触れられた場所が、まだ熱を持っている気がする。その熱が彼女の行動に強制的な「待った」をかけていた。


(論理と思考の極端な乖離……。この現象は……『観測データ』と一致しています……)


視線を落とすと、デスクの隅にある『恋バグ宇宙創成論 序説』が目に入った。ページをめくるが、このバグを消去する数式はない。


(胸が重い。……このバグさえなければ、私は「正解」を選べるのに)


「……私が、間違っていました」


結衣は力なく本を閉じ、頼りなく揺らぐ瞳で呟いた。


「人間の『恋』は、論理を狂わす不調和の源……。理論の再構築と、早急なデバッグが必要ですね」



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